約3週間お世話になったジョージとも別れのときがやってきた。
 おいしい中華料理があるというので、ライターの先輩たちとジョージ最後の晩餐だ。
 卵スープからスタートして、肉や海鮮の炒め物、そしてチャーハンと日本で食べる物とは少し味が違うが、「パン&肉」にだいぶ飽きていただけに中華への懐かしさもあってたらふく食べてしまった。デザートにはチョコレートソースをかけてのアイスクリーム。南アフリカでは自炊が基本だったので、少し贅沢な食事になった。
(写真:日本とパラグアイが戦ったプレトリアの街中。多くのフラッグが飾られて雰囲気を盛り上げていた)
◇6月26日 快適だったジョージでの生活

 スイス遠征を含めると、日本代表の同行取材ももう1カ月。「だいぶ疲れた」とみんな言いながらも、日本代表の快進撃を喜んでいた。きょうは早めに休んでおこう。
 このジョージはとてもいい町だった。安全だし、人は親切だし、明らかに他の町とは違っていた。日本代表の拠点「ファン・コート」はとても快適だったらしく、岡田監督も「選手が早く帰りたがっていた」と話すほど。日本の躍進に、このジョージという町は欠かせなかったであろう。
 明日からパラグアイ戦の地、プレトリアに移動だ。


◇6月27日 駐車場で立ち往生!?

 ジョージのゲストハウスを引きはらって、午後の便でヨハネスブルクへ移動した。約2時間のフライトはぐっすりと眠ってしまった。僕もだいぶ疲れが来てしまい、最近はいつなんどきでも眠くなってしまう。
 ラステンバーグから空港に向かう際、居眠り運転しそうになったので、この日は一緒に移動するライターさんたちとも協議した結果、タクシー移動が決定。プレトリアまで約1時間で、一人300ランド(3600円ほど)の運賃になる。大きな荷物を積むとさらにお金がかかる。

 こちらのルールはよく分からないのだが、一台でいくらではなく、一人いくらになる場合が多い。南アフリカは乗り合いタクシーなどがよくあるので、おそらくそういう文化から一人支払い制なのだろう。
 迎えにきてもらったのだが、おばさんの車は非常にリトル。その後ろに荷物を載せる台車をつけているのだが、ヨハネスブルクの空港の駐車場から出られなくなってしまった。縦に長すぎて、2つあるゲートにはさまってしまったのだ。みんなで手伝って車と台車を引き離してから、台車はみんなが持って移動した。タクシー移動は楽かと思っていたが、まさかこんな事態が待っているとは……。

 1時間かけてプレトリアに移動。ビルも立ち並び、3つある首都のひとつだという雰囲気はある。だが、裏道に入るとやはり危険そうな雰囲気も漂う。我々は郊外のゲストハウスを予約。ショッピングモールも近くて、住みやすそうだ。周辺を少し歩いてみたが、やっぱりリキュールショップの周りにはこっちをにらみつけてくる人たちもいる。
 フィッシュ&チップスをテイクアウトして、急ぎ足でゲストハウスへ。


◇6月28日 南アフリカ人は意外とW杯を知らない!?

 午後から日本代表の公式練習を取材。試合会場となるロフタス・バースフェルトとは、南アフリカのラグビー選手から名づけたものだという。もともとはラグビー場で、そこを改装して出来たスタジアムだが、少々古い。だが、ピッチの状態はよさそうで、選手たちも一様に「悪くない」と話していた。ただ、これまでのスタジアムより狭くて小さい感じはした。

 練習を終えて、迎えにきてもらったタクシーの運転手さんとライターのS君は、会話で盛り上がっていた。
「みんな南アフリカは危ないっていうけど、どうだい? そんなことないだろう。どっかの新聞が南アフリカはヘビばかりだというから笑っちゃうぜ」と運ちゃん。
「そうだね。日本が忍者やサムライといわれるように、イメージってあるよね」とS君。

 後部座席で話を聞いていた僕だが、ひとつ気付いたことがあった。
 というのは以前から気付いていたことだが、現地の人は意外なほど今行なわれている大会のことを知らない。
 この運ちゃんも「日本はいいチームだ」といっておきながら「相手はウルグアイだよな」とか「PK戦にいって5人までで決着がつかなかったらどうなるんだ」などと基本的なルールすら怪しい。
 その運ちゃんいわく「日本は強いから勝つよ、絶対に!」。
 まあ、ともかく明日が決戦の日。こちらも気合を入れていこう。

(このレポートは不定期で更新します)

二宮寿朗(にのみや・としお)
 1972年愛媛県生まれ。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、サッカーでは日本代表の試合を数多く取材。06年に退社し「スポーツグラフィック・ナンバー」編集部を経て独立。携帯サイト『二宮清純.com』にて「日本代表特捜レポート」を好評連載中。