目の前に、一枚のスポーツ新聞の切り抜きがある(このネット時代に、切り抜きかよ、とか言わないこと!)

1面いっぱいを使って、秋山翔吾(埼玉西武)のバッティングの連続写真が13枚掲載されている(「日刊スポーツ」7月17日付)

 ほれぼれする美しいフォーム

解説は、かの篠塚和典さん。シブい人選だ。しかも、詳細で非常に説得力がある。まず<(2)から(7)までトップの位置が全く変わっていない>。つまり、ステップする右足を上げ始めて(2)から、着地してバットがトップの状態(7)になるまで、バットの位置が全くブレない。

それから<軸足である左足の膝頭。(中略)角度と位置が変わっていない>。言われて、あらためて連続写真を見れば、たしかにその通り。<本当にほれぼれするフォーム>と結んでいる。

いや、本当に、何度見ても美しいのですよ。この13コマの連続写真は。

ご承知の通り、秋山は、シーズン216安打という史上1位の大記録を達成した。現在、日本一の安打製造機といっていいだろう。ところで、彼の昨年の安打数を知っていますか?  123安打である。要するに、今季突如として、ものすごい才能が、わが日本球界に出現したのである。

今年の秋山に何が起きたのか? 誰もが抱く疑問である。よく言われるのは、今季からバットを寝かせて構えるようにしたので、スムーズにボールを捉えられるようになった、ということ。じつは、本当にそれだけでこんなに化けるものだろうか、と半信半疑だった。もっとなにかあるんじゃなかろうか。

ただ、彼が入団した2011年に2軍打撃コーチ、13年からは1軍打撃コーチとして接してきた田辺徳雄現監督のコメントで、私は納得しました。田辺監督によれば、入団時から3割を打つ素質はあったが、引っ張る傾向が強くて反対方向へのヒットが出なかった。

<それを今季からバットを寝かせたことで「点」で打っていたのが「線」になった。反対方向にも安打できるようになった>(「スポーツニッポン」9月14日付)のだそうだ。

この解説を裏付けるように、千葉ロッテの捕手・田村龍弘は<今季は追い込んでからの内角球を逆方向に打たれた>(「スポーツニッポン」10月2日付)と証言している。

ボールは「点」ではなく、「線」で捉えろ、とはよく言われる打撃の極意だが、「寝かせる」というひとつのきっかけで、トップの位置、軸足の角度、そしてそこから生み出されるステップとスイングと、すべてが理想状態に限りなく近づいていった、ということだろう。それにしても、216安打という途方もない記録にふさわしい、しなやかなステップと、鋭くも美しいスイングだ。

今季のペナントレースを見ていると、秋山がその象徴なのだが、これまで明確には表に出ていなかったものすごいものが、一気に顕在化してきた観がある。。「露わになった才能の噴出」とでも言うべきか。

たとえば、トリプルスリーをほぼ確実とし、かつ三冠王の可能性まで見せてくれた山田哲人(東京ヤクルト)もその典型だろう。彼のホームランは、その多くが神宮球場なら中段にまで届く。ヒットや盗塁はもちろんだが、球場が狭いから獲れたホームラン王(たぶん決まりでしょう)ではないのだ。

日本野球といえば、たとえばダルビッシュ有(現レンジャーズ)、田中将大(現ヤンキース)、大谷翔平(北海道日本ハム)、あるいは金子千尋(オリックス)、前田健太(広島)というふうに、常に投手に大きな才能が出現し続けてきた。それが、特有の文化でもあるのだが、今年は山田と同じくトリプルスリーを達成した柳田悠岐(福岡ソフトバンク)を含め、3人もの、まれにみる才能をもつ打者の存在が露わになった。その意味で、プロ野球の歴史に一つの画期をなす年、と言ってもいい。

 攻撃的2番を置く“普通じゃない”采配

顕在化したのは、打者だけではない。

福岡ソフトバンクの、他を圧する圧倒的な強さも、露骨なまでにはっきりした(去年は、最後までオリックスとせり合いましたからね)。

そしてもう一つ、東京ヤクルトにもふれておきたい。川端慎吾、山田、畠山和洋と続く2、3、4番の破壊力ももちろん逸することができないが、真中満新監督の采配も「出現した」というにふさわしい。

一例をあげる。9月27日の巨人戦。この段階で、巨人、ヤクルトが優勝争いを演じており、この直接対決に勝てば圧倒的に優勝に近づける、という勝負の一戦である。

ヤクルトは中4日で先発させた石川雅規を5回まで投げさせると、6回からは、秋吉亮1回、オーランド・ロマン1/3回、久古健太郎2/3回、ローガン・オンドルセク2/3回、クローザーのトニー・バーネットは回またぎの1回1/3で、2-1で逃げ切ってみせた。

中継ぎ、抑えを、早め早めにつぎこむ。まさに、投手交代という名の攻撃であった。

近年、強いチーム作りの必要条件として、しばしば、中継ぎ、抑えを充実させることが挙げられる。たとえば、昨年、最後までソフトバンクと優勝を争ったオリックスがそうだった。豊富な中継ぎ陣を次々につぎ込んで勝つ森脇浩司監督の手腕は、高く評価された。

