ハンドボール日本代表でスペイン1部リーグのアルコベンダスでプレーしていた宮大輔選手が3日、都内で帰国会見を開き、古巣の日本リーグ・大崎電気に復帰することを表明した。宮は「体も前より大きくなった。ハンドボールを昨年以上に知ることができた」とスペインでの収穫を報告。その上で「ハンドボールをメジャーにするためにも五輪に行くことが最大の目標」と、来年に迫ったロンドン五輪予選を見据えた日本復帰であることを説明した。
(写真:「これからはハンドボールです!」とポーズをとる宮)
 日本のエースがひとまわり大きくなって帰ってきた。世界最高峰のスペインリーグに日本人男子初の移籍を果たして1年、その日々は「思っていた以上に厳しいものだった」。まずはクラブ内での競争があった。最初は極東の島国から来た小柄なプレーヤーにチームメイトがボールをまわしてくれない。「ストレスがたまってイライラした」。それでも持ち味のスピードを武器に徐々に頭角を現し、リーグ開幕戦では途中出場。15分間で3得点をあげた。

 首脳陣や仲間からの信頼を得た後は、敵との戦いが待っていた。スペインリーグには身長2メートルを超える選手がゴロゴロいる。175センチの宮とはリーチ差は歴然。当然、フィジカルコンタクトも日本のそれとは比べ物にならない。体がついていかず、開幕から2カ月経った11月には足を肉離れした。個々人のスキルの高さにも面食らった。「みんな、いつ来るのか、いつパスを出すのか分からない」。そして、何より弱肉強食の世界で戦うためのハートが違った。
「海外の選手はアップのランニングから競争をしている。ウォーミングアップでフットサルをやったことがあったのですが、そこでもケンカになるくらい。僕はサッカーがうまくないので、守備ができなくてめちゃくちゃキレられました(笑)。この負けず嫌いなところが日本とは違うと感じましたね」

 生き残るためには自らの技を磨き、わずかな出場時間で結果を出すしかない。大きな相手に対抗しようと編み出したのが“ステップシュート”だ。まっすぐ前に足を踏み込んで放つ通常のシュートでは、高いディフェンスにはじき返されてしまう。そのため、サイドに踏み出して相手をかわし、ディフェンダーの横をすり抜けるようにシュートする。「ドッジボールのようにすばやく投げるんです」と本人は明かす。体の小ささを逆に生かした攻撃スタイルだ。

「監督からは“オマエが攻めるからこそ横にスペースが空く。だからまずパスを考えるんじゃなくて、オマエの鋭いフェイント、シュートを出すんだ”と言われました。当たり前のことだけど、今までそれができていなかった自分がいたことに気付きました」
 ゴールへの執着心も高まった宮はシーズンを終わってみれば、目標としていた100得点を突破(104得点)。開幕時には誰も知らなかった日本人にマンツーマンでディフェンスがついた時、ようやく自分が認められたと感じた。アルコベンダスも後半に巻き返し、10勝5分15敗でクラブ史上最高の9位に入った。

 宮はアルコベンダスの街でも新聞の1面を飾る存在になっていた。クラブ側は実績を残した東洋のハンドーボーラーに残留を希望していた。「悩みました。もう1年いたら、もっと良さを見せていける。おもしろいだろうなと思いましたから」。だが、宮はスペインに渡った目的を忘れてはいなかった。「個々で鍛えたことをスペインから持ち帰るのが僕の仕事」。移籍が決まった際にはそう話していた。夢の五輪出場へ向けた予選まで1年ちょっと。「若いメンバーも(代表に)入ってきている。彼らをもっと知らなくてはいけない。彼らをどう生かすか、そして自分がどう生きるか。個人からチームを考える時期にきている」。だからこそスペインでの修行を終え、日本に戻る決意をした。

 プレーの場は昨年4月まで5年間、在籍していた大崎電気。宮が抜けた09−10シーズンは5位に沈み、プレーオフ進出を逃した。「5年間プレーしてやり残したこともあった」。その大きなひとつが4冠(全日本実業団、国体、日本リーグ、全日本総合)達成だ。凱旋試合は4日に開幕するジャパンカップ(東京体育館)。日本代表の一員として韓国とも激突する。“中東の笛”で注目を集めた北京五輪予選の再試合でも敗れ、涙を飲んだ宿敵だ。「スペインで韓国を倒す自信はつけた。日本代表にそれをプレーで伝えていきたい」。2012年のロンドン五輪では31歳。「これで最後とは思っていないが、次のロンドンが自分の一番いい時期と思っている」。ハンドボール界の開拓者は悲願達成へ、今度こそ道を切り拓く。

(石田洋之)