あと1勝、足りなかった。
 今季の埼玉西武は優勝へのマジックを4まで減らしながら、福岡ソフトバンクに逆転を許し、2厘差でリーグ制覇を逃した。その1勝は、この男がシーズン通してローテーションを守っていれば簡単に手中にできただろう。入団以来4年連続2ケタ勝利をマークした岸孝之である。今季も10勝をあげたものの、故障により2カ月半の戦線離脱を余儀なくされた。人気、実力ともにトップクラスの右腕に二宮清純がこの夏と秋、2回に渡ってインタビューを敢行。クールに打者を切ってとるピッチングの秘密に迫った。
(写真:長髪の理由は「天然パーマなので、短くすると(髪が)言うことをきかなくなる」から)
 埼玉西武ライオンズのライトハンダー岸孝之のピッチングを見ていると、田村正和が演じた眠狂四郎のイメージに重なる。眉目秀麗にしてニヒルな色男だが、恐ろしく腕が立つ。しなる右腕は、さながら円月殺法の太刀さばきか。

 いつもなら華麗な“殺陣”をみせる岸狂四郎が、この日ばかりは緊張のあまり、マウンド上で凍りついた。
「心臓がバクバク音を立てていました。今までの野球人生で、あれだけ緊張したのは初めてのことです」
 無理もない。プロ入り後、締めくくり役での登板は、これが初めて。しかもリーグ優勝をかけた大一番である。

 9月25日、東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地・クリネックススタジアム宮城。西武はこの前々日に痛い星を落とし、福岡ソフトバンクホークスに首位を明け渡していた。ゲーム差は0.5ながら、ソフトバンクの優勝マジックは2。負ければ優勝がほぼ消える。

 2−1と1点リードで迎えた7回裏、岸は中を継いだ長田秀一郎からバトンを受け取った。8回、主砲・中村剛也の一発が飛び出し、2点のリードに。だが9回裏、絶体絶命のピンチを迎えた。
 1死からヒットと四球で走者を背負い、牧田明久にレフト線を破られる。2塁走者が生還し、これで1点差。なおも2、3塁と一打逆転サヨナラの場面。続く中川大志はフルカウントから何とか三振に切って取り、打率3割を超えている嶋基宏は敬遠で歩かせた。

 2死満塁。打者は9番・枡田慎太郎。岸はマウンド上で深く息を吸い込んだ。
 初球、チェンジアップ、ボール(外角低め)。
 2球目、チェンジアップ、ボール(外角低め)。
 1球、2球とチェンジアップがくれば、たいていのバッターは3球目、ストレートを待つ。もうひとつ、コースを外れればノースリーだ。押し出しの可能性もある。

 果たして3球目、岸はまたしてもチェンジアップを投じた。腕の振りはストレートと一緒だが、指からボールがゆっくりと抜けていく。視線の罠。仙台の月ならぬ夕陽が「岸狂四郎」の右腕を怪しく照らす。これぞ現代の円月殺法だ。
「もう真ん中です。ノースリーにはしたくないので……」
 擦過音を残した打球は力なく岸の前へ。枡田を切り捨てた岸は珍しくガッツポーズをみせた。3−2で西武勝利。3イニングを1失点に封じた岸にはプロ入り初のセーブがついた。

 レギュラーシーズンの滑り出しは快調だった。6月末までに9勝(5敗)をあげた。ネット裏の雀たちは「最多勝もいけるかもな」とさえずった。
 その頃、岸は深刻な事態に直面していた。肩が悲鳴を上げていたのだ。車のハンドルを握るのも一苦労だった。

 岸の回想。
「肩の違和感は今シーズンの最初の頃からありました。その日によって肩の調子のいい日と悪い日がある。キャッチボールで調整して徐々に時間が経てば大丈夫かな、と思っていたんですが、なかなか……。
 それが交流戦頃から痛みが激しくなってきた。痛み止めを飲みながら投げていました。それも、もう限界だったので、(渡辺久信)監督に肩のことを告げました。監督は“とりあえず治してこい”と。ボールを投げられない日が1カ月近く続きました」

 診断結果は肩の炎症。ボールを投げられない間、岸は走ってばかりいた。本人の言葉を借りれば「まるで陸上部」。復帰には約2カ月半かかった。
「(故障によって)自分を知ることができました。無理して(故障を)長引かせるというのは自分の悪いところ。我慢したことで逆にチームに迷惑をかけてしまった。
 体のことにも興味を持ち始めました。大学時代にはマッサージもほとんどしたことがなかったし、もちろんリハビリについての知識もなかった。今回、酸素カプセルも貸してもらいました。こういう治療法があるんだな、こういう先生方がいるんだなということを知っただけでも、僕にとってはいい経験だったと思います」

