4番はファンの期待に応えることが第一 掛布雅之 <後編>

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 しかし、好事魔多し――。翌80年4月、掛布は後楽園球場での巨人戦で左ヒザを負傷する。セカンドベースを蹴る際、スパイクが人工芝に引っかかり半月板を損傷したのである。

 

<この原稿は2013年8月号の『小説宝石』(光文社)に掲載されたものです>

 

 ヒザの故障はスラッガーにとっては致命的だと言われるが、翌81年、掛布は甦った。キャリアハイとなる打率3割4分1厘をマークしたのである。出塁率4割4分3厘はリーグトップだった。

 

 掛布は語る。

「この年の僕はホームランを捨てていました。長打を打たなくていいと決めると、体の使い方を小さくすればいいわけですから楽なんです。その結果が3割4分1厘。“あっ、これが自分の一番素直な野球の姿なんじゃないだろうか”と思いました。

 

 今だから言いますが、この年、首位打者をとったのはチームの先輩・藤田平さん。シーズンの半ば、僕は“首位打者を獲ろうと思えば獲れます”と言っちゃった。すると藤田さんの顔色がサァーっと変わった。

 

 それを見た打撃コーチの中西太さんが僕に“今年は平に(首位打者を)獲らせてやれよ”と言ったんです。“いや中西さん、僕が意識しているのは全試合出場だけですから”と返したんですが、逆に言えば、それくらい調子がよかった。なにしろ、全試合でヒットを意識していたくらいですから。

 

 全試合出場を目指したのは、それまでは一度も全試合に出場したことがなかったからです。小さな体でボールを飛ばそうとすると、どうしても無理をする。試合を休んだことで、マスコミやファンの期待に応えられなかったこともあります。

 

 ならば、自分の姿をマスコミやファンにさらけ出そう。それは全試合に出場することで初めて可能になると判断したんです。

 

 ところが、です。マスコミもファンも僕の最高打率をあまり喜んでくれない。それどころか“なぜ23本しかホームランを打てなかったんですか?”と責められるありさま。これは予想外の反応でした。

 

 そうか、阪神の4番を任される以上、ファンが期待する野球をやることも必要じゃないかと。もちろんチームの勝利が大前提ではあるんですが、当時の阪神としては強くなかった。負け試合でお客さんに満足してもらうためにはホームランは不可欠なんだという自分なりの結論に達したんです。

 

 事実、ファンの人からは“今日は負けたけど掛布のホームランが見られてよかった”という声がたくさん聞こえてきました。チーム事情を考えた時、かつては田淵さんが果たしていた役割を、僕が引き受けざるを得なくなったんです。その意味では田淵さんが79年に西武にトレードされなければ、また僕の野球人生も変わったものになっていたかもしれません」

 

 掛布の野球人生のハイライトは1985年である。この年、チームは21年ぶりのリーグ優勝を果たした。日本一は2リーグ分立以降、初めてだった。

 

 優勝の原動力はランディ・バース、掛布、岡田彰布のクリーンアップトリオだった。

 バース 3割5分、54本塁打、134打点

 掛布 3割、40本塁打、108打点

 岡田 3割4分2厘、35本塁打、101打点

 

 4月17日、甲子園での巨人・槙原寛己からのバックスクリーン3連発は、今も語り草である。

 

 懐かしそうな口ぶりで、掛布は語る。

「あまり知られていませんが、僕はこの年94四球で、セ・リーグの四球王になっているんです。僕が考えたのは強い4番とは何か。3番のバースに勝負させ、岡田に数多くチャンスを与えるにはどうすればいいか。僕が恐いバッターじゃなければ、ピッチャーはバースとの勝負を避けるでしょう。逆に何でもかんでも手を出しているようなバッターでは岡田の前にチャンスをつくれない。

 

 つまり4番としての強さのシンボルがホームランの数と四球の数だったんです。そして、そのことを誰よりも評価してくれたのが同僚のバースです。だから彼はシーズンが終わって帰国する前、必ず僕のところにきて“カケ、ありがとう! オレはオマエがいてくれたから三冠王を獲れたんだ”と言ってくれました。

 

 優勝した時には監督の吉田義男さんが優勝の要因を聞かれ“最大の要因はウチには日本一の4番バッターがいることだ”と言ってくれました。これはうれしかったですね。あの一言で我慢した甲斐があったと報われた気になりました。

 

 監督が代わってからも、バースは“来年もカケフの前で打たせてくれ。カケフの前で野球ができるのなら、全部タイトルを獲る自信がある”と言ったそうです。これは僕に対する最高の褒め言葉だと思いましたね」

 

 初代ミスター・タイガースは“物干し竿”と呼ばれる長尺バットで戦前、戦後の阪神で主砲を務めた藤村富美男である。打者における2代目は阪神史上最多の通算320本塁打(西武時代を含めると474本塁打)を放った田淵幸一。そして掛布が3代目である。

