3年連続最下位からの脱却をはかるベイスターズに、鉄腕がやってくる。
 大阪学院大学のエース小林寛。今年の関西六大学春季リーグ戦では15試合中13試合に登板。チームの18季ぶり優勝に貢献した。中でも5月18日の神戸学院大戦では延長19回、238球をひとりで投げ抜くと、それからわずか中3日で登板した龍谷大戦ではノーヒットノーランを達成する離れ業をやってのけた。「沢村(拓一)君(中大)、斎藤(佑樹)君(早大)とか1位の選手にも、僕自身は絶対負けていないと思う」と言い切るタフネス右腕に迫った。
―― 春のリーグ戦では13試合に登板して、うち12完投。リーグ史上最多タイとなる9勝をあげた。“鉄腕”を支える源は?
小林: まずは常日頃から体のケアをやっているからだと思います。そして、大学に入ってからはバッティングピッチャーを多くやって、バッター相手に投げる練習をたくさんやりました。それが試合で長いイニングを投げられる要素になっている気がします。

―― 最近はさまざまなトレーニング方法が編み出されているが、小林投手の場合は実際に投げ込んで力をつけていったと?
小林: 僕はウエイトトレーニングは全くやりません。重いバーベルを持ち上げるよりも、軽く負荷がかかるものを持って、速く動かしたほうがピッチングの上では役に立つ。体幹を鍛えることはもちろん、投げるために必要だと思うトレーニングをやってきました。

―― 春のリーグ戦では延長19回をひとりで投げ切った(2−2の引き分け)。実はその前日も先発で完投している。途中で監督からは何度も交代を打診されたとか。
小林: 延長に入って3回、「交代しないか」と言われました。でも僕は引き分けにならなければ、ずっと投げる気でした。よく投げたなという気持ちはありましたけど、もう肩が上がらないとか、そういう状況では全くなかった。むしろ上体にムダな力が入っていないので、うまく投げられたような気がします。

―― それが、4日後のノーヒットノーランにつながったと?
小林: そうです。あの時は球速は140キロそこそこでしたが、ボールに対してしっかり指がかかって、スピンをかけられていた。やはり調子がいい時は下半身からの連動で、うまく上体に力が伝わっています。そして最後のリリースの瞬間、指先にその力が集約されている。

―― 最速148キロのストレートに、スライダー、カーブなどの変化球もいい。投げる際に意識していることは?
小林: 目の前の空気の壁に手首をぶつけていく感覚で投げています。その反動で手のスナップをきかせて、ボールをリリースする。これはストレートでも変化球も一緒です。スライダーだったら、小指の横の部分を右バッターのベルトの方向目がけてぶつける。こうすると体が開かずに投げられるんです。

―― 他にチェンジアップやフォークもある。強いていえば右打者の内側にくいこむシュート系がほしいところか?
小林: 僕の場合、右バッターのインコースへストレートを投げる時にはシュート気味にくいこませています。シュートは抜くボールなので、球質が軽い。コントロールミスするとホームランをくらう危険性があると考えています。それなら、ストレートをしっかりインコースへ投げられたほうがいい。しっかり指にかかったインコースであれば、バッターは簡単に打てないのではないでしょうか。

 自分を過小評価したくない

 これほど投げ続けても故障につながらないのは、ただ体が強いだけが理由ではない。何より、そのフォームが理にかなっているからだ。小林は野球を始めた小学生の頃から、野球好きの父と理想のフォームを構築していった。家族の協力はそればかりではない。息子の夢を叶えるべく、より高いレベルで野球をするために一家で関西へ引っ越したのだ。

―― 出身地の広島から、関西にやってきたのはいつ?
小林: 小学校3年生から天王寺に引っ越し、小学校6年生からは堺に住むようになりました。引っ越したのはすべて野球のためです。小学校では浜寺ボーイズ、中学校では高石ボーイズに所属していました。

―― ボーイズリーグだと当時は同級生に田中将大(宝塚ボーイズ、現東北楽天)、前田健太(忠岡ボーイズ、現広島)がいた。対戦経験は?
小林: 前田は隣町だったので対戦したことがあります。実力は向こうのほうが上でしたね。でも負けない気持ちだけは常に持ってやってきました。

―― 高校は谷繁元信(中日)らを輩出した江の川へ。関西を離れたのはなぜ?
小林: 入学前に練習体験をして、いい環境で野球ができそうだと感じたからです。あとは親元を離れて自分がどれだけできるのかを試したかった。谷繁さんは本当に大先輩でお会いしたこともありません。ぜひ対戦してみたいです。

―― 横浜は3年連続最下位で、投手陣の強化が急務のチーム。1年目から活躍できるチャンスがある。
小林: 皆さんからそう言われるんですが、横浜だから、という意識は全くありません。僕はどこの球団に行っても自分のピッチングができれば、絶対1軍に上がれるチャンスがあると思っています。同じ大学4年で1位指名された選手も多いですけど、それはあくまでも他人の評価。僕自身は自分を過小評価したくない。

―― プロ入り後の課題をあげるとすれば?
小林: すべてです。真っすぐにしてもスピード、キレともにあるボールにしたいですし、変化球も球威が必要なものは、その部分を磨いていきたい。ベストを出せば尾花(高夫)監督にも使っていただける自信はありますが、そのベストが常に出せるようにしたいと考えています。

―― 理想の投手像は?
小林: ロジャー・クレメンス選手です。球威もキレもコントロールもある。僕の中では完璧なピッチャーというイメージです。中学生の頃にクレメンス選手を知った時には、もう晩年でしたけど、それでもすごいと感じました。それから、昔のフォームなどを本などで見る機会があって、ますます、あんな投手になりたいなという気持ちが強くなっています。

 インタビュー中、小林の口からは参考にしている選手としてノーラン・ライアン、グレッグ・マダックスといったメジャーリーグの名投手の名前が次々とあがった。マウンド上でみせる熱投を支えているのは、日々の地道な研究である。「打者と対戦する前に自分に克たないと舞台には上がれない」。カクテル光線に照らされた横浜スタジアムのマウンドに上がるべく、これからも昨日の自分を上回るための戦いが続く。

小林寛(こばやし・ひろし)プロフィール>
1989年1月21日、広島県出身。野球のレベルアップのために小学校を転校して関西へ。島根・江の川高では2年夏に甲子園出場。大阪学院大に進学後は1年秋のリーグ戦で平古場賞(新人賞)を獲得すると、3年春、4年春と最優秀投手賞に輝く。特に4年春はリーグ最多タイの9勝、リーグ新の112奪三振をあげるなど大車輪の活躍で18季ぶりの優勝へチームを牽引した。リーグ戦通算35勝は平野佳寿(京産大、現オリックス)の36勝に次ぐ史上2位の記録。MAX148キロの速球を投げる本格派。スライダー、カーブ、フォーク、チェンジアップも投げ分ける。180センチ、83キロ。右投右打。

(聞き手・石田洋之)


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