昨秋のドラフトで、野手ではNo.1という呼び声高かったのが、伊志嶺翔大だ。昨年の全日本大学選手権では打率6割で首位打者となり、チームの準優勝に大きく貢献した。さらに昨夏の世界大学野球選手権では全6試合に出場し、打率4割5分8厘、9打点をマーク。日本選手では唯一の大会オールスターにも輝いた。こうした実績もさることながら伊志嶺の魅力は、その人間性にもある。高校、大学、そして全日本の主将に選ばれるなど、周囲からの信頼は厚い。そんな彼が初めてプロへの憧れを抱いたのは小学1年の時、イチロー(当時オリックス)を見た時だった。それから16年。夢への第一歩を踏み出した伊志嶺に現在の心境を訊いた。
―― ドラフトはどんな気持ちで迎えたのか?
伊志嶺: 前日までは「本当にドラフトがあるのかな」という感じで、全く緊張していませんでした。でも、当日になって会議の始まる時間が近付くにつれて、緊張感が増していきましたね。もういてもたってもいられなかったので、練習したりして気を紛らわせていました。会議が始まっても本当に指名してもらえるのか不安でした。はじめにオリックスから名前があがった時にはホッとしました。その後、千葉ロッテからも指名をいただいた。2球団から高い評価をしてもらって、本当に嬉しかったです。

―― 評価された点は?
伊志嶺: 自分の持ち味は足なので、スピード感のある野球を求められているのだと思います。ロッテの西村徳文監督が掲げているのもそういう野球だと聞いていますので。

―― 走塁で工夫していることは?
伊志嶺: ピッチを速くすることよりも歩幅で稼ごうという気持ちで走っています。というのも、いくら足の回転を上げようとしても、塁間距離は短いので、どうしたって上がりきらないんです。だったら、一歩一歩の歩幅を大きくした方が早く到達できる。ですから、回転を速くするのではなく、一歩目から強く蹴ることを大事にしています。

―― 盗塁を狙うときに心がけていることは?
伊志嶺: 走ろうと決めたら、躊躇せずに思いっきりよく行くということ。「牽制がくるんじゃないか」「アウトになるんじゃない」と思って中途半端にスタートを切るのと、「よし、いくぞ!」と思ってスタートを切るのとでは、一歩目からの反応が全く違いますから。

―― 盗塁を狙う時の決め手となるものは?
伊志嶺: カウントやバッターのタイプなど状況にもよるのですが、リードをとってピッチャーを見たときに感覚的に「あ、ここはいけるな」というのがあるんです。高校の時はそういうものはなくてサインで走っていたのですが、大学3年の時くらいからそういう感覚が出てくるようになりました。おそらく大学では監督から「自分がここだという時に走っていい」と言われていたので、自然とそういう感覚が身についたんだと思います。今では逆に「ここは走らないほうがいいな」というのもわかるようになりました。

 打撃開眼となった一球

 大学選手権、世界大学で圧倒的な打撃を披露した伊志嶺。その要因となったのが、3年時から取り組んできた打撃改造だ。ポイントを前から後ろへとずらすことで、変化球にも対応することができるようになり、逆方向への飛距離を伸ばすことに成功した。その打撃開眼の手応えを感じたのは、4年春、大学選手権でのある一球だったという。果たしてその一球とは――。

―― 大学4年では打撃の面で大活躍。その要因とは?
伊志嶺: 3年時から変化球に対応できるように、ポイントを後ろにずらしたんです。それまでは勢いで打っていたというか、ぶつけていたという感じでした。だから変化球で崩されたら小手先でごまかしながら打っていたので、長打が出なかったんです。それでは今後、上のレベルでは通用しないなと思ったので、しっかりと手元に引きつけて打つようにしました。

―― 改造することに迷いはなかったのか?
伊志嶺: 最初はいつもとは違うポイントなので、詰まってばかりいました。「これで本当に大丈夫かな」と不安になったこともあります。でも、結果だけにとらわれずに、しっかりと自分の感覚になるまでやり続けようと。その成果が4年になって出たのだと思います。世界大学では初めて対戦するピッチャーばかりでしたから、打席での一球、一球が自分のデータになりました。そういう意味ではいかにボールを長く見れるかが重要になってくるわけで、ポイントを後ろにしたことがいい結果を生み出したのだと思います。

―― 感覚をつかんだのはいつ頃?
伊志嶺: 「これだ!」と思った瞬間が、4年時の全日本選手権の初戦でした。1打席目、ボールカウント1−2からの4球目、インコースの真っ直ぐをレフト方向へのファウルにした一球です。それまでも長打も出るようになって、結構いい感じで感覚をつかみかけてはいたんです。でも、まだ何か違うなと。もっと楽に打ちたいなと思っていました。特にインコースのボールはバットをスムーズに出さないと、さばくことができないんです。それで力を抜く方法を試行錯誤していたのですが、その一球はスムーズにバットが出ました。それで「あ、この感覚だな」と。やっと掴んだ感じがしましたね。

―― これまで対戦したピッチャーで印象に残っているのは?
伊志嶺: 東洋大の藤岡貴裕です。彼は踏み出しの足がパッとすぐに地面に着かずに、粘って、粘ってという感じ。その分、腕が遅れてきて、球もちがいいので、ボールが急に出てくるような感覚に襲われるんです。だから球速もスピードガンの数字以上に速く感じます。

―― プロで対戦したい選手は?
伊志嶺: 田中将大選手(東北楽天)や前田健太選手(広島)です。特に前田選手は沢村賞投手ですから、同級生代表というよりも今や日本を代表するピッチャー。そういう意味でも対戦してみたいなと思います。

 小学1年の時、地元宮古島にキャンプで訪れていたイチローに野球教室で指導してもらったことがある。その時イチローから一番に言われたのは技術のことではなかった。「挨拶やお礼をしっかりしなさいと言われました。それから道具を大切にするようにと。だから僕はバットやグローブを投げたり蹴ったりは絶対にできないんです」。イチローから野球人としての大事なことを教わった伊志嶺。今度は自らが子どもたちに夢を与える番だ。座右の銘は「向上心」。さらなる進化を求めて厳しいプロの世界に挑む。

伊志嶺翔大(いしみね・しょうた)プロフィール>
1988年5月12日、沖縄県生まれ。小学1年から野球を始め、中学まではエースとして活躍。沖縄尚学高入学直後に外野手に転向し、レギュラーを獲得。2年時には春夏連続で甲子園に出場した。東海大では2年秋、3年秋、4年春にベストナインを受賞。4年時の全日本大学選手権では打率6割で首位打者に輝き、準優勝の立役者となった。同年夏の世界大学野球選手権では打率4割5分8厘をマークし、オールスターに選出された。50メートル5秒7の俊足に、遠投115メートルの強肩を兼ね備え、走攻守三拍子そろった外野手。
右投右打。178センチ、78キロ。

(聞き手・斎藤寿子)

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