人気球団のゼネラルマネジャー(GM)ともなると、身にのしかかるプレッシャーは尋常ならざるものがあったに違いない。



 阪神の中村勝広取締役GMが、去る9月23日、都内のホテルで急死した。享年66。東京ヤクルト、巨人との熾烈な優勝争いのさなかだった。

<中村GMは発見時、ベッドに仰向けで横たわり、シャツ、ハーフパンツの着衣に乱れはなかった。心肺停止状態で体は冷たく、下半身は死後硬直が始まっていたという。その場で死亡が確認され、検視の結果、事件性なしと判断された。前夜は外食せず、部屋で夕食を終えたもよう。最終生存確認は前日の午後9時頃、部屋に胃腸薬を持っていった球団関係者が接触したのが、最後だった>(スポーツニッポン9月24日付)

 関係者によると中村GMは胃腸薬のみならず睡眠薬や血圧降下剤も服用していたという。ペナントレースも大詰めを迎え、心労もピークに達していたのだろう。

 故人を偲べば、地味ながらも芯の強い人、という印象がある。先輩に田淵幸一、後輩に掛布雅之、岡田彰布らスタープレーヤーがいたため、現役時代はバイプレーヤーに徹していた。

 同じ千葉県出身、ポジションもセカンドということもあって、監督の和田豊をバックアップするにはうってつけの人物だった。

 GMとしての評価は低くない。2013年に獲得したクローザーの呉昇桓、主砲のマウロ・ゴメスはともにタイトルホルダーとなっている。メジャーリーグから復帰した福留孝介も、今季は9年ぶりにホームランを、20本台に乗せた。

 いつだったか、本人に「自らの性格は?」と単刀直入に聞いたことがある。
「ちょっと頑固ですね」
間髪入れずに、そう答え、続けた。
「僕は海を見て育ってきた。先祖は漁師で、九十九里が故郷ですから。自分で言うのも何ですが、気性は激しい方です」
「現役時代、巨人のユニホームを見ると、カーッと体が熱くなったものですよ」

 90年から95年まで、6シーズンに渡って指揮をとった。これは今に至るも球団の最長記録である。

 惜しかったのは92年のシーズンだ。甲子園のラッキーゾーンが撤去されたのを受け、若くて活きのいい外野手を積極的に起用した。それが亀山努であり、新庄剛志であった。精神面の弱さを指摘されていた仲田幸司は14勝をあげる活躍を演じ、リーグ随一のチーム防御率(2.90)に貢献した。

 優勝したヤクルトに2ゲーム及ばなかったものの、懸案だった世代交代を促進したのは中村の大きな功績だろう。

 GM2年目の昨季はレギュラーシーズンで2位ながら、クライマックスシリーズで広島、巨人を撃破し、9年ぶりに日本シリーズにコマを進めた。それだけに今季は期するものがあったはずだ。

 千葉市内で営まれた葬儀・告別式では、南信男球団社長が「あなたがいなくなって、その存在感の大きさを改めて感じている」と弔辞を述べた。阪神は貴重な人材を失った。

<この原稿は2015年10月18日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>


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