甲子園に愛された選手
たまたまつけたテレビのチャンネルが「リトルリーグ世界大会」の中継に合っていた。見るともなく見ていると、日本代表のやや小太りのエースが、ひとりだけ抜きん出て速いボールを投げる。ほうー、すごいじゃないのと思っていたら、こんどは打席に入って、特大のホームラン。これは、飛距離94メートルの大会史上最長アーチと報道された。
そう。あの清宮幸太郎(早実)が、東京北砂リトルでリトルリーグ世界一になったときの話である。
彼はあのとき「和製ベーブ・ルース」と呼ばれた。投げては豪速球、打っては大ホームラン、というだけでなく、体型や容姿も、どこかベーブ・ルースを彷彿させるものがあったのでしょうね。
あの子はどこの高校に行くのかな、と思っていたら、早稲田実業だった。で、入学してから、今夏の甲子園での活躍までは、もうご承知のとおり。
ただ、今夏の甲子園を見ていると、リトルのときの清宮くんのほうが振りが鋭かったような気がするのは、思いすごしでしょうかね。ともあれ、中村剛也(埼玉西武)を左にしたような感じとでも言うのか、やわらかい構えから、自然にステップしてスイングする。
東海大甲府戦で、菊地大輝の真ん中に入るチェンジアップを右中間へ放り込んだ一発など見ると、つい、甘いから打てた、とへらず口を叩きたくもなるが、やはり、のがさずホームランにする能力は、すばらしいと言うべきだろう。
早実は、決して西東京で圧倒的に強かったわけではない。それでも、1年の夏から甲子園に出場して活躍するのだから、彼は「甲子園に愛された選手」と言える。
日本野球の場合、野球選手は「甲子園に愛された選手か、愛されなかった選手か」という二分法が成り立つ。愛されなかった大選手の代表例をいえば、たとえば野茂英雄があげられるだろう。
先日、甲子園を沸かせた同窓の先輩、後輩対決があった。8月26日の西武−北海道日本ハム戦は、西武の先発が菊池雄星、日本ハムは大谷翔平。花巻東の先輩、後輩である。
甲子園がより愛したのは先輩・菊池だろう。まだ、全国区の野球名門校とはいえなかった岩手の私立校は、菊池の出現で、一気に有名校になった。なにしろ、印象的な名前を持つ少年が、左腕から150キロを超える速球をくり出して、センバツを勝ち進んだのである。人気は一気に過熱した。
とくに夏。騒がれるだけ騒がれて、故障し、最後は思うように投げられなくなり、涙とともに去っていった姿は、もはやアイドル的な人気を背負っていた。
対する後輩の大谷も甲子園には出場したけれども、菊池ほど愛されたわけではない。
よく知られるように、3年のセンバツで大阪桐蔭と当たり、相手エース・藤浪晋太郎(阪神)からホームランを打った。このときの大きく美しいアーチはいまだに脳裏によみがえる。しかし、試合は敗退。夏は予選で160キロを出して話題になったが、出場はできなかった。
現在の投手としての力は、大谷のほうが上である。注目の対決は、1回表裏の攻防がすべてだった。
1回表。大谷は2死3塁で、西武の4番・中村を打席に迎える。ちなみに7月24日には、中村は大谷から満塁ホームランを打っている。
(1)内角高め 158キロ ボール
(2)内角高め 158キロ 空振り
(3)真ん中高め 158キロ 空振り
(4)外角低め 161キロ ファウル
(5)外角低め 161キロ ボール
(6)フォーク 高めに抜けてボール
(7)外角高め 160キロ ファウル
(8)フォーク 高め 空振り三振!
