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(「苦楽をともにした仲間とサッカーができたことが一生の宝」と語った澤穂希)

 元サッカー日本女子代表でINAC神戸に所属する澤穂希が17日、都内で引退会見を行った。37歳の澤は「一番の理由は心と体が一致して、トップレベルで戦うことが、だんだん難しくなってきたと感じたからです」と語った。会見では終始、笑顔を見せ、「長い間、サッカーを続けてきました。たくさんのことを経験して、本当に悔いなくやりきったなと思えた。最高のサッカー人生だった」と話した。

 

 女子サッカー界の顔がピッチを去る。澤が現役引退――。16日、マネジメント事務所を通して発表された。ほとんどのスポーツ紙が1面で報道。この日の会見にも多くのメディアが詰めかけた。

 

 リオデジャネイロ五輪を来年に控えており、現役続行もささやかれていた。しかし、澤の下した決断は違った。

「自分の体もしんどいし、心、モチベーションを保つのも大変で。皆さんが想像している以上に心と体を一致させてトップレベルでやるのは、本当に簡単なことではなくて。なでしこの方だけじゃなく、INACの方でも一生懸命、自分の中でもやってきたなという思いがあっての決断です」

 

 全盛期に比べて肉体は衰えた。それでもまだ十分にやれるはずだが、「回復するのも若い時に比べれば遅いですし。体は今まで、足が出ていたところが出なくなったりもした。自分の中で、ベストな状態でやっている時の体と比べると、ちょっと……というのは感じていました」と語った。

 

 現在37歳。去年から引退については頭に浮かんでいた。「代表から外れた時に色んなことを考えた。現役を今年続けるか、続けないかと自問自答を何度も繰り返してきました。W杯を終えた瞬間に本当に悔いなくやりきったなと思った瞬間があって、その時くらいから少しずつ今年いっぱいかなと言う気持ちでここまできました」と、その胸の内を明かした。

 

 澤の経歴を見れば、いかに女子サッカー界を牽引してきたかがわかる。93年には15歳で代表デビュー。95年からW杯6大会連続出場を記録した。11年W杯ドイツ大会では、得点王と大会最優秀選手賞を獲得し、なでしこを初優勝に導いた。翌年、男女を通じてアジア人初となるFIFA年間最優秀選手賞に輝く。12年ロンドン五輪、15年W杯カナダ大会の準優勝に貢献するなど、日本サッカー史に数々の栄光を刻んできた。

 

151217澤穂希立ち(加工済み)

(「人生の半分はなでしこでプレーをしたので家族のような存在」と笑顔で話した)

 ここぞの場面で多くのゴールを決めてきた澤。彼女が「一番嬉しかったゴール」と振り返るのは、11年W杯決勝のアメリカ戦での起死回生の同点弾だ。延長1-2の場面で、MF宮間あや(岡山湯郷Belle)のCKを右アウトサイドで叩き込んだ。アシストした宮間には引退の旨を伝えた。

「『本当ありがとう。一緒の時代に、サッカーができたことを本当に嬉しく思う』と言ってくれました。あやは責任感がある子ですし、一人で色んなものを背負わなければいいなという心配と、そしてリオでも大活躍してほしいな、と期待もしています」

 自らが巻いたキャプテンマークを引き継いだ戦友にエールを送った。

 

 将来のことは未定としながらも、「今は皇后杯が終わったら、ちょっとだけ体と心を休ませてから今後は、澤穂希にしかできない仕事をやっていけたらいいなと。そして、子供が大好きなので、今後、日本女子サッカーの底辺を広げるためにも、子供たちに夢を与えられる仕事ができればいいなと思います」と晴れやかな表情で未来を見据えた。

 

 引退は表明したが、今シーズンはまだ残っている。所属するINAC神戸は19日に皇后杯準々決勝を控えているからだ。「1試合1試合、今持っているすべての力を出しきて、応援してくれたすべての人に、感謝の気持ちを込めて澤穂希らしい、泥臭いプレーだとか、最後まで諦めないひたむきなプレーを見せられたらいいなと思います」。トーナメント方式の皇后杯。決勝までいけば最大3試合、澤のピッチで躍動する姿を目にすることができる。なでしこたちが、見つめてきたその背中。少しでも長く、見せてほしい。

 

(文・写真/大木雄貴)