経験した仕事の数ではNPB選手の中でナンバーワンかもしれない。銀行マン、運転代行業者、パチンコ店員……。「野球をやって生活したい」。松井宏次は華やかな舞台とは遠いところにあっても、決して自分の夢を諦めなかった。その思いは今、ようやく花開く。つい2年前まで働きながらクラブチームでプレーしていた男は、今季から正真正銘、野球が職業になった。四国・九州アイランドリーグを経てNPBの世界に飛びこむ25歳が、これまでの苦労人人生を振り返る。
(写真提供:長崎セインツ)
――入団発表ではファンの前で挨拶。ユニホームを初披露した。
松井: やはりメディアの注目度が高くて、いい緊張感を味わいました。ただ、気持ちは落ち着いていましたね。人から見られてアガってしまうようでは、いいプレーはできませんから。僕は育成ですし、ユニホームを着ただけで1軍に上がれるわけではない。まだスタートラインにのっかっただけ、との思いは強く持っています。

――施設の充実度もクラブチームやアイランドリーグと比べれば、大きく違うでしょう。
松井: 一目瞭然でしたね。球場もベンチのいすがふわふわしていて驚きましたし、全体がアミューズメントパークのように感じました。これまでブラウン管を通して見ていた場所でプレーできる。その可能性が出てきたことを改めて実感しました。

――東海大を卒業後、社会人野球のきらやか銀行(山形)に入るも、活動縮小により退社。紆余曲折の野球人生が始まった。
松井: 運転代行の仕事もしましたし、派遣社員としてバチンコ店の飲食コーナーでも働きました。やっているうちに厨房だけじゃなくて、閉店後の売上管理も任されたんですよ。野球との掛け持ちは大変でしたが、これもひとつの経験。「仕事のせいで野球ができない」という言い訳だけはしたくなかった。

――心の中では「プロ野球選手になりたい」という大きな夢を持ち続けていたと?
松井: はい。だってプロは頑張れば年俸が1億円にも2億円にもなる世界。あきらめて普通のサラリーマンになったら、1年で1000万円ももらえたらいいほうでしょう。可能性が少しでもある限り、あきらめるわけにはいかなかった。

――そこで夢への第一歩として独立リーグ入りを選択した。
松井: すぐにプロはムリな状況でしたからね。中でもアイランドリーグはNPBとの交流試合が多い。もしかしたら縁があるかもしれないと思い、トライアウトを受けました。レベルは高いと聞いていたので、半分はダメモト。なんとか通って良かったです。

――武器となったのが内野守備。長崎・長冨浩志監督は「最初から松井の内野守備は群を抜いていた」と高く評価していた。
松井: 中学時代、個人的にノックを打ってトレーニングしていただいたコーチのおかげですね。打球はひとつとして同じものがありません。だから、いくつボールをさばいたかが上達のポイントとなる。とはいえ、いくらノックを受けたくても、打ってくれる人がいなくては始まらない。高校時代も結果は出ませんでしたが、これでもかというほど守備練習をやらされました。それが今に生きたのでしょう。指導者のみなさんには感謝しています。

 支配下へのビジョンは見えている

 アイランドリーグでは1年目からレギュラーを獲得。守りのみならず、打撃でもリーグ9位となる打率.303を残した。NPBとの交流試合では広いヤフードームのレフトスタンドにソロホームランを放ち、パンチ力があるところもアピールした。

――ヤフードームでのソフトバンク2軍との交流試合(7月)での一発は、スカウト陣にも強烈なインパクトを残した。
松井: スカウトの皆さんに衝撃を与え、目に焼きつかせるプレーができたことは幸運でした。打った瞬間の手応えでは(スタンドに)入るかどうかわからなかった。とにかく打球の行方も見ず、全力で走りました。歓声が聞こえて、やっとホームランだと分かったんです。カウントをとりにきた甘い球とはいえ、なかなかNPBの投手のボールをスタンドまで運ぶことは難しい。自分でもいい運をもっていると思いました。ここまであきらめずに頑張ってきたご褒美だったのかもしれません。

――そして育成ながらドラフト指名。ところが、地元の静岡では最初、全く話題にならなかったとか。
松井: もう社会人野球を辞めた段階で忘れられた存在でしたからね。逆に名前が出て周りはビックリしたんじゃないでしょうか。日陰を歩いてきた野球人生を物語っていますよね。むしろ、後から“アイツもいた”と取り上げていただいたので良かったと捉えています。

――育成選手のため、まずは1軍昇格が可能な支配下登録が当面の目標になる。これまでの例をみると、育成上がりで活躍している選手は1年以内に昇格しているケースが多い。
松井: だから1回1回が勝負になりますよね。プロはいくら努力しても他人に評価してもらえないと生き残れない世界。他の選手との比較ですべてが決まる。だから人と違うことをしなくてはいけない。同じことをしていても使ってもらえませんから。

――他人との違いを際立たせるにはどうすべきか?
松井: とにかく一芸があればチャンスはある。僕は体が小さいので足をうまく使いたい。そして、頭を使ったプレーをみせたいです。

――楽天は野村克也前監督の影響で、頭を使う野球がチーム全体に浸透している。その点では好都合な球団に入った。
松井: 去年、NPBの試合をテレビで見ていて、なぜ楽天が2位に入れたのかを自分なりに分析しました。こういうと失礼かもしれませんが、楽天は他と比べてスター選手が多いわけではない。それでも勝てたのは、野村さんが言っていた「無形の力」があったからでしょう。楽天に指名をいただいた時に、「この球団なら自分のビジョンが見える」と感じたのは事実です。

――そのビジョンを具体的に教えてほしい。
松井: 打撃の技術を伸ばせば、チームの目指す野球に近づけるかなと。いいバッターでも10回に3回しかヒットを打てない。ならば、3割打てない人間はいかにヒットをチャンスに集中させるかが大事になる。そして凡打をいかに内容のあるものにするかも求められる。出塁できなくても進塁打にしたり、バントでゆさぶれば、チームに貢献できるはず。打席でこのあたりができるようになれば、守備は何とかなると考えています。

――クリネックススタジアムでプレーする日が楽しみだ。
松井: ユニホームを着た以上、ドラフト1位も育成も関係ない。今は上位の選手とは注目度が全く違いますが、これからの評価はいくらでもひっくり返せる。あとはやるかどうか。自分次第ですよ。

「“クセ者”になりたい」
 松井が常々、口にする言葉である。理想とするのは、同じくクセ者と呼ばれた元巨人の元木大介。巧みな頭脳プレーと、その勝負強いバッティングはチームには欠かせなかった。果たして杜の都で2代目を襲名することはできるのか。さまざまな職場を渡り歩いた経験は間違いなくクセ者ぶりに磨きをかけているはずだ。


松井宏次(まつい・こうじ)プロフィール>
 1984年12月2日、静岡県出身。磐田農高、東海大を経て、山形のきらやか銀行に入社。その後、元中日の川又米利が率いるNAGOYA23でプレーし、今季、長崎へ入団。広い守備範囲で二遊間の守りを的確にこなし、チームの主力となった。打撃でも打率.303(リーグ9位)、2本塁打、28打点。NPBでの交流戦でも好守備をみせ、スカウトから「守備能力が高い。打撃に力強さが加われば、1軍で通用する選手になる」と評価された。身長174センチ、体重70キロ。右投右打。


(聞き手・石田洋之)

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