現在、今季の欧州リーグで最も点を取っている日本人選手と言えば、オランダ1部のADOデンハーグでプレーするハーフナー・マイクである。

 11月6日のアウェー、ローダ戦では左サイドからのクロスを左足で合わせて、12節終了時で早くも8ゴール目を挙げた。3日現在の得点ランキングは5位タイと、上位に食い込んでいる。

 

 最近は日本代表から遠ざかっているものの、11月のロシアW杯アジア地区2次予選シンガポール、カンボジア戦では代表招集の可能性を示すレターが届いた。結局、招集されなかったが、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督も194センチの長身ストライカーに熱い視線を送っていると言っていい。

 

 スペイン移籍が決して遠回りなどではなかったことを彼は証明している。

 昨季、フィテッセで2シーズン2ケタ得点をマークした実績をひっさげてスペイン1部のコルドバCFに移籍。レアル・マドリーとの開幕戦で先発出場を果たすなど新天地での活躍が期待されたが、2部から昇格したばかりのチームは勝利が遠く、批判の目はゴールのないマイクにも向けられた。そして早期の監督交代……結局わずかリーグ戦5試合に出場したのみで契約解除に至り、スペインから離れることになってしまった。

 

 移籍先も簡単には決まらなかった。中国スーパーリーグに移籍する可能性も報じられるなか、今年3月にフィンランド1部のHJKヘルシンキに移籍。世界的には注目度の低い北欧で短期間過ごしたうえで、オランダ1部に戻ってきた。激動の1年が彼を、よりタフにさせたことは間違いなかった。

 

 マイクという男は、追い込まれてからが強い。

 あのときもそうだった。

 

 2009年、横浜F・マリノスでの4シーズン目。J2のアビスパ福岡で7得点を挙げてレンタル元である横浜に復帰したが、途中出場した試合でミスばかり繰り返した。周囲との連係が噛み合わず、前線で孤立しただけ。マイクは打ちひしがれた。今まで経験したことのないほどの挫折感を味わった。

 

 彼は言っていた。

「4年目のシーズンになるのに、俺、何やってんだって思いましたよ。今でも忘れもしません。グランパスとの試合に出て、ミスしかしてなくて……。これ以上ない挫折感でしたね、下手なままだし、なんにも変わってないじゃないかって。あのときはどこでもいいから、J2からやらないと俺はダメだと思いましたね。4年目で結果が出なかったら、もうその後はないなと覚悟しました」

 

 シーズン途中の5月、引退の覚悟を決めて当時J2のサガン鳥栖に移籍した。敢えて自分を追い込もうとした。“熱血監督”岸野靖之のもと、彼は心身を一から鍛え直した。

 

 試合中、指揮官からは「気持ちを見せろ!」と再三再四ハッパをかけられた。リーグ戦33試合に先発して途中交代したのは一度しかない。疲れた素振りを見せてもベンチからは「走れ!」の声が飛んだ。

「岸野さんは熱く接してくれました。サッカーを楽しくやっていたころに戻れた。鳥栖でプレーしたのはわずか半年間ほどでしたけど、あれがなかったら今の自分はいません。落ちるところまで落ちたんだから、あとはもう上がるだけだっていう気持ちにもなれましたから」

 

 この年、鳥栖で15得点をマークし、彼は浮上のきっかけをつかむことになる。その後、移籍したヴァンフォーレ甲府でJ2得点王に輝くなど活躍が認められ、ついに2011年にはA代表デビューを果たすわけである。

 

 追い込まれても下を向かず、気持ちを吹っ切ってサッカーにのめりこむ。それがきっと今回も同じではなかったか。スペインでのつまずきを「失敗」とせず、再び浮上していくためのきっかけに変えることができたのだから。

 

 マイクの反撃はまだ始まったばかり。順調にゴールを積み重ねていけば、必ずや代表復帰も見えてくるはずだ。


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