元気が湧いてくるボクシング映画が誕生した。このほど全国ロードショーとなった映画『ボックス!』。『ROOKIES』などでも有名な人気俳優・市原隼人がボクシングに挑戦した作品として話題になっている。実は主役の市原らと激闘を繰り広げる最大のライバル役は、現役プロボクサーが演じた。ピューマ渡久地ジムに所属する諏訪雅士選手だ。プロが相手役を務めただけに、映画の中で何度も出てくるファイトシーンは見ごたえ十分。本人に撮影の舞台裏などを聞いてみた。
(写真:無敗の超高校級ボクサーを演じた諏訪選手)
『ボックス』は人気テレビ番組『探偵!ナイトスクープ』も手がけた作家・百田尚樹氏による同名小説が原作。高校生ボクサーの成長を描いた青春物語だ。天才的なボクシングセンスを持つ主人公の“カブ”こと鏑矢義平(市原)は、幼馴染の優等生・“ユウキ”こと木樽優紀(高良健吾)と偶然の再会を果たし、自らが所属するボクシング部に誘う。変則スタイルで連戦連勝を重ねるカブと、基礎を1から習得し、着実に力をつけたユウキ。そんな2人の前に立ちふさがったのが、諏訪演じる“浪速のレボリューションX”こと稲村だった。

 当初、物語で重要な役割を果たす稲村役には名のある俳優がキャスティングされる予定だった。しかし、映画にリアリティをもたせるには“リアルファイト”が必要――。そんな制作者サイドの意図もあり、現役ボクサーである諏訪にも声がかかったのだ。
「最初、ジムの会長経由でお話をいただいた時には(昨年の)12月に試合があったので“試合を優先したい”と返事をしたんです」
 一度は難色を示したオファーだったが、諏訪の映像を見た李闘士男監督の目に留まり、実際に面談をすることになった。そして、その場であっという間に出演が決定。2月から約1カ月間の撮影に臨んだ。

 当然、これまで俳優経験はない。もっとも難しかったのは演技だ。冷徹なボクサーという設定の稲村はセリフこそ少ないものの、ポイントポイントで登場し、カブやユウキたちを睨みつけたり、不敵な笑みを浮かべる。
「表情をつくるのが難しかったですね。監督さんが親切丁寧に演技指導をしていただいたおかげです。初めての撮影シーンでは瞬きもしちゃいけないのかと思って、ずっと目を開けていたら、だんだん涙目になってしまって……(笑)」
 そんなハプニングも乗り越え、完成した映像では難しい役まわりを見事にこなしている。明るくヤンチャなカブ、まじめなユウキと、感情を表に出さない稲村のコントラストは物語をより際立たせた。

 本職のボクシングシーンでも苦労はあった。「相手は俳優さん。当てないように気を遣っていたら、監督から“本当に当てないとウソになるから”と言われました」。とはいえプロボクサーは目の前の敵を倒すのが仕事だ。練習を積んでいるとはいえ“素人”の俳優を本気で殴ってしまえば、大変なことになってしまう。「力の加減が難しかったです。握らないで素早く当てることを心がけました」。それでも長年、拳を磨いてきたプロのパンチが痛くないわけがない。しかも今回の映画では、俳優の顔が映りやすいように一般のアマチュアボクシングと比べて防御面積の少ないヘッドギアを使用した。共演者の顔にはアザができ、鼻血も出た。ボディが当たって相手が吐いてしまったこともあったという。

 それでも“本物のボクシング映画をつくりたい”という全員の熱意が撮影を前へと進めた。
「12月の終わりごろから、一緒にトレーニングをしていたんですけど、どんどん上達して、最後はボクシングの形ができていました。気持ちも完全にボクサーになっていましたよ」
 撮影の合間には腕立て伏せをし、絶えず体を鍛える市原たちの姿には刺激を受けた。

