阪神の新監督に就任した金本知憲は、ドラフト1位で指名し交渉権を得た高山俊(明大)に向かって「練習はキツイですよ」とメッセージを送った。


 

 巨人の指揮を執ることになった高橋由伸も、秋季キャンプは厳しくなる、と言明した。スポーツ紙には「地獄の宮崎」との見出しが躍っていた。

 

 ところで「地獄の~」と言えば真っ先に思い浮かぶのが、1979年オフの巨人・伊東キャンプである。

 

 この年、巨人は5位に終わった。チームを再建すべく陣頭に立ったのが長嶋茂雄だ。

 若手を鍛える――。この方針の下、投手では江川卓、西本聖、鹿取義隆、藤城和明、角盈男、野手では中畑清、篠塚利夫、山倉和博、山本功児、松本匡史らが招集された。

 

 選手を前にしてのミスターの第一声はこうだった。

「我々は平家の落ち武者のように都落ちしてきた。敗れた我々を、伊東の方たちはこれほどまでに温かく迎えてくれた。こんなありがたい巨人ファンがまだ全国にはいっぱいいるんだ。

 この誇りを胸に秘めて練習に取り組んでもらいたい。そして来年こそもう一度、都に旗を立てるんだ」

 

 メンバーのひとり西本から、こんな話を聞いたことがある。

「確かに“落ち武者”という言葉が実感できるようなホテルだったね。電気も薄暗く、とても伊東のイメージはなかった」

 

 実際、どれくらい厳しかったのか。当時の投手コーチ高橋善正から聞いた話。

「なにしろ体力強化が基本方針だから、彼らのバテた姿を監督に見せなければならない。それで“最後のゴールはあそこだ!”とか言って、バテている選手に階段のところまで走らせた。当然、選手たちはもうへとへと。その姿を見て監督は喜ぶわけさ(笑)」

 

 多少の演出もあったようだ。

 西本によると“地獄のキャンプ”を通じて選手とコーチ、監督の距離が縮まり、チームに一体感が生まれたという。それがミスターの本当の狙いだったのかもしれない。

 

<この原稿は『週刊大衆』2015年11月30日号に掲載された原稿を一部再構成したものです>


◎バックナンバーはこちらから