とくにコメントの必要はないだろう。まず近めを攻め、ついで外角。ひたすら160キロ超の速球で相手4番を、もっといえば現在のホームラン王を牛耳ろうとしている。
中村もファウルで粘るので、最後はフォークで三振にうちとった。いわば、日本一のホームラン打者を、日本一の速球でねじ伏せるという意志を、あらわに示した対決だった。
一方の菊池は、立ち上がりが不安定である。先頭の陽岱鋼に11球粘られてセンター前へ運ばれたのが痛かった。それから無死満塁となり、打席は4番・中田翔。(両チームとも、4番は大阪桐蔭の先輩、後輩)
(1)外角低め 149キロ ストライク
(2)外角高め 150キロ ファウル
ここまではよかったのだが、
(3)外角低め チェンジアップ ボール
(4)内角低め スライダー ボール
(5)真ん中高め 149キロ レフトオーバーのタイムリー。
レフトフェンス直撃、あわや満塁ホームランという、火の出るようなライナーだった。
2ストライクをとったあと、外、内と変化球で攻めた。発想はうなずけるし、ボール自体も悪くはなかった。ただ、いずれも少しだけはずれた。そして、最後に苦しまぎれに投げたストレートが中に入ってしまった。打たれた理由は、明確である。
菊池のプロ入り1年目に、インタビューしたことがある。2軍戦の登板でも黒山の人だかりという人気だったが、思ったよりも小柄に見えたことが印象に残っている。この体で、甲子園で150キロ出したのか、と感心した(今季の資料によれば、184センチ、98キロだが)。
しかし、彼のプロ人生は順風満帆とはいかなかった。むしろ、甲子園のピークにどのようにして戻すか、と苦闘しているようにさえ見えた。
それでもチェンジアップを覚え、少しずつ勝てるようにもなってきた。
たとえば、中田への初球。おそらく、俗に「まっスラ」と呼ばれる、ストレートが手元で自然に少しスライドするような149キロである。コースといい、ボールの伸びといい、見ていて気持ちいい。
ただ、菊池には、どうしてもあの夏投げた、155キロの幻影を見てしまう。見る者の勝手な都合にすぎないのだが、それがあそこまで甲子園に愛された選手の宿命、というのは感傷的にすぎるだろうか。
菊池ほどには愛されなかった大谷には、これからさらに成長していく未来だけがあるように見える。それを昇りつめていこうとする意志を、われわれは観賞すべきなのだろう。
菊池は甲子園から続く「未完の物語」である。物語は、はたして完成するのだろうか。確信はもてない。1回は無死満塁から3失点、2回から6回まではじつは無失点に抑えている。彼の投球は、達成感と背中合わせのあやうさを秘めているのだ。そこまで含めて甲子園がつくった魅力である。
さて、清宮はどうなるのだろう。
彼に対する、いわば“国民的期待”には、すさまじいものがあった。1年生が、大会前からこれだけ騒がれたのは、史上初のことだろう。
ただ、ときおり思うことがある。
同じ1年生の夏でも、大阪桐蔭の中田翔のほうが、もっと魅力的だったんじゃないだろうか。
圧倒的なスイング、腰から下半身にかけての体の張り。中田には、思わず引きこまれるような剛の魅力があった。その点、清宮は、むしろ柔軟で、賢明さが目立つ。何でも引っ張るのではなくて、ホームランも打つけれど、センター前にヒットも放つ。
もしかしたら、愛され方が違うのかもしれない。中田は、甲子園に出場してから人気になった。むしろ注目されていたのは4番を打つ3年の平田良介(中日)のほうだった。でも、5番の1年生のほうが、スイング自体に、見る者の視線を奪うだけのアウラがあった。
清宮には、あらかじめ、見る側が無意識的に用意した成功物語がある。否応なくそうなってしまった状況で、とりあえず、1年の夏は「物語」の期待に十分に応えてみせた。それだけでも、とてつもない才能だというべきであろう。
でも、1年生の中田に感じたアウラまであったとは思わない。それは、これから彼が2年生、3年生となっていくうちに、何らかの形で、その「成功物語」を打ち破ったときに、身につくものではないだろうか。
上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
そう。あの清宮幸太郎(早実)が、東京北砂リトルでリトルリーグ世界一になったときの話である。
彼はあのとき「和製ベーブ・ルース」と呼ばれた。投げては豪速球、打っては大ホームラン、というだけでなく、体型や容姿も、どこかベーブ・ルースを彷彿させるものがあったのでしょうね。
あの子はどこの高校に行くのかな、と思っていたら、早稲田実業だった。で、入学してから、今夏の甲子園での活躍までは、もうご承知のとおり。
ただ、今夏の甲子園を見ていると、リトルのときの清宮くんのほうが振りが鋭かったような気がするのは、思いすごしでしょうかね。ともあれ、中村剛也(埼玉西武)を左にしたような感じとでも言うのか、やわらかい構えから、自然にステップしてスイングする。
東海大甲府戦で、菊地大輝の真ん中に入るチェンジアップを右中間へ放り込んだ一発など見ると、つい、甘いから打てた、とへらず口を叩きたくもなるが、やはり、のがさずホームランにする能力は、すばらしいと言うべきだろう。
早実は、決して西東京で圧倒的に強かったわけではない。それでも、1年の夏から甲子園に出場して活躍するのだから、彼は「甲子園に愛された選手」と言える。
日本野球の場合、野球選手は「甲子園に愛された選手か、愛されなかった選手か」という二分法が成り立つ。愛されなかった大選手の代表例をいえば、たとえば野茂英雄があげられるだろう。
先日、甲子園を沸かせた同窓の先輩、後輩対決があった。8月26日の西武−北海道日本ハム戦は、西武の先発が菊池雄星、日本ハムは大谷翔平。花巻東の先輩、後輩である。
甲子園がより愛したのは先輩・菊池だろう。まだ、全国区の野球名門校とはいえなかった岩手の私立校は、菊池の出現で、一気に有名校になった。なにしろ、印象的な名前を持つ少年が、左腕から150キロを超える速球をくり出して、センバツを勝ち進んだのである。人気は一気に過熱した。
とくに夏。騒がれるだけ騒がれて、故障し、最後は思うように投げられなくなり、涙とともに去っていった姿は、もはやアイドル的な人気を背負っていた。
対する後輩の大谷も甲子園には出場したけれども、菊池ほど愛されたわけではない。
よく知られるように、3年のセンバツで大阪桐蔭と当たり、相手エース・藤浪晋太郎(阪神)からホームランを打った。このときの大きく美しいアーチはいまだに脳裏によみがえる。しかし、試合は敗退。夏は予選で160キロを出して話題になったが、出場はできなかった。
現在の投手としての力は、大谷のほうが上である。注目の対決は、1回表裏の攻防がすべてだった。
1回表。大谷は2死3塁で、西武の4番・中村を打席に迎える。ちなみに7月24日には、中村は大谷から満塁ホームランを打っている。
(1)内角高め 158キロ ボール
(2)内角高め 158キロ 空振り
(3)真ん中高め 158キロ 空振り
(4)外角低め 161キロ ファウル
(5)外角低め 161キロ ボール
(6)フォーク 高めに抜けてボール
(7)外角高め 160キロ ファウル
(8)フォーク 高め 空振り三振!
