小さな大打者といえば、元ヤクルト監督の若松勉である。実際には166センチしかなかった体を最大限に生かし、卓越したスイングスピードとバットコントロールで.319の生涯打率を残した。これは4000打数以上では日本人トップの成績である。引退後もヤクルトでコーチ、監督として、岩村明憲(現東北楽天)、青木宣親、アレックス・ラミレス(現巨人)など、強打者の育成に力を注いだ。まさに打撃の職人とも言える若松に、監督時代の思い出と今後の希望を二宮清純が訊いた。
(写真:「体の大きい人間には負けない」との反骨心が小さな体を支えた)
二宮: ヤクルトの監督を退任して、もう6年になります。もう1回、ユニホームを着たいとの思いは?
若松: 縁があったら、という気持ちはありますよ。もしユニホームを着られるなら、バッティングを教えたいですね。

二宮: 同年代では楽天の星野仙一監督も頑張っています。日本一も経験した上に、北海道出身。「日本ハムの次期監督に」という声もありますよ。
若松: いやぁ、そんなのはないですよ(笑)。仙ちゃんは1つ上だけど、迫力がありますよね。現役時代も気迫で投げるピッチャーだったから。

二宮: 若松さんは指導者としても、いろいろな打者を育てられました。たとえば楽天の岩村選手が宇和島東高校からヤクルトに入団した時は、打撃コーチをされていましたね?
若松: バッティングもパンチ力はあるし、足は速いし、肩はいい。野村(克也)監督の時はほぼファーム暮らしでしたが、「この選手をなんとか生かす方法はないかな?」と考えていました。ちょうどその頃、池山(隆寛)が年齢的にも体力的にも下降気味になってきた。そこで監督1年目、思い切って池山を呼んで「岩村を使ってみたい。代打で協力してくれないか?」とお願いしました。もちろん本人もすぐには納得できなかったでしょう。最後は監督室で泣きながら、「わかりました。明日から(岩村を)使ってください」って返事をしてくれました。
 僕が池山に感謝しているのは、それでも彼がふてくされなかったことです。ベンチから常に声を出して、励ましてくれたし、攻守交代の時には守りの選手をイの一番に迎えに出てくれた。僕個人としては「池山には悪いことしたな」と思っているんですけど、非常に彼には助けられたという思いでいっぱいです。

二宮: 2001年の優勝時には、その岩村はもちろん外国人が活躍しましたね。ロベルト・ペタジーニにラミレス。ラミレスは最初、ホームランか三振かといったバッティングでなかなか結果が出ませんでしたね。
若松: いやいや。ホームランか三振だったら、まだ良かったですよ。だって三振か内野ゴロゲッツーだったんだから(笑)。ラミレスはパイレーツでは4番も打っていて、球団として2年もかけて、ようやく獲得できた選手だったんです。だから「何とか我慢して使ってくれ」って言われました。でも、使ってみると三振か内野ゴロ(笑)。「もう、どうするんだよ」って頭を抱えていましたよ。

二宮: かといって俊足でもなく、外野の守備も特別うまいわけではない。
若松: それが本当は彼、足が速いんですよ。内野安打になりそうな時の一塁までの走りを見てください。思わず「ラミちゃん、守備の時も、あれくらいの走力で打球を追ってくれよ」って言ったほどですよ。「守備は守備だ」とか答えていましたけどね(笑)。守備もそんなに下手じゃないんです。あれはグラブが悪い。開きにくくてボールが入らないようなものを使っているんです。「もうちょっとパッと開けてボールを掴みやすいグラブにしなさい」とアドバイスしたけど、未だに変えないもんね。

