足の速さを買われ、競争の厳しいプロ野球の世界を19年間生き抜いてきた男がいる。走塁のスペシャリスト・巨人の鈴木尚広である。鈴木は昨年4月29日に通算200盗塁を達成すると、その約1カ月後に代走での盗塁NPB記録(106)をマークした。今年はプロ19年目にして監督推薦で初めてオールスターに出場。レギュラーシーズン同様、チャンスの場面で代走に起用されると見事に盗塁を決めた 。プロ野球もいよいよ終盤を迎えた。リーグ4連覇を目指す巨人において、鈴木の走力はなくてはならない武器である。優勝へのキーマンとなる鈴木の盗塁極意とは――。
 82.20%。9月24日現在、この数字は鈴木の盗塁成功率を表している。200盗塁以上達成している歴代選手のなかでは、1位の広瀬叔功(南海)が残した82.89%に次ぐハイアベレージである。南海で5度の盗塁王に輝いた広瀬が主力選手であるのに対し、鈴木はこれまでのシーズンで一度も規定打席に達していないことから分かるように常時スタメン出場を果たすような選手ではない。出場試合、出塁機会の少ない鈴木が、この数字を叩き出していることに価値があるのだ。彼が代走で起用されるときの多くは、試合終盤に差し掛かり、チームが1点をほしい場面である。緊迫したゲーム展開、相手バッテリーからも警戒されているなかで仕事を果たさねばならない。

 一塁から二塁までの塁間は27.431メートル。その距離を駆ける中でコンマ何秒の遅れは命取りになり、瞬時に状況を判断できる冷静さが必要となる。対戦相手に警戒されながらも、鈴木がこれだけの成功率を残せるのはただ足が速いからというだけでない。鈴木は塁上にいる時の心境をこう語った。
「フィールドに立っている時は、自分の世界に敵を引きこませることを意識しています。ピッチャーの動きばかりを凝視していると、自然と相手に合わせている自分が存在してしまう。どんな時でも自分自身の“感性”を頼りに走っていますね」

 鈴木には塁に出た時、心掛けていることがある。自らの姿を“もう1人の自分”が客観視することである。常に全体を見ることを意識し、ある一点だけを凝視することは決してない。投手の動きやベンチの様子など細かい情報を瞬時に読み取り、その中から自らがどうすべきかを思索する。塁上に立っているのは鈴木だが、その影には“もう1人の鈴木”が存在し、冷静に状況を見極めているのだ。

 高い盗塁成功率を誇る鈴木でも、走っていて“これはダメだな……”と感じる時もあるという。その際には、スライディング技術でカバーする。彼のスライディングは、他の選手と比べてベースぎりぎりまで走り、滑り込む。これには野手へ恐怖心を与えることでタッチに行くことを少しでも遅れさせるという狙いがある。鈴木独特の“跳ぶスライディング”は状況に応じた瞬時の判断が生み出したものだ。

 感性に重きを置く鈴木にとって、唯一走りにくいのが、彼の地元である福島での試合だ。今年の8月5日に福島県営あづま球場で行われた東京ヤクルト戦では、代走で鈴木の名前がコールされると、その日一番の声援が沸き起こった。「あまりにも声援が凄すぎてね……。『走れ!』と、せかされている感じがして、自分の感覚で走れなかったです」と苦笑を浮かべていた。それでも自慢の走塁の切れ味は錆びることなく、得点に絡んで地元ファンを喜ばせた。どんな状況であっても冷静に自らの仕事を遂行する姿に、走塁のスペシャリストとしての意地が感じられた。

 代打の神様と称された選手はこれまで何人もいたが、代走の神様に当てはまる選手は数少ない。鈴木は “代走”という自らの役割について、こう語る。
「若いころはもちろん、レギュラーを目指していました。でもレギュラー争いに負けそうになった時、自分の魅力は何だろうと考えた。そこで考えた抜いた結果、いまのポジションを見つけることができたんです。今は“足だけは誰にも負けない”と、プライドを持ってやっています」

 野球選手は、全ての能力で秀でていないといけないわけではない。足が遅くてもバッティングが良ければ代打として、体が小さくても足が速ければ代走として、打てなくとも守備が巧ければ守備固めとして活躍できる。鈴木のように、これだけは誰にも負けないという武器を見つけ、磨きあげることでプロの世界で輝くことができる。彼は今や代走の切り札としてチームには欠かせない存在となった。

 今年で37歳を迎えたが鈴木だが、一切の衰えを感じさせない。むしろ、年々凄みが増しているようにすら見える。これまで培ってきた技術や経験の蓄積。その中で研ぎ澄まされてきた鈴木の感性が、冷静沈着でいる“もう1人の鈴木”と、うまく融合しているのではないだろうか。球場で「代走・鈴木」の名前がコールされた時、塁上にいる彼の姿だけでなく、もう1人の鈴木の存在も想像してみてほしい。

<現在発売中の小学館『ビッグコミックオリジナル』(10月5日号)に鈴木選手のインタビュー記事が掲載されています。こちらもぜひご覧ください>