7月29日、一人の育成選手が支配下登録された。千葉ロッテのルーキー山室公志郎だ。高校時代は“関東No.1右腕”との呼び声高かった彼だが、大学時代は人知れず苦しい4年間を過ごした。ようやく4年の春季リーグで初勝利をあげたものの、最後のシーズンとなった秋はベンチ入りすることもできなかった。しかし、彼の素質をロッテのスカウト陣は見逃さなかった。今回の支配下登録は、その一つの答えが出たことを意味するのではないか。
 ドラフト指名後、「少しでも早く支配下登録されること」を第一の目標と語っていた山室。それが達成された今、果たして彼の次なる目標とは……。その答えを求めて浦和球場を訪れた。
―― この度は、おめでとうございます。
「ありがとうございます。本当に急でした……。イースタンで投げ始めたのが6月の半ばからでしたし、今年は支配下に上がるのは無理だろうなと思っていたので、自分でもビックリしています」

 少し照れた表情を見せながら、山室は支配下登録された時の状況を説明してくれた。実は、彼が今回のことを最初に知ったのは、世間と同様、新聞での報道だったという。つまり、ロッテの入団テストを受けていた元メジャーリーガー藪恵壱(現・東北楽天)を見送り、山室を支配下登録する、と言う内容の記事だ。本人もあまりの急な出来事に驚きを隠せなかったという。

「周りは新聞に載っているんだし、大丈夫だろう、なんて言ってくれていたのですが、僕としては球団から何も言われていなかったので、半信半疑の状態でした。そしたら、その翌日に統括から電話がかかってきて、“一応明日、ハンコを持ってきてくれ”と言われたんです。それでも、“一応”でしたから、まだ信じられませんでした」
 ようやく山室が確信できたのは翌日、球団事務所で契約書にハンコを押した瞬間だった。その時、山室は思った。「これでようやくプロ野球選手になれた」と。

 これまでリリーフで起用されていた山室だが、7月20日の巨人戦からは先発を任されている。それもまた、期待のあらわれの一つでもあるのだろう。大学でも秋は登板していない彼が、まっさらなマウンドに立ったのは、実に1年以上ぶり。契約書にハンコを押すときさえも緊張しなかったという山室だが、さすがにこの時ばかりは緊張したという。

「まだ、“試合をつくる”とか言えるほどのピッチャーではないので、とにかくいけるところまでゼロで抑えようという感じでいきました。コーチにも『先発だと思わなくていい。中継ぎとして1イニングいくつもりで投げろ』って言われたんです。実際、3回くらいまではそういう気持ちで投げていたんですけど、やっぱり4回くらいからは先発だということを意識しましたね。常に全力で投げていたら、もちませんから。抜くところは抜かないと。これからはそういうことを覚えていかなければいけないと思っています」

 12日現在、6試合を投げて防御率は1.42を誇る。この安定感が彼の成長ぶりをうかがわせている。今後の課題は四球の数を減らすこと。そのためにもやはり、制球力の向上は不可欠だ。各コーナーに投げ分けられるコントロールを身につけたいという。だが、彼の魅力はあくまでも伸びのある直球だ。コントロールばかりを重視して、本来のよさを失うことだけはしたくないという。

「コントロールは絶対に必要だと思っています。一軍のピッチャーを見ていると、低めのコントロールがみんないい。そういうところは見習っていかないといけない。でも、コーチにも言われているんです。僕の場合はとにかく真っすぐで押していけと。コースにこだわって四球を出すよりも、思い切って投げて打たれたほうがいいって。僕自身も真っすぐでいかに空振りをとれるかということにこだわっています」

 真っすぐへの自信はこんなところにもあらわれている。山室はプロに入って変化球の種類を減らしたという。それでは打者に絞られてしまうのではないか、という疑問がわいてくる。そのことを問いただすと、涼しい顔でこう答えた。
「確かに、不安がなかったわけではありません。でも、絞られても押し切れるボールを投げないといけないので」
 最後の「投げないといけないので」という言葉は、「投げられますから」という気持ちの謙遜から出たものではないか。飄々とした彼の表情からは、そんなふうにみてとれた。
 しかし、山室に驕りの気持ちは全くない。前述したように、彼にとって支配下登録は「プロ野球選手」になったことを意味する。つまり、ようやくプロの世界に足を踏み入れることができたに過ぎない。真の勝負はこれからだ。

―― 藪選手ではなく、球団は山室選手を選びました。その期待に応える自信は?
「新聞でも藪選手と名前が並んでいるのを見て、ちょっと相手が違いすぎるとは思いましたよ(笑)。でも、期待には応えなければいけないと思っています。一軍に上がれるチャンスをもらったわけですから、応えられるように頑張ります」

 そう語る山室の表情は真剣そのもので、それまでの柔らかさを帯びたそれとはかけ離れた、まさに“プロ”の目だった。山室公志郎、背番号57。マリンスタジアムに彼の名がこだまする日が待ち遠しい。

山室公志郎(やまむろ・こうしろう)プロフィール>
1987年7月14日、横浜市生まれ。中学3年時には横浜瀬谷ボーイズで県大会優勝。桐光学園高校時代には1年秋からエースナンバーを背負う。3年時には甲子園に出場し3回戦進出。大学ではリーグ戦初勝利をあげた4年春、MAX154キロをマークした。今季育成選手として千葉ロッテに入団。7月29日付で支配下登録された。背番号57。右投左打。

(斎藤寿子)