(16) 故障から見事に復活を遂げた法兼駿だったが、すぐに名門・亜細亜大学のレギュラーを掴めたわけではない。法兼の1学年上には、阪神にドラフト6位指名された板山祐太郎、大学日本代表に選ばれた北村祥治、藤岡裕大など、実力者たちが揃っていた。法兼はそこに食い込んでいくだけの力が足りなかった。それは技術に限った話ではなかったのだ。

 

 法兼は打撃には絶対の自信を持っていた。高校通算40本塁打を放ち、四国の強豪・高知高で「4番主将」を務めていたから、そう思うのも致し方ないのもしれない。スラッガーとしてのプライドが、自らの打撃スタイルを変えることを邪魔していた。

 

「大学1、2­年の頃は­、好きに打っていました」。法兼本人がそう話すように、チームのことは二の次で、自分の思うままにバットを振っていた。チームの指揮を執る生田勉監督は「1、2年の頃は“かまってちゃん”だった」と見透かしていた。当時の法兼は自らが試合を決めるという“我”の強いバッターだったという。

 

 鳴り物入りで亜大に入学したものの、いまひとつ物足りなさを感じながら、ただ時間は過ぎていく。結局、レギュラーどころか試合にすらほとんど出場できずに大学2年目のシーズンが終わった。“このままでは、レギュラーを掴めない”と危機感を覚えた法兼は、試合に出るためにすべきことを考えた。

 

 そこで導き出した答えが、「繋ぐ役割に­徹すること」だった。自分のためではなく、チームのためにプレーする――。

 

競争に生き残るための覚悟

 

(17) 覚悟を決めた法兼は、それまで自分の売りにしていた長打を捨てた。3年の春季リーグが終わってから秋に向け、バットを短く持つフォームに変える。最短距離でミートするバット軌道を覚え、反対方向へ単打を放つ練習を繰り返した。プッシュバントやセーフティバントなど小技も徹底的に磨いた。

 

 迎えた秋季リーグ。法兼はこのシーズンに特別な思いを持って臨んだ。

「3年の秋に結果を残さなんかったら、4年には­つながらないと­思ったので、この秋は­絶対に結果を残そうと­思っていました」

 

 必死な気持ちがプレーにも表れていた。法兼は打席に立つと、カットで粘り、フォアボールを選んだ。ベース寄りに構え、デッドボールも誘った。四死球の数は9個。この数字はチームの中で、北村と並んでトップだった。

 

 なりふり構わず出塁する姿が指揮官の目にとまり、開幕4戦目からスタメンを勝ち取り、2番・セカンドの座を掴んだ。チームプレーに徹した打撃が見事にうまくハマり、バッティングに安定感が生まれた。結果的には首位打者とベストナイン(二塁手)と自己最高の成績をもたらしたのである。

 

 そして、ついに幼少期からの目標であった“全国制覇”を成し遂げる。亜大は東都大学リーグで優勝すると、神宮大会では立命館大、東海大、早稲田大と全国の強豪校を連破し、大学日本一に輝いた。2年前はスタンドから見ているだけだったが、今回は戦力としてプレーした自負がある。同じ大学日本一でも、一味違った喜びだったという。

 

今季は“長打解禁”

4 昨年12月19日、亜大が練習する東京・日の出グラウンドに行くと、黙々と守備練習に励む法兼がいた。新チームでは副主将を任された。時折、後輩に積極的にアドバイスする姿は、最高学年としての“自覚”が垣間見えた。

 

 新チームが始動してから、法兼はチーム事情を踏まえ、一度は封印した長打を復活させることを決めた。これまでクリーンアップを務めていた先輩たちが引退してしまったことで、戦力ダウンが危惧されたからだった。長打を打つためにはパワーは欠かせない。神宮大会が終わって1カ月が経たないうちに、筋力トレーニングと食事管理で体重は5キロも増えたという。

 

 法兼を指導する生田監督は「どんな投手でも対応できる選手に成長して欲しい。1番か3番を任せられるような選手を目指して欲しいです」と話した。確実性もキープしつつ、長打力も求められている。指揮官から法兼に寄せられる期待は大きい。法兼自身も「これまでは繋ぐ役割でした。次はランナーを還す役割も兼ね備えたい」と意欲的だ。

 

 昨秋の手応えで、これまではぼんやりと描いていた「プロの世界でプレーをしたい」という思いが、法兼のなかで明確な目標に変わった。憧れはメジャーリーガーの青木宣親(マリナーズ)。「やはり何でもできるというプレー­スタイルに憧れるんです。体が小さくても、工夫して考えてを持ってプレーしている」。その高みに近付くためにも法兼は「プロには行きたいと思っています。そのためには何とか4年の春ですね」と語気を強める。彼にとっての“就活”が春の訪れと共にスタートする。

 

 法兼の座右の銘は「栄光に近道なし」。この言葉通り、プロ野球選手になるための近道はない。これからも目標に向かって、ただ前を向いてひたすら邁進していくのみである。

 

(おわり)

 

(4)<法兼駿(のりかね・しゅん)プロフィール>

 1994年12月7日、香川県丸亀市飯山町出身。兄の影響で小学1年のときに野球を始めた。飯山中では軟式野球部に所属。高校で硬式に転向した。高知高ではショートで1年時からベンチ入り。2年秋には、四国大会準決勝の9回に決勝ホームランを放ち、センバツ出場を決めた。自身初の甲子園出場を果たした。3年夏には高知県大会決勝で6打席5四球と勝負を避けられる。チームは延長戦の末に敗れ、2季連続の甲子園出場は逃した。高校通算40本塁打をマークし、亜細亜大学へ進学。1、2年時は故障の影響で伸び悩んだものの、3年春から出場機会が増えて、秋にはセカンドのレギュラーを掴みとった。昨秋のリーグ戦で34打数16安打4打点1本塁打を記録し、打率4割7分1厘。首位打者と二塁手のベストナインに輝いた。身長173センチ、体重76キロ。 右投左打。

 

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(文・写真/安部晴奈)

 

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