 岸孝之の名前が一躍、全国区になったのは2008年の日本シリーズである。
 レギュラーシーズン1位の西武はパ・リーグのクライマックスシリーズを制し、日本シリーズで巨人を撃破した。このシリーズでMVPに選ばれたのが岸である。

 岸は西武1勝2敗で迎えた第4戦、先発のマウンドに立った。負ければ王手がかかる。渡辺から「グラウンドでは、いつもどおりのオマエを出せばいいからな」と言われ、マウンドに送り出された。
 果たして岸は一世一代のピッチングを披露する。毎回の10三振を奪う4安打シャットアウト勝ち。クールな男が「出来過ぎです」と言って表情をほころばせた。

 王手をかけられた第6戦でも岸はチームの防波堤となる。4回1死1、3塁のピンチでマウンドに上がり、続く2人の打者を切ってとり、窮地を脱した。そのまま最後まで投げ切り、91球での勝利投手。八面六臂の活躍でシリーズの主役に躍り出た。

 レギュラーシーズンでセ・リーグ随一の強打を誇った巨人打線(チーム本塁打177、総得点631)に沈黙を強いたのがカーブだった。
 カーブの達人といえば、元祖は投手最高の賞に名を刻む沢村栄治(巨人)だろう。彼の投げるカーブは“懸河のドロップ”と呼ばれた。以降も金田正一、小山正明、杉浦忠、外木場義郎、堀内恒夫、江川卓……と名手を数えれば、何本もの指を折らなければならない。

 しかし近年、カーブの使い手はめっきり減った。世はスライダーやカットボール、フォークボールの時代である。
 なぜ、そうなってしまったのか。自身も球界屈指のカーブの使い手である工藤公康(前西武)から、かつて、こんな話を聞いたことがある。

「ストライクゾーンは奥行きがある。すなわち直方体なんです。その一角でもかすめれば本来はストライクのはずなんですが、審判はキャッチャーが捕った位置でストライクかボールかを判断する。
 こうなるとタテに割れるカーブはミットにおさまる位置が低いため、審判はボールと判定しがち。ストライクゾーンの一角をかすめていても、ですよ。ストライクにとってくれないんだから投げたくても投げられない。カーブピッチャーが少なくなった理由はそこにあると思います」

 公認野球規則によると、ストライクゾーンは「打者の肩の上部とユニホームのズボンの上部との中間点に引いた水平のラインを上限とし、ひざ頭の下部のラインを下限とする本塁上の空間」と定められている。工藤が言うように、このうちの一部でもボールが通過していればルール上はストライクということになる。しかし、実際にはそうはならないらしい。

 再び工藤。
「たとえば山なりのボールをポーンと放ったとする。それが野手の手前でワンバウンドしてもストライクゾーンの一部をかすめていればルール上はストライクになるはず。でも実際、そんなボールを投げても審判はストライクにとってくれないと思いますよ」
 カーブピッチャー受難の理由が見えてきた。

 だが、モノは考えようだ。カーブの使い手が減れば、この変化球は稀少となり、より価値を増す。レアアース(希土類)ならぬレアボールだ。日頃、見慣れないボールにバッターが手間取るのは無理からぬこと。2年前、強打の巨人打線が岸のカーブに翻弄された理由も、このコンテクストで説明することができる。
「セ・リーグに、あんなカーブを投げるピッチャーはいないんですよ。悔しいけど、対応できなかった」
 ある主力打者は、首をひねりながら、こう吐き捨てた。

 いったい、どんな軌道を描くのか。プロ24年目のベテラン山崎武司(楽天)の感想。
「岸のカーブは上に“飛ぶ”んですよ。リリースポイントからポーンと浮き上がる。その瞬間、こちらの視線も浮く。こうなってはもうお手上げですね。
 じゃあ“そのカーブを狙え”と言われるかもしれないけど、岸は真っすぐもいい。スピードは大体142か143(km/h)くらいだと思うんですけど恐ろしくキレがある。カーブを待っていて、あのストレートは打てない。非常に的をしぼりにくいピッチャーですね」

 今季のパ・リーグ打点王・小谷野栄一(北海道日本ハム)にも話を聞いた。
「カーブの“抜け”がいいですね。今、カーブで空振りのとれるピッチャーはそうはいないですよ。
 岸はチェンジアップもいい。真っすぐと腕の振りが同じだから、こちらは見当がつかない。真っすぐだと思って打ちにいくと、微妙にタイミングが狂う。カーブ、ストレート、チェンジアップ。そのどれもが一級品。(ヒットを打つのは)容易ではないですね」

(後編につづく)

<この原稿は2010年12月11日号『週刊現代』に掲載されたものです>