世界一の代打男といえば、元阪急の高井保弘である。通算代打本塁打27本はメジャーリーグにもない“世界記録”だ。勝負どころで他球団のエース級のウイニングショットを一振りで仕留める。その仕事を全うすべく、高井はすさまじい努力を重ねていた。ベンチやネット裏で投手のフォームを目を皿のようにして観察し、クセによって球種を見破るのだ。各投手の特徴をまとめた「高井メモ」は、他の選手から「ベンツと交換してほしい」と懇願されるほど詳細なものだった。そんな貴重なメモの一端を今回、二宮清純の取材で本人が明かしてくれた。
(写真:今だから明かせる成田文男、村田兆治、東尾修らのクセを熱く語る)
二宮: 「高井メモ」のきっかけは阪急でチームメイトだったダリル・スペンサーが投手の特徴をノートにまとめていたのを参考したことだと聞きました。スペンサーはどのように投手のクセを盗んでいたんでしょうか?
高井: 投げるほうの手首のスジを見よったんですね。球種はそのピッチャーによりけりやけど、ボールを深く握っていたら手首が前に倒れるからスジが見えない。逆に浅く握っている時は手首が立つのでスジが見える。「あのピッチャーはスジが見えたらカーブ」「このピッチャーはストレート」とか、そういうところをチェックして、球種を見わけていた。

二宮: 18.44m先のマウンドに立っているピッチャーの手首のスジなんて見えるものですか? よほど目を凝らさないと難しいでしょう?
高井: 確かに球場によっては暗いところもあったし、見にくかったよ。でも江夏のフォークはスジがはっきり見えたな。

二宮: そして高井さんは相手投手のクセを次々と発見していくわけですが、見破るためのコツや、よく見るチェックポイントはあるのでしょうか。
高井: まずは始動から見るね。ワインドアップだったら、どのへんから腕が上がってきて、どこで止まるか。その腕を上げる際には帽子のひさしと距離があるかないか。あと、止まった位置でグラブがどうなっているか。球種によって、腕の上がり方や止まる位置、グラブの大きさが違うことがあるから、そこを確認する。

二宮: セットポジションの場合は?
高井: 最初のグラブの位置やね。ベルトの上に置くのか、ちょっと下に置くのか。グラブの先っちょが垂れているのか、上がっているのかも重要やね。たとえば日本ハムにいた高橋直樹。アイツは典型的やった。グラブの先っちょが垂れたらシンカー。ベルトと平行ならカーブ。ちょっと上を向いている時は真っすぐ。

二宮: そんなところまでチェックしているんですか!
高井: ピッチャーだけやない。監督のサインも見てたよ。たとえば日本シリーズで対戦した(巨人の)長嶋さん。ベンチの中で右方向に顔が向いた時はバント。左を向いたときはスチール。エンドランの時は左を向いて体が動く。ジェスチャーで三塁ベースコーチに伝えていたんです。

二宮: メモを拝見すると、野手の動きの特徴まで書いています。ショートの河埜和正さんに関しては「2塁へのスライディングは強く。腰が逃げる」と。
高井: そうそう。アイツは怖がりやったから、ゲッツーを阻止したい時なんかは、二塁へのスライディングを強くやったら、腰が逃げて送球が遅くなる。

二宮: デーブ・ジョンソンが二遊間に入った時には、「グローブを口のところに長い時はショートが入る。短い時はセカンドが入る」と書いています。これは?
高井: 牽制とか盗塁の際にどちらが入るか決めるにあたって、グローブで口を隠してコミュニケーションをとる。それが長いとショートが入るから、エンドランのサインが出た時にはショートに打ったら、ヒットになる確率が高い。そういうところまで見てたね。

二宮: いや、本当にすごい! 確かにベンツ1台の価値はありますね(笑)。当時の阪急が強かった理由がよくわかりました。
高井: 最初の頃はセ・リーグの投手はオープン戦とかで観察していたけど、70年代後半になるとビデオが出始めた。スコアラーに録画してもらって、シリーズ前に皆でそれを見ながら解読したんです。いつ誰と対戦するか分からんし、エース級やったらストライク3球のうち打てる球は1球しかない。代打は1打席で勝負せなアカンのやから、生き残るためには手がかりになるものは何でも探しましたよ。

<現在発売中の『小説宝石』2011年9月号(光文社)では、さらに高井メモの詳細が明らかに。こちらもぜひご覧ください>