鹿島アントラーズにトニーニョ・セレーゾ監督が戻ってきた。
 現役時代、ジーコらとともにブラジル代表で「黄金のカルテット」として名を馳せたセレーゾは2000年から鹿島の監督に就任し、就任1年目でリーグ、ヤマザキナビスコカップ、天皇杯の3冠を獲得。以降、鹿島では最長となる6シーズンを指揮した。

 昨季、鹿島はクラブOBのジョルジーニョを監督に迎えた。ナビスコカップを制したとはいえ、リーグ戦は過去最低の11位に低迷した。フロントはジョルジーニョの求心力を評価したうえで続投をオファー。しかしが、彼の家族の希望もあって退団の運びになった。それによりセレーゾに白羽の矢が立ったというわけだ。

 一連の流れから見るとセレーゾの監督復帰は、「消極的理由」で選ばれたと思われるかもしれない。予想外だったジョルジーニョの退団で慌てて新監督を探してみたものの、ブラジル人の他の候補は呼べないということで、消去法によりセレーゾ監督になった、と。セレーゾは鹿島を離れて以降、監督として特に実績があるわけではない。今、ブラジルの国内リーグは活気を取り戻しており、実績のある人気監督は年俸も高くなっていると聞く。そういう状況も頭に入れると、サッカーファンがたとえそう受け止めたとしても不思議ではない。

 ただ、筆者はそう感じていない。これも先を見る鹿島のフロントらしい戦略だと思っている。というのも昨年、ジョルジーニョを招聘する際も、セレーゾは監督候補に挙がっていた。年俸が高くない、などとそういう条件的なことではない。鹿島のフロントがセレーゾを評価したのは、若手をビシビシと鍛え上げて伸びしろをグンと伸ばしきる指導力がある点だ。小笠原満男を筆頭に、中田浩二、本山雅志、彼らより1つ年下の野沢拓也たちは若手時代、セレーゾに鍛え上げられた。

 セレーゾの練習で特徴的なのは居残り練習がとにかく長いことである。全体練習の後、若手だけを残し、陽が暮れるまで練習する光景は、見ているこっちがクタクタになったほど。コーチに任せるのではなく、いつも選手に付きっきりなのも印象的だ。世界が知る有名人なのに、指導にここまでの情熱を傾けるのは正直、驚きでもあった。技術指導もさることながら、フィジカル、メンタルを含め総体的に個のレベルを上げられる指導者だと言える。

 セレーゾ時代の鹿島は00年の3冠を頂点に、リーグ戦は02年以降優勝から遠ざかってしまった。04年、05年シーズンは無冠に終わり、契約の更新はならなかった。これらの結果から、彼は戦術家というよりも、指導者というニュアンスのほうが印象的には強いかもしれない。07年シーズンから鹿島はオズワルド・オリヴェィラ体制で史上初のJリーグ3連覇を果たすわけだが、セレーゾが選手を鍛え上げた成果が財産となっていたのは言うまでもない。

 鹿島は今、世代交代の過渡期にある。13年はチームを引っ張る小笠原たちも34歳になる。それだけに、若手を引き上げることができれば3年後、4年後にそれが結びついてくる。

 鹿島にはいい若手がたくさんいる。今年21歳になる柴崎岳を筆頭に、ロンドン五輪世代の大迫勇也、ケガで離脱中の山村和也もいる。京都サンガF.C.から昨季14得点の中村充孝を獲得し、高校選手権で一番の注目株だった植田直通も加入した。セレーゾ監督が鍛え上げることによって、彼ら若手の能力がグンと引き上げられることをクラブは期待しているわけだ。

 もちろんタイトルを狙うことに変わりはないが、近い将来をきちんと見据えたうえでの「セレーゾ監督再登板」なのである。

 しかしながら外国人監督がしばらく間を置いて、以前にいたクラブで再び指揮を執るケースというのはJ1でおそらく初めてではないだろうか。違うクラブに誘われたり、チームといい別れ方をしていなかったなど、いろいろと事情はあるだろう。今回のセレーゾ監督復帰劇は、鹿島と歴代の監督が「いい別れ方」をしていたからこそ、可能だったわけである。

 06年シーズン終了後にチームを離れる際、セレーゾは笑顔でこう言っていた。
「ボクはこれからもずっとアントラーズを見守っていきたいし、声が掛かれば、またここに戻ってきたい」――。
 セレーゾアントラーズの第2章が楽しみである。

(このコーナーは第1、第3木曜日に更新します)
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