1989年のドラフト1位組・野茂英雄と佐々木主浩が揃って殿堂入りを果たした。この2人には共通項がある。ともに日米で活躍していたことに加え、フォークボールという伝家の宝刀を持っているのだ。

 同年のドラフトは当たり年で、広島は単独で佐々岡真司を指名し、獲得した。佐々岡の通算成績は138勝153敗106セーブ。成績だけを見れば、将来的には殿堂入りの可能性ありだ。

 野茂と佐々木がフォークボールなら佐々岡はシンカーだ。カーブのように大きく、しかも鋭く軌道を変えるものだから、バッターは手を焼いた。

 同期入団の1位組には西武の潮崎哲也もいる。潮崎のスライダーは「視界から消える」と言われた。UFOのように浮いてから沈むのだ。あの清原和博をして「敵じゃなくてよかった」と言わしめたのは有名な話である。

 この頃のルーキーは皆、オンリーワンの変化球を持っていた。ソウル五輪日本代表投手コーチ、バルセロナ五輪日本代表監督の山中正竹は「ストレートは150キロ以上。変化球は空振りがとれる。これができないと代表には入れない」と明言していた。

 当時の日本代表は社会人野球が主体で、もちろんオール・アマチュアだった。最大の敵はキューバ。山中が言うようにスピードボールと空振りのとれるウイニング・ショットがなければ太刀打ちできなかったのだ。

 一芸を磨け――。この指導法はプロにも通じると思われる。

(来月からは通常通り二宮清純が第1、3週木曜、書籍編集者・上田哲之さんは第2週木曜を担当します)
◎バックナンバーはこちらから