レギュラーシーズンの終了を待たずして、オリックス・谷佳知、中日・小笠原道大、和田一浩、東北楽天・小山伸一郎らが相次いで引退を発表しました。この中で、中日時代、同僚だったのが小山です。
 彼はドラフト1位入団の剛球派投手でした。地元(三重県)の出身ということもあって将来を嘱望されたのですが、コントロールが悪く、2005年に楽天にトレードされました。

 プロで芽が出たのは楽天に移ってからです。チェンジアップでストライクをとれるようになってから、安定感が増しました。

 どんなにボールが速くても、ストレート一本槍では通用しません。遅いボールを、どれだけストライクゾーンに勇気を持って投げ込めるか。それが彼の場合はチェンジアップだったのです。

 中日時代はヤンチャで有名でした。コーチに注意されると、プイと横を向いたりしていました。メンタルの弱さがそのままピッチングに表れていました。

 この手のタイプは、プロでは短命に終わるのが常ですが、中日、楽天で計17年間もユニホームを着ることができたのは、我慢することを覚えたからでしょう。中日時代、一番かわいがった後輩だけに、37歳での引退に対し、惜しみない拍手をおくりたいと思います。

 小笠原&和田、フルスイングの原点

 小笠原と和田には共通点があります。パ・リーグ出身の2人とは、彼らが若い頃に対戦しましたが、先輩ピッチャーに臆することなくフルスイングしてきました。

 ピッチャーにとって、フルスイングしてくれるバッターほど嫌なものはありません。あれは僕がプロ入りして間もない頃のことです。藤井寺での西武戦。清原和博さんの“ブーン”というスイング音は一塁側のベンチにまで届きました。“ウワッ、こわ!”と思ったものです。

 小笠原や和田にも、それに近い迫力を感じました。普通、疲れがたまるとスイングスピードが鈍るものですが、彼らにはそれがありませんでした。

 そういえば、2人ともキャッチャーの出身です。キャッチャーは試合中、ずっと立ったり座ったりの繰り返し。しかもカバーのために、一塁まで全力で走らなければならない。体に力がなければ務まるポジションではありません。2人のフルスイングは、下半身の強さがもたらしたものと言えるでしょう。

 通算1927安打の谷は、僕が最も苦手としたバッターです。どこに投げても打たれる気がしました。内から外へと揺さぶりをかけてもフォームが崩れない。オリックス時代にはイチロー以上に警戒していました。

 いずれにしても、対戦経験のある選手がユニホームを脱ぐのは寂しいものです。今後は指導者として、あるいは評論家として第2の人生を歩むことになると思われますが、これまでの経験を大いに役立ててほしいものです。

佐野 慈紀(さの・しげき)
1968年4月30日、愛媛県出身。松山商−近大呉工学部を経て90年、ドラフト3位で近鉄に入団。その後、中日−エルマイラ・パイオニアーズ(米独立)−ロサンジェルス・ドジャース−メキシコシティ(メキシカンリーグ)−エルマイラ・パイオニアーズ−オリックス・ブルーウェーブと、現役13年間で6球団を渡り歩いた。主にセットアッパーとして活躍、通算353試合に登板、41勝31敗21S、防御率3.80。現在は野球解説者。
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