「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つは我にあり」。これはフランスの詩人ポール・ヴェルレーヌの言葉だが、名門球団の4番には、そこを任された者にしか分からないカタルシスやプレッシャーがあったに違いない。

「仮に2死無走者で4番が初球をライト前に流し打ったとする。一塁ベース上でコーチとグータッチする者がいます。“オマエよぉ、それでグータッチはないやろう!”と言いたくなりますね。いや、初球を打ってライト前ヒットも褒められたものではない。

 

 それだったら、2ストライクにしておいて相手のウイニングショットを狙い打った方がいい。三振したって、ウイニングショットを狙っていることをピッチャーに伝えることでプレッシャーをかけることができるんです。

 

 それに昔の4番は四球が多かった。王さんだって5打席入ったとしても、打数は3か4ですよ。必ず一試合でひとつくらいは四球をとっていた。相手も、それだけ怖かったと思うんです。

 

 ところが今は、ピッチャーとじっくり勝負する4番が少なくなりましたね。これはピッチャーの投げるボールと無関係ではないと思うんです。最近は“動くボール”が全盛で、ピッチャーはバットの芯をはずそうとする。

 

 バッターは追い込まれるのが嫌だから、1ストライクを取られただけで2ストライク取られたような気持ちになっているんじゃないでしょうか。もう慌ててしまって、自分の狙っていないボールまで打ちにいっている。

 

 それが証拠に僕らの頃は1試合、70~80球ですんだボールが、今は10ダースいるというんです。だいたい120球。狙っていないボールにまで手を出すから、どうしてもファウルが多くなってしまうんです。

 

 コーチの指導法を見ていても、最近は“3回振ってこい!”というコーチが多いですね。僕は、それじゃダメだと思うんです。特に4番を張るようなバッターは、1球で仕留めなければダメですよ。ファウルは実質的にはバッターの負けなんですから。

 

 だから僕は練習の時からダイヤモンドの90度の中にボールを運ぶことを意識していました。自分の中で大きめのストライクゾーンをつくり、少々ボール気味の球であっても、90度の中にきっちり打ち返すんです。

 

 もっとも、ピッチャーはそうさせないようにバッターのタイミングを崩しにかかる。僕はそれを想定して崩れたフォームでも90度の中に打球を運ぶ練習をしていました。

 

 しかし今の野球を見ていると、練習の時からヒジを伸ばしてガンガン打っている。ゴルフで言えばドライバーの打ちっ放し。実際、試合になったら、あんなに気持ちよく打つことはできません。窮屈に打つことだってあるんです。ならば、先回りしてそういう練習をやっておいた方がいい。今は練習のための練習のように見受けられることが、しばしばありますね」

 

 掛布にはライバルがいた。巨人のエース江川卓である。18.44メートルを挟んでの“無言の会話”は巨人ファン、阪神ファンのみならず、多くのプロ野球ファンを魅了した。

 

 15年間のプロ野球生活で349本のホームランを記録した掛布にとって最も印象深いのが79年7月、江川との初対決で放った一発だったという。颯爽と4つのベースを回る間、掛布は一度も江川に目をくれず、また江川もポーカーフィエスを崩さなかった。それは二人の意地と矜持を示す象徴的なシーンだった。

 

「いつだったか江川がすごく面白いことを言ったんです。仮に5対2で巨人が勝ったとする。しかし、その2点が僕の2本のホームラン。もうひとつが巨人が2対5で負けたとする。僕からは4奪三振。“どっちがいい?”と聞くと、江川は“オマエから4三振取れれば、オレは負けても構わない”って。その話を聞いて“これがエースの、考え方なんやな”とちょっと嬉しくなりましたね。

 実際、僕らはそういう勝負をしてきた。目の色変えて勝負するから、現役時代“二人は仲が悪いんじゃないか?”と言われたこともあります。全くそんなことないのですが、現役時代、二人で一緒に食事をしたことは一度もありません。

 実は一度、会食の話があったのですが、“でもよォ、ファンが巨人のエースと阪神の4番がメシ食っているところを見たら何と思うかなァ。やっぱり嫌やと思うぞ”と言うと、彼も“そりゃ、そうだな”と言って納得してくれました。

 ふたりのプライドがそうさせたんです。その後ろには、無数のファンの目があった。しかし最近はどの球団の選手も仲が良すぎますね。少々ヤンチャでもいいから、もっと敵意をむき出しにして欲しい。時代が変わったと言われればそれまでですが、昔の野球の良さまでは崩してもらいたくないという思いがありますね」

 

 まだ58歳。タテジマでなくてもいい。もう一度、彼のユニホーム姿を見たいと思っているのは、きっと私だけではあるまい。

 

(おわり)

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