手倉森ジャパンが意地を見せた。

 カタール・ドーハで開催されたU-23アジア選手権兼リオデジャネイロ五輪最終予選。これまで、この世代の日本はアジアの戦いで「準々決勝」の壁を越えられないでいたが、イラン、イラク、韓国とライバルを打ち破って頂点に輝いた。五輪本大会出場は、1996年のアトランタ五輪から6大会連続。最終予選を終えてもひと息つく間はなく、8月の本大会に向けて準備に入っていかなければならない。

 

 本大会の登録メンバーはアジア最終予選の登録数23人から5人減って18人となる。オーバーエイジ(OA)枠の活用を含め、熾烈なメンバー争いに突入する。

 

 OA枠を使うのか、使うとすれば誰なのか。早くもそんな憶測記事がメディアに飛び交っているが、上の世代ばかりではなく、下の世代にも注目していきたい。というのも現U-19代表は、4年後の東京五輪世代であり、チェルシーが獲得を狙っていると報じられたガンバ大阪のMF堂安律を筆頭に、桐光学園からジュビロ磐田入りしたFW小川航基や、ヴィッセル神戸のサイドバック藤谷壮など粒ぞろいだからだ。

 

 そんな期待の眼差しを浴びる“97年組”の1人に、名古屋グランパスのトップチームにクラブ史上最年少の16歳で昇格したFW杉森考起がいる。

 

 彼は輝かしい経歴を持つ。小学生の頃に全日本少年サッカー大会でハットトリックを4度マークするなど17得点の活躍で名古屋U-12を優勝に導くと、中学では高円宮杯全日本ユース(U-15)で日本一に輝いている。13年のU-17W杯(UAE)では3試合に先発。14年のブラジルW杯ではトレーニングパートナーとして日本代表に帯同した。

 

 タイプとしては香川真司に近いだろうか。柔らかいボールタッチと一瞬のスピードを活かしたプレーが彼の大きな特徴だと言える。

ザックジャパンの面々と一緒に過ごした日々、生でW杯の雰囲気を味わった経験は何よりの財産になった。

 

 彼から聞いたことがある。

「コートジボワール戦、ギリシャ戦はスタンドから観ることができました。自分だったらどういうプレーをするか、とか考えたりしながら。コロンビアに負けたのも悔しかった。相手はうまかったし、いいプレーもしていた。次の世代が頑張らなきゃいけないと思いました。世界では10代の選手が活躍しているし、日本も若い選手が入っていかなきゃいけないって感じました」

 

 ブラジルでは忘れられない思い出もあった。

 ベースキャンプ地のイトゥで早くグラウンドに出て練習を始めたところに、名古屋の先輩である本田圭佑に声を掛けられた。

 

「いいか、誰にも負けないぐらいに、技術を高めてみろ」――。

 帰国後、これまで以上に意欲的に練習に取り組む杉森の姿があった。

 

 フィジカルを向上させるべくウエイトトレーニングにより力を入れ、プレーでは裏に出ていくことを強く意識するようになった。聞けば、原博実技術委員長(当時)から「足元ばかりで受けず、裏に走っていく選択肢があってもいい」とアドバイスを受けたそうだ。そして何より技術を磨き、高めようとしてきた。

 

 翌2015年シーズン、杉森は8月にリーグ戦デビューを果たし、計4試合に出場した。出場数はもっと増やさなければならないが、細かった体も随分と逞しくなった印象を受けた。

 

 世界を見渡せば、10代の選手が活躍するのは普通の光景である。

 香川も19歳となった2008年シーズン、セレッソ大阪で活躍してA代表に選出され、飛び級で北京五輪本大会出場を果たしている。そう考えても、東京五輪世代の誰かががこのタイミングで台頭していかなければならない。

 

 堂安、小川、杉森……飛躍を遂げて選考レースに名乗りを挙げるのは一体、誰か――。


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