二宮: あまり守備には興味がないんですかね。
若松: そうだと思う(笑)。ただ、我慢して使っているうちに、右方向に打てるようになった。それから良くなったね。彼には「日本のピッチャーはずる賢いから、メジャーみたいに力で押してくるタイプはいない。必ず弱点を突いてくる。たとえばインサイドにシュート気味のボールが来たら、必ずアウトサイドのスライダーやカーブがボール気味で入ってくる」と話をしました。「もし、アウトコースを打つんだったら、強引に引っかけるのではなくて右中間方向に狙っていこう。そうしないと日本では長くプレーできないよ」って。

二宮: 今季のヤクルトは新外国人のウラディミール・バレンティンが大活躍ですね。キャンプでは臨時コーチとして指導されていましたけど、どうでしたか?
若松: 正直言って、全然ダメだった(笑)。「この選手はどうしたら良くなるかな?」って思いましたね。バッティングコーチも最初はお手上げだったんですよ。彼にもラミちゃんと同じようなことを話しましたね。
(写真:「調子の良し悪しは素振りの音で分かる」とバットを振って語る)

二宮: 青木選手は監督だった若松さんに年賀状を出して「僕を使ってください」とアピールしたと聞きました。その年賀状を若松さんは今でも持ち歩いているとか。
若松: これかな?(と言って年賀状を取り出す) 1年目はキャンプで見ても、体が細くてインサイドも振り遅れていた。いいものは持っていたけど、全部、打球が左方向にしか飛ばなかったんですよ。だから「1年間ファーム行って、体作ってこい」と告げて2軍で経験を積ませました。

二宮: 確かに“必ずチームに貢献します。今年も宜しくお願いします”って達筆な字で書いてありますね。これで「今年は使ってみよう」と思ったと?
若松: ええ。それで2年目のキャンプに入った時に、1年目の秋からやってきたことを継続してくれていたんですよ。秋のキャンプで、とにかくインサイドが打てるように振り込んで振り込みましたからね。「これだったら使えるな」と思って、開幕から出したんだけど、最初は全然打てない(笑)。外そうと考えたこともありますけど、そこを我慢して使っていたら徐々に自分の力を発揮し出してくれた。

二宮: 若松さんから見た青木選手の最大の長所は?
若松: バットコントロールが良いですね。あれは並のレベルではないですよ。明らかなボール球やワンバウンドでもコーンと当てられる。これは持って生まれたセンスだと思います。青木はフォームがよく変わるんですよ。いろんなことやって、それでも打てるのはバットコントロールの賜物です。あれくらいコントロールできるのは、日本では他にイチローくらいしかいないんじゃないかな。

二宮: もしユニホームを着たら、どんなバッターを育ててみたいですか。
若松: スイッチヒッターでパンチ力のある選手を育てるのが夢ですね。僕はスイッチヒッターに、ものすごく魅力を感じるんです。右だろうが左だろうが簡単に打ち返せる。僕も時々、右打席に挑戦したんですけど、ピッチャーのボールに対する感覚がつかめない。打席に立つのが怖くて、すぐに逃げちゃいましたよ。小さい頃から左で打っていたせいか、本当に右はブサイクでした(笑)。

二宮: 日本では高橋慶彦さんや正田耕三さん、近年で松井稼頭央選手(楽天)などスイッチヒッターも増えてきましたが、長距離も打てるタイプは松永浩美さんくらいですね。今の12球団を見渡して、スイッチに転向したら良さそうな選手はいますか?
若松: 横浜の筒香(嘉智)ですね。キャンプで見た時に、「いいバッターだな」と感じました。聞くところによると、高校時代は右でもホームラン打っていたとか。だから杉村(繁)コーチに「スイッチにしたら、面白いんじゃない?」って話をしました。「本人は左も苦にしないタイプだから、わざわざスイッチにする必要はない」ってことでしたけど。

二宮: 青木選手はどうでしょう?
若松: 無理ですよ。さすがに今からってわけにはいかないでしょう(笑)。

<現在発売中の『小説宝石』2011年7月号(光文社)では、若松さん自身の打撃論も含めて、さらに詳しいインタビュー記事が掲載されています。こちらもぜひご覧ください>