今季もJ2で戦うことになったセレッソ大阪に、スイス1部のバーゼルでプレーしていた柿谷曜一朗が1年半ぶりに復帰した。

 

 欧州2年目となった今季は開幕戦のファドゥーツ戦(7月19日)でゴールを挙げ、幸先のいいスタートを切ったかに思えた。だが不運なことに、この試合で右太腿を負傷して離脱。ケガから戻っても定位置確保には至らず、セレッソのオファーを受けることを決断している。

 

 昨季はリーグ戦14試合3得点、今季はシーズン途中で4試合1得点。カップ戦ではハットトリックを決めるなどしたが、能力を発揮できないままでの“出戻り”となった。

 

 しかし、海外で活躍できなかった=成長していない、ということではまったくない。

 

 近年で言えば宇佐美貴史もドイツで不遇の時期を過ごしながら、ガンバ大阪に戻ってからはエースに成長し、ハリルジャパンでは唯一、全試合に出場している。

 

 要は海外で得た悔しい経験を、どうバネにできるか――。

 

 過去にそのような試練を乗り越えた一人に、鹿島アントラーズの黄金期を築いた小笠原満男がいる。ドイツW杯後の2006年8月にセリエAのメッシーナに期限付き移籍。2列目ではなくボランチに適正を見いだされ、先発2戦目のエンポリ戦で初ゴールを挙げている。だがレギュラーとして扱われず、リーグ戦の出場はわずか6試合にとどまった。

 

 メッシーナはシーズンでわずか5勝しか挙げられず、セリエBへの降格も決まった。彼は1シーズン限りで鹿島に復帰するわけだが、「ボランチ小笠原」が君臨する鹿島はその年からリーグ3連覇を達成。自身も09年に、JリーグMVPに輝いている。

 

 イタリアでの1年は周囲からすれば不遇の日々に見えたかもしれない。だが本人は違っていた。

「紅白戦が俺にとってはセリエAでしたから」

 

 イタリアではつかみ合い、削り合いが当たり前。エスカレートしても止める者など誰もいない。殴ったら、500ユーロの罰金がチームの決まりとしてあるぐらいだ。激しく体を当てて、意地でもボールを奪い取る。胸ぐらをつかまれたことだってある。バチバチとぶつかり合う紅白戦のなかで守備のコツをつかんでいった。

 

 再びJリーグのピッチに立つことに対するモチベーションは高かった。

 

 小笠原は以前、このように語っていた。

「アイツ、何が変わったんだって絶対見られるじゃないですか。それがまた自分にとっては新鮮で、新人のような気持ちになれましたから。明らかに以前よりパフォーマンスが落ちたら“やっぱりな”と思われるだろうし、得てきたものを見せたかった。特に守備の部分では、ボールを奪う、抜かれそうになったら止める、つぶす。向こうはそれが徹底されていて、守備がすごくうまい。そこが一番出したい部分でしたね」

 

 激しい守備が彼の新たな持ち味に加わり、リーグ3連覇に大きく貢献することとなったのである。

 

 柿谷はスイスで何を感じ、何を学び、そして再び立つJリーグの舞台で何を見せていきたいのか。セレッソの下部組織で育ち、「大袈裟に言ったら自分に流れている血はピンク」とまで語るなど“セレッソ愛”は誰よりも強いと言える。

 

 レジェンドの森島寛晃から受け継ぐエース番号「8」を再び背負う柿谷曜一朗が悔しさをバネにしてどんな成長を示してくれるのか、楽しみでならない。


◎バックナンバーはこちらから