(3) 結果を残さなければ1部にはいられない。シビアな戦いが繰り広げられる東都大学野球リーグは、「戦国東都」と呼ばれる。全国各地で有数の選手が集まる東都で、昨秋、首位打者に輝いたのは亜細亜大学・法兼駿(3年)である。法兼は昨年の秋季リーグで打率4割7分1厘を記録して、亜大の3季ぶり24度目のリーグ優勝に大きく貢献した。素晴らしい活躍を見せた法兼だが、開幕戦はベンチスタートだった。そこから彼が一気にブレークした背景には何があったのか――。

 

 2015年9月2日、亜大は、専修大学との試合を皮切りに同年の秋季リーグが始まった。スターティングメンバーが表示されたスコアボードに法兼の名前はなかった。ベンチ入りは果たしたものの、彼は当時の心境をこう明かす。

「開幕戦はベンチじゃなくてレギュラーで出たかったです。でも、代打などの途中出場で、何とか結果を残してレギュラーの位置にいけたらいいなと思い準備していました」

 

 しかし、開幕戦で法兼の出番はなかった。チームは6対2で快勝。幸先良いスタートを切ったチームは次の日、再び専大と戦った。前日とは打って変わって2戦目は7回まで0-2のビハインド。打線は3安打無得点と苦しい展開に追い込まれていた。あわや完封負けの危機を救ったのは、代打で登場した法兼の一振りだった。

 

 8回1死走者なし、法兼はバッターボックスに立った。彼は代打で使われることを事前にイメージして、相手ピッチャーの動画を見て入念に研究していた。「代打を想定した練習をしていたので、自信を持って打席に入りました」。その言葉通り、落ち着いて打席に入った。ランニングソロ本塁打を放ち、チームに待望の得点をもたらした。試合には1-3で敗れたものの、法兼が一矢報いたことで流れを完全には相手に与えなかった。

 

 スタメンであれば3打席のうち1本ヒットを打てば十分だが、代打はたった1打席で結果を出さなければならない。法兼は専大戦の3試合中2試合に代打で出場し、2打席1本塁打1四球を記録した。少ないチャンスをモノにして、次の対戦カードからはスタメンの座を手に入れた。

 

 中央大学戦では「9番・セカンド」で出場をした。シーズン初スタメンは3度、打席が回ってきた。1本もヒットは打てなかったが、一度も凡打に倒れていない。3打席すべてでフォアボールを選んだのである。「打ちたいという気持ちはなかった。9番だったので、なんとか繋ぐ役割に回ろうと思っていた」と法兼。自らの任務を忠実にこなす彼の出塁率は、この時点で10割を誇った。

 

 法兼の仕事ぶりを誰よりも評価していたのが亜大の生田勉監督である。「彼はベースの近くに立って、バットを短く持っていた。なんとか繋ごう、なんとか出塁しようとする気持ちがプレーに表れていました」と振り返る。その後、不動の二塁手である先輩の北村祥治が打撃不振に陥っていたこともあり、「2番・セカンド」に抜擢された。2番に座ってからは、毎試合必ずヒット1本以上を放つ好調ぶり。見事ベンチの期待に応えてみせた。

 

 

(4) 課題に取り組んだ一年間

 

 打席での冷静な判断力と巧みなバッティングコントロールに加えて、俊足も彼の魅力だ。小学生まで陸上クラブに所属していたこともあり、50メートルを6秒フラットで駆け抜ける。2番でスタメン出場してから打った15本のヒットうち7本が内野安打である。この数字からもわかるように彼は群を抜いて足が速い。「何でもできるプレースタイル」を目指す法兼にとって、走攻守の守備が一番の課題だった。

 

「バッティング練習ばかりしていて、守備に全く興味がなかった」。高校までは打撃練習ばかりしていたが、大学に入学してから守備練習もするようになった。しかし、2年間でレギュラーの座を掴むことはできなかった。理由は守備力にあった。生田監督や徳田紀之コーチからは「守備力がなかったらDHしか試合で出る場面がない。守備ができなければ、試合に出られないんだぞ」と指摘された。3年になって法兼は守備に対する意識が大きく変わった。

 

 自分に足りないものが分かってからは、必死に課題克服に取り組んだ。法兼は守備力強化のために、ハンドリングや足の動かし方など、独自に考案したメニューを地道に何度も繰り返した。

「守備を安定させることで、総合的にバッティングも良くなると思っていた」。事実、彼の思惑通りに結果がついてきた。昨秋は首位打者を獲得し、二塁手のベストナインにも選出された。一年間の努力が実を結んだ瞬間だった。

 

 法兼は高校通算40本塁打のスラッガー。大学に入ってからは、リーグ戦で首位打者獲得するなど“打”のイメージが強い。だがインタビューで「いまの自分の長所は?」と問うと意外な答えが返ってきた。

「守備です。春、秋とリーグ戦を経験して、守備がめちゃくちゃ上達したので、“守備が売りです”といまは言います」。1年間かけて弱点を克服した自負がある。その表情は自信に満ちていた。

 

 3人きょうだいの法兼には兄と妹がいる。野球を始めたきっかけは、3つ年上の兄が所属する野球チームのメンバーが足りなかったからだ。いわゆる人数合わせである。さらにチームを指導するのは法兼の父親だった。野球一家で育った法兼。彼も自然と野球の道へと進んで行ったのである。

 

(つづく)

 

(4)<法兼駿(のりかね・しゅん)プロフィール>

 1994年12月7日、香川県丸亀市飯山町出身。兄の影響で小学1年のときに野球を始めた。飯山中では軟式野球部に所属。高校で硬式に転向した。高知高ではショートで1年時からベンチ入り。2年秋には、四国大会準決勝の9回に決勝ホームランを放ち、センバツ出場を決めた。自身初の甲子園出場を果たした。3年夏には高知県大会決勝で6打席5四球と勝負を避けられる。チームは延長戦の末に敗れ、2季連続の甲子園出場は逃した。高校通算40本塁打をマークし、亜細亜大学へ進学。1、2年時は故障の影響で伸び悩んだものの、3年春から出場機会が増えて、秋にはセカンドのレギュラーを掴みとった。昨秋のリーグ戦で34打数16安打4打点1本塁打を記録し、打率4割7分1厘。首位打者と二塁手のベストナインに輝いた。身長173センチ、体重76キロ。 右投左打。

 

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(文・写真/安部晴奈)

 

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