幼少時代、加藤貴大の一番のライバルは2歳年上の兄・幹典(東京ヤクルト)だった。しかし、いつの間にか兄との距離は遠くなっていった。名門・慶応大学に進学した兄は六大学の聖地・神宮球場で活躍。大学No.1サウスポーとして2007年の大学・社会人ドラフトで1位指名され、プロ入りを果たした。一方、加藤は高校から挫折の連続だった。大学卒業時には野球を諦めようとさえ考えたこともある。しかし、「こんなもんじゃない」と自分の力を信じ、独立リーグで一念発起。わずか1年目にして夢をつかみとった。ようやく兄と同じ舞台に到達した加藤。ライバルとして、憧れの存在として追い続けてきた兄への思い、そして今後への意気込みを訊いた。
―― BCリーグ1年目での指名について。
加藤: ケガの影響もあって、制球が安定しないシーズンだったのですが、それでもストレートの威力には自信がありました。それでスカウトの方も「磨けばモノになる」と思ってくれたのではないかと思います。また、フォームをはじめ、何も完成されてはいないので、そこに伸びしろがあると考えていただいたのではないでしょうか。

―― 兄・幹典選手からのアドバイスは?
加藤: 「自分次第だよ」と。とにかく「最初が肝心だから頑張れ」と言ってもらいました。

―― 幹典選手はプロ3年間で一軍登板は17試合。昨年ようやく初勝利を挙げた。
加藤: 兄は初めて壁にぶち当たっているのだと思います。逆に自分は昔から苦労ばかりしてきた。だから、逆に育成で入るほうが自分にとってはいいのかなと。これまで通り、下から這い上がっていけばいいわけですから。

―― 自分にとって兄の存在とは?
加藤: ずっと憧れでしたね。特に慶大で早稲田大の打者をキリキリ舞させている兄はすごかったです。ただ、小さい頃から「絶対に負けたくない」という思いもありました。兄が大学に入ってからは差が広がっちゃいましたけどね。

―― 人生初の挫折が高校受験の失敗。
加藤: はい。2人の兄が行っていた高校を受験したのですが、例年以上の倍率の高さもあって落ちてしまいました。とてもショックでしたけど、進学した八王子高では本気で甲子園を狙うようなレベルでしたし、何よりも野球の楽しさを学ぶことができました。中学までは単に投げて、打ってという感じだったのですが、高校では戦略とかを教わって野球の奥深さを知ることができたんです。

―― 明治学院大で得たことは?
加藤: 元プロの森山正義監督と出会ったことで野球への考え方が変わりました。野球は技術だけではなく、人間性が重要だということを教わったんです。相手のピッチャーやバッターが何を考えているのか、それを感じ取るには日常生活に置き換えれば思いやりなんだと。「この人のために何ができるのか」ということを自然に考えられる人は、野球でも相手の心理がわかってくる。つまり、野球には人間性が出てくるんです。

 ケガから得たピッチングの極意

 大学卒業後は兄と同じ舞台へと意気込んでいた加藤だが、ケガの影響でドラフトにはかかることはなかった。それならばと社会人入りを志望したが、来るのはどれも軟式ばかり。結局、硬式チームのある企業からは1社も声がかからなかった。ワラをもつかむ思いで独立リーグへの道に進んだ加藤。そこで彼はある感覚をつかんだ。

―― 大学卒業後、BCリーグに入ったのは?
加藤: 大学2年の秋、全14試合に先発して11勝2敗と活躍することができました。チームも入れ替え戦で勝って、1部に昇格したんです。それで少し注目されたことで「勝たなければいけない」という気持ちが強くなりすぎたんでしょうね。3年の時は全く自分のピッチングができませんでした。挙句の果てに一番大事な4年の春に右肩を故障したんです。秋に復帰したのですが、最後まで調子は上がりませんでした。プロはもちろん、社会人からも声がかからず、もう野球が続けられるかわからない状態だったんです。でも、やっぱり野球を辞めたくなかった。それで富山サンダーバーズの入団テストを受けたんです。

―― BCリーグでの1年間は?
加藤: 足に故障は抱えていたのですが、5月まではなんとか投げられていたんです。でも、6月に脇腹を痛めてしまいました。もう息をするだけで激痛が走って、全く投げられなかったんです。7月に入って投げられるようになっても、怖くて逆に力んでしまって、球が全然走りませんでした。

―― 復活のきっかけは?
加藤: シーズン途中に富山に入団した元プロの三橋直樹さんに相談したところ、「同じことを繰り返しても、結果は変わらない。何かを変えないと違う結果は生まれないぞ」と言われたんです。それで勇気をもって力を抜いて投げてみることにしたところ、特別にトレーニングをしたわけでもないのに、いきなり球速が2、3キロ上がりました。まさに「ケガの功名」でしたね。

―― 富山の横田久則監督から学んだことは?
加藤: シーズン中は好きなようにやらせてもらいましたが、シーズン後にはピッチングフォームについて細かく指導していただきました。特にこれまでは前に前にと突っ込んでいたところを、軸足に重心をしっかりと残す重要性を教わりました。おかげでコントロールも少しずつよくなってきましたし、シーズン以上の球がいくようになりました。

―― NPBで対戦したい選手は?
加藤: やっぱり兄ですね。これまでいつも比べられてきて、負けてばかりだったんです。地元でも「お兄ちゃんはすごいよね」と言われて、何度も悔しい思いをしてきました。だから絶対に追い抜いてやろうと、ここまで頑張ってこれたんです。早く支配下に上がって、兄と同じ舞台で対戦するのが楽しみです。

―― 座右の銘は?
加藤: 「無我夢中」です。大学の森山監督にもよく言われたのですが、「抑えてやろう」とか欲を出すと、実力が出せない。逆に何も考えずに無我夢中にやると、自分の思っていた以上の力が出る。チームが勝つためにも自分が、自分がではなく、自分の思いを殺してでも、チームが勝つために必死になることが大事。これからも無我夢中にやっていきたいと思います。

「とにかく最高の舞台に立てるチャンスをもらっただけでも自分は幸せ者」と満面の笑顔で語る加藤。その顔には過去の苦労や挫折は微塵にも感じられない。きっと、それら全てが今、財産となっているからであろう。とはいえ、決して今の自分に満足しているわけではない。あくまでも最終的な目標は一軍で活躍することだ。いつも兄の後ろ姿を追いかけてきた加藤だが、これからは真のライバルとして切磋琢磨していくことだろう。いつの日か、兄弟対決が実現できることを夢見て……。


加藤貴大(かとう・たかひろ)プロフィール>
1987年12月13日、愛知県生まれ。小学1年から野球を始め、八王子高3年の夏には西東京大会ベスト8進出を果たす。明治学院大では2年秋に全14試合に先発し、11勝2敗をマーク。チームを1部昇格に導いた。2010年、BCリーグ・富山サンダーバーズに入団。最速147キロのストレートを武器に、25試合に登板し、8勝4敗3セーブ、防御率3.14をマークした。兄は東京ヤクルトの加藤幹典。178センチ、78キロ。右投右打。

(聞き手・斎藤寿子)

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