7日、野球評論家・大沢啓二氏が胆のうがんのため死去した。78歳だった。「大沢親分」の愛称で親しまれた大沢さんは神奈川商工高校時代に投手として甲子園に出場。立教大学では主将で4番を務めた。1956年、南海(現・福岡ソフトバンク)に入団して外野手として活躍。59年の日本一に貢献した。
 65年に東京オリオンズ(現・千葉ロッテ)に移籍し、その年限りで現役を引退。10年間での通算成績は988試合に出場し、打率2割4分1厘、17本塁打、191打点。

 ロッテでコーチ、2軍監督を経て、71年のシーズン途中から監督に就任。76年からは日本ハムで指揮を執り、6年目には球団初となるリーグ優勝に導いた。フロント入りした84年にはシーズン途中で監督に復帰。翌年、再びフロントに戻ったが、93年に再び現場復帰し、2年間監督を務めた。その後も全国野球振興会名誉会長やテレビのコメンテーターとして幅広く活躍していた。

●福岡ソフトバンク・王貞治会長
 日本シリーズで対戦したとき、守備位置を頻繁に変える魔術師のような選手といった印象でした。データ的なものを先取りした守備の位置取りは、新鮮であり、頭脳的なプレーヤーでした。
 引退後は、ロッテ、日本ハムの監督を務め、球団常務としてプロント入りし、その後もプロ野球OBクラブ理事長などを歴任し、常に野球界の先頭に立ち続けた、現代プロ野球界の礎をつくったうちのお一人でした。
 またまだ私たちと一緒に野球を語り、野球の普及にお力を貸していただきたかっただけに、残念でなりません。心よりお悔やみ申し上げます。