当HP編集長・二宮清純が出演するニッポン放送ラジオのレギュラー番組がこの春よりリニューアル。「ファンケルプレゼンツ 二宮清純のスポーツレジェンド」とタイトルも新たに、月曜19:30〜好評放送中です。この番組ではスポーツに情熱をかけたアスリートの方々をゲストにお招きし、二宮清純がインタビューを展開します。5月は元サッカー日本代表で、レフティモンスターの異名をとった小倉隆史さんが登場。現役時代の思い出から、直前に迫ったサッカーW杯の展望まで、たっぷりと語っていただきます。
 当サイトでは5月10日に放送された番組の中からインタビューの一部を紹介します。

二宮: 小倉さんは1992年に名古屋グランパスエイトに入りました。ちょうどJリーグが開幕する前年ですね。当時のグランパスというとイングランド代表のゲーリー・リネカーがやってきました。
小倉: 86年のメキシコW杯で得点王も獲ったのをテレビで観ていたので、どんなプレーをするんだろうと思いましたが、もう日本に来た時はケガをしていて、週休5日でしたね(笑)。同じチームなのに会う機会も少なかった。もうちょっと元気な頃に一緒にプレーしたかったです。

二宮: 小倉さんは華々しく開幕したJリーグを横目に今回、日本が対戦するオランダ2部リーグのエクセルシオールでプレーされました。かなりゴールも挙げられたとか?
小倉: リーグ戦15点、カップ戦で4点とりました。僕はそのクラブにとっては外国人として来たわけですから、結果を出さないとチームメイトはボールもくれないし、サポーターからも批判される。とにかく必死でした。

二宮: 海外でプレーするにあたって、大変だったことは?
小倉: まず生活していかなくてはいけないので、言葉がある程度できないと練習にも入っていけない。当時は海外に行く選手も少なくて、何を準備していけばいいのか、自分自身も送り出すクラブもわからない。その点は苦労しましたね。
 しかも日本は「サッカーがヘタな国」と思われているので、最初は全くボールをくれなかった。点を獲って「アイツ、うまいじゃないか」と思わせることで、だんだんとボールが集まるようになってきましたね。もちろん、こちらからもアピールははっきりしないとボールは来ない。もともと自己主張はするタイプだったんですけど、より「オレはここにボールがほしい」と要求するようになりました。向こうは正直、ミスをしても謝るような文化はない。だから、相手が反論してきても「いや、違う」と自分の言い分を通すようにはしていました。

二宮: その後、日本に戻って代表入りもするわけですが、私が一番印象に残っているのはキリンカップのフランス戦(94年5月)。カズ(三浦知良)と組んで、代表初ゴールを決めました。
小倉: でもあの時はフランスとのレベルの違いにビックリしましたね。フランスはエリック・カントナを中心にベストメンバーで日本にやってきた。世界のトップクラスはこんなサッカーをするんだと思い知らされました。ボールを獲りにいって獲りにいけないのではなくて、獲りにいくことさえも許されなかった。その中で点が獲れたというのは、大きな自信になりました。

二宮: 誰もが日本に新しいスターが誕生したと期待した矢先、アトランタ五輪最終予選の直前に大ケガを負ってしまいました。
小倉: その時はキャプテンが前園(真聖)で僕が副キャプテン。絶対に最終予選は僕らが引っ張って五輪に連れて行くんだと、すべてを賭けていました。ところが紅白戦の最後の時間帯でクロスボールに対してヘディングで競り合った時にバランスを崩してヒザが逆に曲がってしまった。その瞬間に「絶望だな」と感じました。

二宮: 右足後十字靭帯の断裂。相当、痛かったでしょう?
小倉: 痛みよりもショックで記憶が飛びましたね。ドクターが来て、ヒザが完全に抜けていたのは覚えているんですけど、そこからのことは記憶がとびとびです。病院で検査をしてホテルに戻って、部屋でひとり泣いたことだけは覚えています。自分のサッカー人生の中でも、あのケガは大きなターニングポイントになりましたね。

 次回(17日放送)は、小倉さんに南アフリカで日本代表が対戦するカメルーン、オランダ、デンマークの戦力分析をしていただきます。どうぞ、お楽しみに!