 映画のハイライトはクライマックスのカブとの対決だ。ここでは最後のラウンドの2分間がワンカットで収められている。「市原くんも本気で殴って、僕も気持ちは本気で打つ。もし途中でどちらかが倒れても仕方がないという撮影だったんです」。たった2分間とはいえ、観る者を飽きさせないボクシングをみせるのはプロ同士でも簡単なことでない。このシーンの撮影に向けて、元日本王者の田端信之氏による指導の下、市原とこう来たら、こう返すというシミュレーションを幾度となく繰り返した。

 加えて撮影となると、リング内の映像から、見守る役者たちの反応、エキストラの観客の様子までをカメラで収めなければならない。単なる試合であれば2分間で終了するところを、別の角度から撮るために何度も同じ動作を繰り返す必要がある。したがって、わずか1Rを撮り終えるのに何時間も必要とした。朝9時にスタートして、休憩を挟みつつ、終了は深夜。そんな過酷な状況下で、2人は拳を合わせ続けた。
「だから撮影の合間にいかに集中力を抜くかが大切でした。ここはボクシングとの大きな違いでしたね。共演の筧(利夫)さんにも、“共演者と冗談言ったり、しゃべっていたほうがリラックスできるから”とアドバイスをいただいたり、皆さんに温かく受け入れていただいたのが良かったです」
(写真:「いつからか現場では(役名の稲村から)“イナムー”と呼ばれていました」と笑顔をみせる)

 その甲斐あって、2人のファイトはラストを締めくくるにふさわしい迫力満点の内容となっている。
「お互いに通じるモノがありましたね。それまでも市原くんとは何度か試合の撮影をしたんですけど、本当に最後の最後で息がピッタリ合った感じがしました」
 実はこの試合、原作とはやや異なる形で終わりを告げる。だが、2人が殴り合う中で自然と出た動作や表情は、「これが本当のボクシングだから」とそのまま作品の中で採用された。2人が拳と心をぶつけた2分間は、台本までも書き換えてしまったのだ。だがむしろ、それが必然のエンディングだったかのように観る者はスクリーンに引き込まれる。

 現在、諏訪は現役ボクサーとして、さらなる高みを目指そうとしている。クランクアップ後に行われた4月22日の試合では、スーパーライト級で大澤陽介(大橋)と対戦。原作者の百田氏、主役の市原らも応援に駆け付けた。しかし、2Rに相手の右を浴び、左目上をカット。「精神的に焦ってしまった」と、なかなか持ち味を出し切れないまま、6R途中で出血が止まらず、レフェリーに試合を止められた。

 最強高校生ファイターを演じた諏訪だが、実際にボクシングを始めたのは20歳を過ぎてから。高校時代の友人の試合を見に行くうちに、体を鍛えようと思い立ち、ジムに入った。そこでボクシングを一から教えてくれたのが、当時トレーナーを務めていたピューマ渡久地氏だった。デビューは23歳の時。ここまでの戦績は9勝(4KO)8敗1分だ。
「勝った時と負けた時の気分は雲泥の差。勝った時の快感は最高ですけど、負けた時は“オレってボクシングに向いていないのかな”と自信がなくなる」
 リング上は決して言い訳のきかない場所である。肉体、技術、頭脳、精神……。相手との差は白黒はっきりと結果になって出る。敗戦から立ち直るため、気力を高めることは容易ではない。

「やっぱり無敗のボクサー役だったので、勝てないと恥ずかしい。今年中になんとか復活して輝きたいです」
 映画出演はリングに上がるモチベーションを確かに与えてくれた。それだけではない。ボクサーとしての幅も広がった。諏訪はオーソドックススタイルだが、稲村はサウスポー。撮影中は普段と異なる左構えに取り組んだ。「まだ実戦でスイッチしたことはないんですけど、これから練習で試していけばバランスもよくなると思う」。この6月には30歳。スクリーン以上の輝きを放つべく、次なる試合に向けたゴングはもう高らかに鳴っている。

 映画『ボックス』は現在、全国の東宝系映画館で好評公開中。

(石田洋之)