“サブマリン”の代表格といえば、古くは元阪急・山田久志、そして現役では千葉ロッテ・渡辺俊介だ。しかし、同じアンダースローでもこの2人はタイプがまるで違う。速球を主体とした山田に対し、渡辺は緩急をつかった技巧派だ。その両者それぞれの良さを併せ持ったサブマリンピッチャーが今季、埼玉西武に入団した。牧田和久、26歳だ。アンダースローに強いこだわりと誇りをもつ牧田が追い求めてきたものとは――。
―― 投手王国・西武からの2位指名。評価された点は?
牧田: 指名されるとすれば4位か5位あたり、よくても3位だろうと思っていたので、2位での指名は本当に驚きました。もちろんアンダースローが希少価値と見られたこともあるでしょうし、昨年はエースとして公式戦13勝1敗という成績を残すことができた。その点が評価されたのだと思います。

―― そもそもアンダースローに転向したきっかけは?
牧田: 高校1年の秋に野球部の部長から「ちょっと下から投げてみろ」と言われたことがきっかけでした。それまで全くやったことがなかったのですが、投げたらキャッチャーが構えるところにちゃんといったんです。ほとんどの選手は初めて投げると、コントロールできずにあちこちにボールがいくらしいんですけど、僕は最初からその投げ方がピタッとはまったという感じでしたね。自分でも「これはいけるな」と思いました。

―― アンダースローになることへの葛藤は?
牧田: なかったですよ。同級生には140キロくらい投げられる本格派のピッチャーもいたんですけど、僕はその頃は130キロくらい。だからアンダースローにかえることによって使ってくれるなら、その方がいいと思っていました。というのも、よく母親に言われたんです。「あんたは一番になれるタイプではないのだから、自分の持っているものをそのまま出しなさい」と。もちろん、常に一番になりたい、という気持ちは大事だと思うんです。でも最も重要なのは自分の持っている力を100%出し切ること。だから僕はスピードよりも希少価値の高いアンダースローに活路を求めた。そしたら、いつの間にかエースになっていました。

 ケガの功名で得たメンタルの強さ

 野球を始めたときからピッチャー一筋という牧田。これまで最も印象に残っているのは、昨年の都市対抗、初戦の日本新薬戦だ。わずか4安打に抑えて完封勝ち。しかも無四球のパーフェクトピッチング。前年まで3大会連続で初戦敗退を喫していたチームに久々の勝利をもたらした。しかし、社会人4年間が順風満帆だったわけではない。故障で約1年間、まともに投げることができなかった時期もあった。しかし、そんなときでも牧田は決して腐ることはなかった。それどころか、ケガをしたからこそ得たものがある。果たしてそれは何だったのか。

―― 昨年の都市対抗では初戦、無四球完封勝利を収めた。
牧田: チームは「今年こそは初戦突破」という気持ちで臨んでいましたから、結構プレッシャーのかかる試合でした。それでも気負うことなく、いつも通りやろうとしたのがいい結果に結びついたのだと思います。前日、キャッチャーとのミーティングでも「いつも通りでいきます」と言っていたんです。打たれたら打たれたで仕方ない。でも、自分のピッチングさえすれば、抑えられるという自信がありました。

―― 「自分のピッチング」とは?
牧田: 変化球でかわそうとしたりせずに、真っ直ぐで押すこと。あとはキャッチャーの構えたところに投げればいいと。

―― 2回戦のJR九州戦も先発して完投。しかし、延長10回にサヨナラ負けを喫した。
牧田: 初回に1点を先制してもらったのに、2回にすぐに同点に追いつかれてしまったんです。それがムダな失点だったなと思いますね。10回は連打を浴びたのですが、打たれたのは、全部甘く入っている失投なんです。ちょっと投げ急いだ感がありました。でも、やっぱり点を取ってくれた直後に取られた2回の失点の方が悔しいですね。

―― 2008年の日本選手権では初戦のトヨタ自動車戦、バント処理の際に足を故障し、わずか2球で降板した。
牧田: バッターは俊足の荒波翔(今季より横浜)だったのでセーフティバントは予想していたんです。案の定、バントをしてきた。しかも三塁線ギリギリの絶妙な打球でした。これは早く処理しないと間に合わない、と思ったので慌ててボールを取りにいったんです。そしたらちょっと歩幅が合わなくて、送球の体勢にもっていこうとした際に体が傾いてしまって、右足に全部体重が乗っちゃったんです。もうその瞬間、激痛が走って送球することもできませんでした。

―― 1年間のリハビリでは焦りもあったのでは?
牧田: いえ、焦ることはありませんでした。でも、完治するには結構時間がかかりました。翌年の都市対抗には間に合うようにと思っていたのですが、都市対抗直前のオープン戦で1イニング7失点。怖さがあったわけではなかったのですが、軸足に体重を乗せ切れていませんでした。下半身トレーニングをやってはいたのですが、まだ筋力が戻っていなかったんです。結局、その年の都市対抗は見送られました。本格的に投げられるようになったのは、9月くらいからでしたね。

