NPBもアイランドリーグも各球団が2月1日に新チームを始動してから約10日が経過した。今シーズン、リーグからは過去最多タイの6名が新たにNPBの門をくぐり、計19選手が1軍で活躍するべくキャンプを過ごしている。彼らの動向もリーグの行方ともに、ファンは気になるところだ。NPB入りというひとつの夢を叶えた選手たちは、新たなシーズンにどのように臨もうとしているのか? その今を追いかけた。
狙うは先発での1勝!――福田岳洋

 18試合で0勝0敗1ホールド、防御率3.38。アイランドリーグが創設してから昨季まで、リーグからドラフト指名を受けた投手は9名いる。福田岳洋(元香川)はその中で、もっとも1軍のマウンドに上がったピッチャーになった。最下位に沈むチームの中、主にビハインドの展開での登板が多かったとはいえ、1軍選手としてシーズン終了を迎えた。

 ただ、1軍昇格は8月19日と決して早くはなかった。
「1軍の選手が調子を落として、入れ替わりが多くなっていた時期だったので、ここでしっかり投げていたら(上に)行けるかなという感覚はありました」
 昔から夏は得意な季節だ。酷暑と呼ばれた今年の夏も例外ではなかった。ストレートの球速が上がり、2軍相手なら普通に抑えられる自信がついてきていた。

 デビュー登板は、1軍に上がったその日にやってきた。横浜スタジアムでの阪神戦。4−10と敗色濃厚の9回だった。最初に対戦したのは藤川俊介。緊張から初球のスライダーとストレートが低めに外れ、いきなりカウントを悪くした。3球目にストライクをとったが、4球目もスライダーが浮き、3ボール1ストライク。ここで藤川がインコースのボール球に手を出してサードゴロに倒れた。スコアボードにアウトのランプが1つ灯り、少し気持ちが落ち着いた。

 続く打者は城島健司。言わずと知れた強打者だ。
「でも、その日は復刻版のユニホームだったので、何か阪神という感じがしなかったんですよね」
 ボールが先行したが、最後はスライダーでショートゴロ。このあたりから自分の狙ったところにボールが投げられるようになった。初登板は1回1安打無失点。
「コントロール良く投げれば、なんとかなる」
 一定の手応えをつかんだ初登板だった。

 その手応えをより強くしたのが、翌々日の広島戦(マツダスタジアム)だ。1死3塁のピンチでマウンドを任された。迎える打者は4番・栗原健太。初球、シュートでインコースをえぐった。これが効いた。内角のボールを意識させたことで、アウトコースがより遠く感じさせることに成功したのだ。最後は甘めのスライダーだったが、栗原の放った打球はファーストへのファールフライ。「狙い通り」の投球でホームランバッターをねじ伏せる。

 次に打席に入ったのは名球会打者の代打・石井琢朗だ。フルカウントからストレートとフォークを交互に投じたが、いずれもファールで粘られた。
「真っすぐのインコースで詰まらせるか、フォークで空振りか泳がせたかった。いい球だったのに全部カットされました」
 4球、ファールが続いた後の11球目、捕手のサインはカーブ。信じて投げたボールは左打者の足元に沈み、ファーストゴロに倒れた。

 栗原への投球でも分かるように、投球の幅を広げたのは夏場に覚えたシュートだ。7月末に2軍の吉田篤史投手コーチから習得を勧められた。試しに投げてみると、思いのほか評判が良かった。
「カーブとフォークは投げていて変化が分かる。でもシュートは変化がわかりにくい。“こんなんでいいんかな”という感じでした」
 だが、その新球が1軍で活きた。

 もちろん18試合の中には、課題がみえた登板もあった。本人が真っ先に挙げたのは9月29日の広島戦(マツダスタジアム)。先頭打者から2者連続の四球を与え、走者をためたところで、石原慶幸にタイムリーを浴びた。この登板に限らず、24イニングを投げて四球は16個と多く、それが失点につながるケースもまま見られた。
「初めて投げる球場が多い上に、リリーフだとマウンドが荒れてボコボコになっている。足場がガクッとなったり、ものすごく不安定なんです。その中で投げなきゃいけない。なんとか合わせようとして手だけでコントロールすると、先頭打者に対して、どうしても入りが悪くなってしまいました」

 8月以降は1軍に帯同していたおかげで、福田はセ・リーグのすべての球場を体感できた。先の課題は今シーズンは充分、対応可能なものだ。
「振り返ってみると、最初は良かったのにどんどん打たれてダメになるケースはなかった。先頭打者に四球を出したり、ヒットを打たれても、最後は良くなって抑えている。走者を背負ってからは開き直って投げられているんです。それなのにイニングの頭から同じことができない。ここが僕の課題なんです」

 中継ぎを経験して最も大切だと感じたのは、「疲れをためないこと」。リリーフはいつ出番があるのか分からない。肉体のみならず、精神的にもきつかった。9月に調子を落としたのも、知らず知らずのうちに蓄積された疲労によるものだ。だからこそ、このオフは今まで以上に体力強化に取り組んだ。1年間、1軍で投げ続けるための準備はできた。

 今季は中継ぎのみならず、先発もやってみたい気持ちがある。「四球で崩れるタイプではない。もう少し球種を増やすか、精度を上げれば、先発で活躍できる」と、香川時代から指導してきた岡本克道投手コーチも太鼓判を押す。目標に掲げるのは、あくまでも先発での勝利だ。
「先発として、もっとチームの勝利に貢献したいという思いがあります。でも仮に中継ぎをやってほしいと言われても、去年の2カ月の経験や反省点を生かせます。これは大きいですね」

 3年連続最下位に沈む横浜が浮上するには、投手陣の踏ん張りは絶対条件である。2011年、福田が先発、または中継ぎでフル回転する1年であれば、きっとそれは横浜にとってもいいシーズンになるはずだ。


 アクシデントに見舞われたルーキーたち――大原淳也、岡賢二郎

 ドラフト7位で入団した大原淳也(元香川)は新人合同自主トレでいきなりつまづいた。ランニング中に右のふくらはぎを痛めてしまったのだ。リタイア1号。プレーよりも先にケガで目立ってしまった。
「めっちゃ焦りました。でも周りの人からは今の時期だから、まだ良かったと思えと言われましたね」
 
 別メニューでトレーニングを積みながら、自主トレに来ていた他の選手たちの練習を横目で見た。当然のことながら、その意識の高さ、技術の高さに驚いた。
「まだ全力ではないのに、プレーがしっかりしていてうまい」
 妻子を実家に残し、単身でNPBの世界に飛び込んだ。活躍して家族と一緒に暮らすこと。それがひとつの夢だ。アピールはこれからである。

 同8位で入団した岡賢二郎(元愛媛)も故障で離脱してしまった。2軍でキャンプのスタートを切っていた7日、走塁中に足を痛めた。診断結果は右ふくらはぎの肉離れ。自主トレ中は同期の新人を中心に投手陣のボールを受け、「確かにキレはあるが、アイランドリーグのトップクラスにも、このくらいのボールは投げる人はいた」と手ごたえを感じていただけに痛恨のケガだ。

「キャンプでアピールして1軍へ」との青写真は描き直さざるを得なくなったが、まだシーズンは長い。焦らず、次なるアピール機会を狙う。

(石田洋之)