終盤の猛烈な追い上げで大逆転のCS進出を決めた埼玉西武。その立役者となったのが4番の中村剛也だろう。12球団のダントツの48本塁打、116打点。本塁打数ではパ・リーグ2位の松田宣浩(福岡ソフトバンク)に23本差をつけた。これは長いプロ野球の歴史でも例のない“独走”だ。“飛ばないボール”をものともせず、ホームランを“おかわり”し続けた秘密はどこにあるのか。二宮清純が取材した。
(写真:他球団の打者がうらやむ好成績も「全然満足していない。もうちょっと打てた」と語る)
 振り向けば、ロッテ。
 ホームランを量産する“おかわり君”こと埼玉西武の主砲・中村剛也(28歳)のライバルは個人ではない。球団である。

 9月29日現在の両者のホームラン数は次のとおり。
 中村剛也=43本。千葉ロッテ=40本。
 70年を超える歴史を誇るプロ野球の中で、個人のホームラン数が球団のそれを上回ったことは2リーグ制になって以降、2度しかない。西鉄の中西太が53、54年に記録している。その事実を踏まえれば、いかに今季の中村のホームラン数が突出しているかが理解できよう。

 もうひとつ驚くべきデータを紹介しよう。
 プロ野球におけるホームランの日本記録は55本だ。王貞治(64年)、タフィ・ローズ(01年)、アレックス・カブレラ(02年)がレコードホルダーである。
 では、彼らが放った55本はそのシーズンの全ホームラン数(両リーグ合計)の何%を占めていたか。つまりホームラン占有率だ。
 答えはこうだ。
 王貞治=3.8%。ローズ=3.1%。カブレラ=3.2%。

 しかし、彼らを超えるホームラン占有率を記録したスラッガーがいた。
 野村克也である。野村は62年、44本塁打ながら4.3%というホームラン占有率をマークしていたのだ。これこそは2リーグ分立以降の知られざるアンタッチャブル・レコードだ。
 今季の中村はその記録を軽く超えてしまいそうな勢いを持続している。29日の時点で、彼が放った43本は総本塁打数の5.1%にあたる。今まさにとんでもない記録が生まれようとしているのだ。

 低反発の統一球、すなわち“飛ばないボール”の導入はプロ野球の風景を一変させた。昨季まで間違いなくフェンスオーバーしていた打球が外野フェンスの前で失速する。本塁打数は球界全体で前年比マイナス約40%。巨人に至っては前年比マイナス約54%だ。
 この惨状を目の当たりにして、ついにナベツネのおとっつぁん(渡邉恒雄・読売巨人軍会長)がキレた。
「日本だけの野球だったら、統一球にする必要はないんじゃないか。これで観客数が減ってんだ! 空中戦の方が面白いんだよ」

 そもそも低反発の統一球導入のきっかけは国際標準を意識してのもの。それは巨人も納得していたはずだ。それが今になって「空中戦の方が面白いんだよ」とはヤツ当たりもいいところだ。
 今こそ“おかわり君”にボールの飛ばし方を学ぶべきだろう。それにしても、ほとんどのスラッガーが飛距離を失う中、なぜ彼の打球だけは豪快な放物線を描くのか。

 今季、中村には忘れられないホームランが2本ある。1本が6月5日、横浜スタジアムで横浜の牛田成樹から奪ったレフトスタンドへの一発。もう1本が6月29日、京セラドームでオリックスの中山慎也から奪ったレフトへのソロホームランだ。
 中村は語る。
「牛田さんからの一発は、その前の中日戦で左手にデッドボールを受けており、バットも握れないような状態でした。だから、あのホームランは右手一本で打ったようなものでした。打ったボールは内角高めのストレート。左手に全く力が入らないので、じゃあと全部の力を抜き、インパクトの瞬間だけ右手をグッと押し込んだ。目いっぱい力を入れて振らなくてもボールは飛ぶんだというコツが何となく掴めましたね。
 中山さんからのホームランも同じくインコースの真っ直ぐです。これまでは詰まったら飛ばないと思っていたのですが、詰まっても飛んでいった。それ以来ですね。“詰まっても大丈夫だろう”と楽な気持ちで打席に立てるようになったのは……。これまで抱いていた詰まる恐怖心もなくなりました」