―― トラウマは?
牧田: 復帰したばかりの頃は「またやるんじゃないか」と思ったりして、人工芝が怖かったですね。でも、きちんと対策は立てていたんです。それまでは打球を追いかける際、ダッシュしてそのままの勢いで捕球、送球をしていたんです。でも、それでは足への負担が大きい。急ブレーキをかけた時の車のタイヤと一緒です。ですから、少しずつ減速するように、ダッシュした後は小刻みにステップを踏むようにしたんです。

―― ケガをしたことで得られたものは?
牧田: 周囲からはメンタルが強くなったと言われましたね。昨年はどんなにピンチをつくっても、結局はゼロに抑えることが多かったんです。「打たれたらどうしよう」と考えたり、ランナーを気にしたりせず、とにかく目の前のバッターに集中する。そして1球1球丁寧に投げる。そういうふうに考えられるようになったのはケガをしたおかげなんです。リハビリ中、スタンドから試合のビデオを撮っていたんですけど、表情やしぐさなどでピッチャーの気持ちが手に取るようにわかりました。ピンチの場面で「打たれたらどうしよう」とマイナス思考になって、自分を見失ったりとか、四球を出してむきになって周りが見えなくなっているとか……。そうすると、不思議なことにピッチャーのテンポが一緒になってしまって、バッターに合ってきちゃうんですよね。だからこそ、バックに声をかけたりして気持ちを落ち着かせてから投げるとか、ちょっとボールを長くもってテンポを変えるとか、そういったことが必要なんだなと。

 “サブマリン対決”実現なるか!?

 2位指名というからには無論、牧田に求められているのは即戦力としての活躍だ。26歳という年齢を考えても、そのことは本人も十分承知だろう。これまで培った力に加え、さらなるレベルアップを図りながら、結果を出す。そのためには何が必要なのか。今後の課題、そして意気込みを訊いた。

―― 自分自身で最も自信のあるものは?
牧田: バッターに合わせにくい、テンポをいろいろと変えられることですね。よくチームメイトの野手に、どんなピッチャーが嫌だと感じるのかを聞いて、いろいろと考えながら投げていました。例えば、バッティングピッチャーをやる際に、同じ真っ直ぐでもリリースで強めに投げた後に、同じ腕の振りで少し抜く感じで投げてみたんです。そしたらバッターがタイミングを合わせられなくてバットの先にボールが当たったりしたんですよ。バッターにしてみたら同じ腕の振りで同じ真っ直ぐなのに、なかなかボールが来ないもんだからタイミングが合わなかったらしいんです。それでまた強めに投げると、今度は差し込まれたり……。もうこれだけで同じ真っ直ぐでも2種類にも3種類にもなるんです。

―― 逆に今後の課題は?
牧田: いかに失投を少なくするかということですね。社会人では甘く入っても、バッターが予想していたボールでなければ手を出してこなかったり、打ち損じてくれることも少なくなかった。でも、対応力のあるプロではそうはいかないはず。真っ直ぐで待っていたバッターに変化球を投げても、甘く入ればスタンドに運ばれると思っていなければいけないでしょうね。ですから、きちんとコーナーに投げ分けられるコントロールをもっとつけなければいけないと思っています。あとは自分の生命線である真っ直ぐに磨きをかけること。プロの一軍の選手は選球眼がいいし、振りも鋭い。それに負けないボールを投げる必要があると思います。

―― 対戦を楽しみにしているのは?
牧田: バッターでは日本通運でチームメイトだった野本圭(中日)と、社会人時代に何度も対戦した長野久義(巨人)。2人とも、リーグが違うので、交流戦で対戦できれば嬉しいですね。あとはやっぱり渡辺選手とのアンダースロー対決が楽しみです。

 大学4年時には日本代表候補に選出されたこともある。そこには今季からチームメイトとなる岸孝之(西武)や長野、嶋基宏、長谷部康平(ともに東北楽天)といった今やプロの第一線で活躍する選手がズラリと顔を揃えていた。「岸や長谷部など、どのピッチャーも自分とはボールの質が全く違いました。『ああ、こういう選手がプロにいくんだな』と思っていましたね」。その時の牧田にはプロへの意識はほどんどなかったという。しかし、「自分の持っているものを最大限にいかす」という母親からの教えを忠実に守り、努力し続けてきた彼に、プロへの扉は開かれた。今はまだ、プロは「雲の上の世界」だが、これまでと変わらず、自分を信じて精進していくつもりだ。

牧田和久(まきた・かずひさ)プロフィール>
1984年11月10日、静岡県生まれ。静清工高1年秋にアンダースローに転向。平成国際大を経て2007年に日本通運に入社した。08年の日本選手権初戦で右ヒザの靭帯を断裂。翌秋の日本選手権で復帰し、絶対的なエースに成長した。昨年は公式戦13勝1敗と好成績を残す。同年都市対抗では初戦の日本新薬戦で無四球完封勝ちを収め、チームに4年ぶりの白星をもたらした。プロ1年目の目標は2ケタ勝利と防御率2点台。178センチ、78キロ。右投右打。

(聞き手・斎藤寿子)

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