2年目の急成長だった。NPBを目指し、大学を中退。四国・九州アイランドリーグの門を叩いた荒張裕司は2年目の2009シーズン、徳島インディゴソックスの正捕手として全試合に出場し、打率.301の好成績を残した。そしてリーグ選抜の一員として出場したフェニックス・リーグ、北海道日本ハム・梨田昌孝監督の目に留まる。「肩が強くていい」。好評価を受け、ドラフト指名を勝ち取った。1950年代に近鉄でプレーした大石雅昭さん(故人)を祖父に持つ20歳のルーキーに新天地での決意を訊いた。
――札幌ドームでのファンフェスティバルで4万2000人の前で日本ハムのユニホームを初披露した。初めてユニホームに袖を通した印象は?
荒張:  まだユニホームに負けているなと思いました(苦笑)。大勢のファンのみなさんの前で緊張してしまって、何を話したかよく覚えていません。1日も早くユニホームが似合う選手になりたいですね。

――日本航空第二高を卒業後、大学進学も、すぐに中退してアイランドリーグに入った。その動機は?
荒張: “プロへ行きたい”という気持ちを抑えきれなかったからです。最初は大学で4年間鍛えてプロを目指そうと考えていましたが、実際に行ってみると授業に出たり、野球ができる時間は限られていました。僕は学校の勉強に興味がなくて、出席しているだけというのがもったいなく感じたんです。

――高校の先輩でアイランドリーグを経てNPB入りした角中勝也選手(千葉ロッテ)にも相談したとか?
荒張: はい。こちらから連絡をとって、いろいろと一方的に質問しました。そこで分かったのは、アイランドリーグが1日中、野球に打ち込める環境だということ。角中さんから「本当にその気があるなら、(リーグに)話をしてもいい」と言われて、もう迷いはありませんでした。5月の中頃には退学を決め、1カ月もしないうちに徳島に渡っていました。

――ところが1年目の出場は19試合。打率は.325ながら、出番はほぼDHか代打に限られていた。
荒張: それまでとはレベルが違いましたね。打つほうはそこそこ自信があったのですが、やはり守れないと試合には出られない。試合に出られなければアピールもできない。だからキャッチャーとしての守備を磨くことが一番だと痛感させられました。

――2年目の2009年は正捕手の座に。堀江賢治監督や森山一人コーチは「悩んで涙を流す日もあったが、課題を踏まえて練習やゲームに取り組んでいた」と成長を認めていた。
荒張: 正直、2009年は打つほうはどうでもいいと思っていました。まずはチームで捕手として試合に出て、リーグ選抜に入り、NPBとの交流戦に参加する。これが当面の目標でした。僕は喜怒哀楽が出やすいタイプなので、監督やコーチに迷惑をかけたこともあったと思います。でも上から抑えつけるのではなく、いいところを評価して伸ばしていただいた。おかけで1年間、前向きに野球に取り組めたことが良かったと感謝しています。

 存在感のある捕手に

 2009シーズン、荒張はチーム内でレギュラー捕手となり、全試合に出場する。打撃でもリーグ10位の打率.301を残した。何より、当初の目標としていたNPBとの交流戦に出場し、高いレベルを肌で感じることができた。

――10月のみやざきフェニックス・リーグでは、クライマックスシリーズに向けて調整していた日本ハムとも対戦した。マスク越しに感じたことは?
荒張: 2イニングだけの出場でしたが、1軍のレベルは比べものにならないと感じました。トップレベルの選手たちは心技体が充実していることはもちろん、「知」がある。

――具体的には?
荒張: 先発のゲレロ(徳島)が荒れ球で初回に四球を連発して、3点をとられた。2回も先頭の金子誠さんに四球。その時に金子さんがボソッと、「このピッチャー、セットでクイックのほうがいいボールが来るよ」と言ったんです。確かにその通りでした。ゲレロはランナーがいないと足を高く上げて投げるフォームなので、どうしてもバランスが崩れると修正できない。その弱点を初対戦の1打席で見抜く観察眼が素晴らしいと思いました。金子さんにとっては調整のための試合だったにもかかわらず、そういった細かい部分でも手を抜いていない。これが真のプロの姿だと学びました。

――埼玉西武の練習にも合流させてもらったとか?
荒張: 試合後にキャッチャー陣がスローイング練習をしていたので、ベンチで観察していたら長崎の根鈴(雄次)さんから、こう言われました。「見ているだけじゃダメなんじゃないか。上に行きたいなら図々しいところも必要だぞ」と。そこで森山(一人)コーチにお願いして、「近くで見せてもらっていいですか」と頼んだところ、「一緒にやろう」と誘われました。

――わずかな時間でも、参加してどうだった?
荒張: スローイング時の体の使い方がとても勉強になりました。NPBは、こういった練習をアイランドリーグ以上に、ひとつひとつ目的を持って行っている。だから高いレベルに到達できるんだなと改めて感じました。

――その高いレベルに今年から飛び込むことになる。
荒張: 課題はたくさんあります。何よりキャッチャーは信頼してもらえる存在にならなくてはいけない。そのためにはまずキャッチングやスローイングといった基本を磨く必要があります。ピッチャーのレベルもこれまでと違うので早く慣たいですね。積極的にボールを受けて、どんどんコミュニケーションをとりたいと思っています。

――1軍の選手には「知」があるとのことだったが、当面の自分は「心技体」の充実だと?
荒張: キャッチャーはプレーだけでなく、存在そのものを目立たせることが求められると考えています。特にキャッチャーはピッチャーを助けるのが仕事です。投手の調子が良くて、受けているだけで勝てる試合は長いシーズンでそう多くない。でも相手をサポートできるレベルに到達するには、自分の心技体のどれかひとつでも不安だとダメなんです。当たり前のことを無意識でこなせるくらいにならないといけないでしょう。

「名捕手あるところに覇権あり」。今や、この言葉は球界の定説となっている。打撃技術の向上で打者優位となった現代、扇の要としての捕手の役割は高まっている。入団発表では捕手出身の梨田監督から「鶴岡がゴールデングラブ賞をとったけど、そこを目指していてはダメだぞ」とハッパをかけられた。鶴岡のみならず、大野奨太ら日本ハムの捕手陣の競争は激しい。生き残るには目標を高く持つべきだ――そんな指揮官の熱い言葉を胸に、荒張は新たな一歩を踏み出す。


荒張裕司(あらはり・ゆうじ)プロフィール>
 1989年4月24日、大阪府出身。日本航空第二高時代は角中勝也(高知−千葉ロッテ)の2年後輩。愛知学院大に進学するもNPBを目指して中退し、08年途中に徳島へ入団。1年目は出場17試合にとどまったが、09年はチームの正捕手となり、打率.301(リーグ10位)、3本塁打、33打点の成績を残した。守っては強肩、打っては長打が魅力。宮崎のフェニックス・リーグで、日本ハム・梨田監督から「肩が強くていい」との評価を得たことが、指名の決め手となった。身長177センチ、体重80キロ。右投右打。


(聞き手・石田洋之)

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