とくにコメントの必要はないだろう。まず近めを攻め、ついで外角。ひたすら160キロ超の速球で相手4番を、もっといえば現在のホームラン王を牛耳ろうとしている。
中村もファウルで粘るので、最後はフォークで三振にうちとった。いわば、日本一のホームラン打者を、日本一の速球でねじ伏せるという意志を、あらわに示した対決だった。
一方の菊池は、立ち上がりが不安定である。先頭の陽岱鋼に11球粘られてセンター前へ運ばれたのが痛かった。それから無死満塁となり、打席は4番・中田翔。(両チームとも、4番は大阪桐蔭の先輩、後輩)
(1)外角低め 149キロ ストライク
(2)外角高め 150キロ ファウル
ここまではよかったのだが、
(3)外角低め チェンジアップ ボール
(4)内角低め スライダー ボール
(5)真ん中高め 149キロ レフトオーバーのタイムリー。
レフトフェンス直撃、あわや満塁ホームランという、火の出るようなライナーだった。
2ストライクをとったあと、外、内と変化球で攻めた。発想はうなずけるし、ボール自体も悪くはなかった。ただ、いずれも少しだけはずれた。そして、最後に苦しまぎれに投げたストレートが中に入ってしまった。打たれた理由は、明確である。
菊池のプロ入り1年目に、インタビューしたことがある。2軍戦の登板でも黒山の人だかりという人気だったが、思ったよりも小柄に見えたことが印象に残っている。この体で、甲子園で150キロ出したのか、と感心した(今季の資料によれば、184センチ、98キロだが)。
しかし、彼のプロ人生は順風満帆とはいかなかった。むしろ、甲子園のピークにどのようにして戻すか、と苦闘しているようにさえ見えた。
それでもチェンジアップを覚え、少しずつ勝てるようにもなってきた。
たとえば、中田への初球。おそらく、俗に「まっスラ」と呼ばれる、ストレートが手元で自然に少しスライドするような149キロである。コースといい、ボールの伸びといい、見ていて気持ちいい。
ただ、菊池には、どうしてもあの夏投げた、155キロの幻影を見てしまう。見る者の勝手な都合にすぎないのだが、それがあそこまで甲子園に愛された選手の宿命、というのは感傷的にすぎるだろうか。
菊池ほどには愛されなかった大谷には、これからさらに成長していく未来だけがあるように見える。それを昇りつめていこうとする意志を、われわれは観賞すべきなのだろう。
菊池は甲子園から続く「未完の物語」である。物語は、はたして完成するのだろうか。確信はもてない。1回は無死満塁から3失点、2回から6回まではじつは無失点に抑えている。彼の投球は、達成感と背中合わせのあやうさを秘めているのだ。そこまで含めて甲子園がつくった魅力である。
さて、清宮はどうなるのだろう。
彼に対する、いわば“国民的期待”には、すさまじいものがあった。1年生が、大会前からこれだけ騒がれたのは、史上初のことだろう。
ただ、ときおり思うことがある。
同じ1年生の夏でも、大阪桐蔭の中田翔のほうが、もっと魅力的だったんじゃないだろうか。
圧倒的なスイング、腰から下半身にかけての体の張り。中田には、思わず引きこまれるような剛の魅力があった。その点、清宮は、むしろ柔軟で、賢明さが目立つ。何でも引っ張るのではなくて、ホームランも打つけれど、センター前にヒットも放つ。
もしかしたら、愛され方が違うのかもしれない。中田は、甲子園に出場してから人気になった。むしろ注目されていたのは4番を打つ3年の平田良介(中日)のほうだった。でも、5番の1年生のほうが、スイング自体に、見る者の視線を奪うだけのアウラがあった。
清宮には、あらかじめ、見る側が無意識的に用意した成功物語がある。否応なくそうなってしまった状況で、とりあえず、1年の夏は「物語」の期待に十分に応えてみせた。それだけでも、とてつもない才能だというべきであろう。
でも、1年生の中田に感じたアウラまであったとは思わない。それは、これから彼が2年生、3年生となっていくうちに、何らかの形で、その「成功物語」を打ち破ったときに、身につくものではないだろうか。
上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。