一転して、今季のオリックスは、おそらくは去年の疲労もあって中継ぎ陣が機能せず、低迷して森脇監督の休養に至ったのは、ご承知の通りだ。中継ぎの重要性は重々認めつつも、個人的には常にそういうリスクと背中合わせの戦略ではないかと考える。

ヤクルトも、最後の3イニングを、ロマン、オンドルセク、バーネットで勝ってきた面はある。その事情はわかったうえで、それでも、27日の継投は、通常の中継ぎ起用とは、思想が一線を画していたと言いたい。年に一度しか使えないような、ものすごい奇策だった。そういう発想を表現できる采配なのだ。

もう一つ、よりわかりやすい例をあげる。9月29日の広島戦である。この日のヤクルトはマジック1で、勝てば優勝である。広島に2-4と2点リードを許した8回表。広島はなおも2死三塁と攻めて打席は1番丸佳浩。

ここで、なぜか敬遠なのである。えっ? じゃあ、2死一、三塁にして2番菊池涼介と勝負するの?? ところが菊池も敬遠したのである! 2死満塁。3番の打順には、この日7回から登板したセットアッパーの大瀬良大地が入っていた。

広島は、やむなく代打・小窪哲也を送る。結果は三振したけれども、小窪だって、今季3割を超える代打成功率を誇る切り札だ。それでも、あえて2人敬遠して満塁にしてまでも、大瀬良をひっこめさせた。相手クローザー中崎翔太の登球回を無理矢理2回にさせて、動揺を誘い、つかまえようという作戦だろう。結果的には、中崎が2回を抑えきったけれども。

いずれも相当なギャンブルである。ただし、この2つの采配には、勝負に出たときの指揮官の尖鋭な決意がみなぎっている。見るに値する発想と言うべきだ。

新監督というのは、多くの場合、就任時に、機動力を使って、細かい野球をやりたい、と抱負を述べるものだ。しかし、真中監督が開幕から2番に据えたのは、川端である。ペナントレース終盤の勝負所にきても、依然、川端は2番である。

川端は、今季、山田と首位打者を争う強打者だ。それを2番に置き続けることでも、ありがちな日本人監督の発想との違いを感じさせる。だいたい、首位打者に安易にバントのサインを出すのはもったいないでしょう。個人的な趣味かもしれないが、2番と3番に最強打者を並べる打順が、私は好きなのだ。この「普通じゃなさ」がいいではないか。ついでに、この国に根強い「4番幻想」も打ち破れるし。 われわれは今季、新しい監督の才能の出現も目撃したのである。

その一方で、実はセ・リーグの場合、巨人、阪神という名門2チームの空洞化が進んだ年でもあった。巨人で言えば、杉内俊哉や内海哲也、山口鉄也、あるいは村田修一ら、ここ数年、屋台骨を支えてきた戦力に陰りがみえる。それはまあ、時の流れで仕方のないことだが、その代わりに誰か、出現したと言うにふさわしい才能はいただろうか。事態は阪神も同様で、たとえば、鳥谷敬はがんばっているけれども、今年「出現した才能」といえるほどの選手はいない。

これがね、恐ろしいことに、あの強いソフトバンクは、巨人、阪神を尻目に、さらに「出現」させつつあるのですよ。たとえば、上林誠知。失礼ながら、彼が仙台育英高時代、話題の選手ではあったが、プロで活躍できるとは思わなかった。まさか逆転満塁ホームランを放つようなど派手なデビューを飾るとは。お見それしました。

おそらく、この出現は、必然なのだろう。ひとまず、ソフトバンクの育成システムの勝利と言っておく。

コラムの題名に「哲学」を僭称しているので、たまには哲学っぽいことを書いてみよう。

ジル・ドゥルーズという哲学者がいる。20世紀を代表する哲学者と言われ、『差異と反復』という有名な(難しい)主著がある。解説書もたくさん出ているけれど、個人的には小泉義之さんの『ドゥルーズの哲学』(講談社現代新書→講談社学術文庫)が好きだ。小泉さんはこの本で、ドゥルーズのいう「微分」に注目する。
<微分的なものは、理念的で潜在的である。見えないものである。思考するしかないものである>

もちろん、前後もなく、ここだけ引用しても、なんのことかわからない。乱暴に言い直すことを許していただくなら、真の実在、まあもっといってしまえば、真実は、目に見えている現実そのものではなくて、そこに潜在し、思考することによってのみ現れる、というようなことであろうか。(「学術文庫」近藤和敬さんの解説を参考にしている)

なにもドゥルーズを引っ張り出すことはないかもしれないが、「見えないもの、思考するしかないもの」という言葉に気をつけたいのだ。

もちろん、ここからはドゥルーズから離れますよ。その上で、言いつのるとしたら、上林は、ソフトバンク球団全体の「思考すること」によって、出現したのである。

秋山のバットを寝かすこともしかり、真中監督の采配もしかり。今年、おそらくは日本プロ野球の歴史の転換点に立つような才能が出現したのは、彼らの思考こそが、いわば野球の理想(イデア)を、われわれに顕在化させてくれた、ということではあるまいか。

 

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。


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