 ヘッド兼打撃コーチの土井正博は中村の好調の秘密を、こう見ている。
「しっかりボールを飛ばすポイントを持っているからでしょう。上体だけでなく下半身を使って打っている。これが他のバッターとの大きな違い。7月に本人と話したら“詰まってもスタンドに入るポイントを見つけた”と言っていました。確かにそれからホームラン数が増えていきましたね。
 同じホームランでも昨年までと同じボールなら場外まで飛んでいたようなスゴイ打球もある。昨年までのボールだったら今季はおそらく背番号(60)と同じくらいのホームランを打っているでしょう」

 放物線を描く中村の豪快なホームランを見ていると、この国には彼しか真の長距離砲はいないのではないかと思えてくる。ドラム缶のような太い軸がグルッと回転した瞬間、打球は高々と舞い上がり、十分過ぎるほどの滞空時間をみたして、ゆっくりとフェンスを越えていく。ゆえに中村のホームランには余韻が残る。

 中村について語る時、抜きにすることのできない人物がいる。昨季の途中まで西武の打撃コーチを務めていたデーブ大久保(本名・博元)だ。デーブは07年オフ、古巣・西武の打撃コーチに就任した。監督の渡辺久信からは「サンペイ(中村のニックネーム)を再生させてくれ」との指示を受けていた。
 中村は入団4年目の05年に22本塁打を放って頭角を現したものの、06、07年は不振に陥り、9本塁打、7本塁打にとどまった。

 秋季キャンプ地の宮崎県南郷町(現日南市)。中村のフリーバッティングを見ているうちに、デーブはあることに気が付いた。ピッチャーのボールを引き寄せすぎるあまり、右足、つまり後方の足の前でボールをとらえていたのだ。
 ポイントを後ろにすればボールの変化に対応できる。しかし、飛距離は稼げない。ひらたく言えばボールを「打つ」のではなく、「打たされていた」のだ。

「サンペイ、左足の前で打て。今よりも2メートル前でボールを叩け!」
 アドバイス直後、打球はレフトフェンスを越え、外野スタンドの芝生の上ではねた。4年前の秋を懐かしむようにデーブは振り返る。
「ありゃ、スゴイ打球でしたよ。ドカーンという一発。スイングは全然、変わっていない。ただヒッティングポイントを前にしただけで飛距離がこれまでとは全然違ったんです」
 それは眠れる獅子の目覚めの雄叫びだった。

 翌08年のシーズン、中村は46本塁打を記録して初のホームラン王を獲得した。09年には48本塁打、122打点で2冠王に輝いた。かつての師匠の目に今の中村はどう映っているのか。
「あれは昨年のシーズンが始まる前だったかな。サンペイが僕に言ったんです。“デーブさん、見てください。バットを替えたんです”と。手にするとグリップエンドが細く、バットの重心がヘッドの方に移っていた。いわゆる長距離打者用のバットです。
 これにより、ヘッドスピードがさらに速くなった。しかもサンペイはインパクトの瞬間、45度の入射角をつくることができる。これについては専門家に確かめたことがあるのですが、45度の角度でボールをとらえた時が最も飛距離が出るそうです。あの王さんも現役時代は45度の角度でとらえていたんですから……」

 さらにデーブは説明を続ける。
「サンペイの打ち方を見ていてください。バッターボックスでどうしているか。“沈んで伸びる。沈んで伸びる”。そんな動作を繰り返しているんです。
 この、いったん“沈む”ところがミソ。この間を利用してエネルギーを貯めている。それをインパクトの瞬間、すべて解き放つ。その場合、ポイントを前にしておいた方がボールは飛ぶんです」

 デーブの指導がどれほど有益だったか。かつて中村はこう語っていた。
「デーブさんから“前で打て”と言われた時、最初は“大丈夫かな?”と思ったんです。それまでは“(後方の足に)近いポイントで打て”と言われていたものですから。でも、それでは結果が出なかった。ホームランも思ったように打てなかった。
 それで“(デーブさんの言うように)やってみようかな”と思ったんです。実際、そのとおりにしたら、打球の角度や飛距離がまるで変った。これできっかけを掴んだことは事実です」

 今季は“デーブ流”にマイナーチェンジを加えた。中村は語る。
「08年の頃は左足の前あたりで打っていました。しかし、あまり前で打ち過ぎると穴も大きくなる。今はもう少し(ポイントは)後ろですかね。少々、詰まっても、右手でしっかり押し込むことができれば、ボールは飛んでいきます」

(後編につづく)

<この原稿は2011年10月15日号『週刊現代』に掲載された内容です>