民放が、まだ2つしかなかった愛媛の片田舎の少年にとって、その番組は画期的だった。その日に行なわれたプロ野球6試合の結果を、すべて解説付きで見ることができるのだ。

 

 それまではニュースの枠内でせいぜい1試合か2試合、巨人戦を中心にダイジェスト版を流すだけ。パ・リーグの試合などはスコアが紹介される程度だった。

 

 佐々木信也がキャスターを務める「プロ野球ニュース」(フジテレビ系)がスタートしたのは1976年4月のことである。夜の11時になると、テレビの前にかじりついたものだ。

 

 スタジオのデザインも斬新だった。佐々木の後方には「プロ野球ニュース」のロゴがあり、数枚のパネルに映し出された選手の表情が臨場感をかもし出していた。

 

 昨年の夏、佐々木に話を聞いた。「(この番組は)特にパ・リーグの選手から喜ばれましたね。それまでは活躍しても見向きもされなかった選手が、3分くらいテレビに映るんです。当時、インタビュー謝礼が3万円くらいだったかな。インタビュー後、それを封筒に入れて球団の担当者に渡す。ところが、彼らは、それを受け取ろうとしない。“僕たちはテレビに取り上げて頂けるだけで光栄なんです”と、こうですよ。こちらの方が恐縮しました」

 

 そして、こんなこぼれ話も。「テレビ局からしたら最初は大冒険だったと思いますよ。しかし、人気が出てきて視聴率も右肩上がり。こうなると一流のスポンサーが放ってはおかない。キャンセル待ちしていた企業もあると聞きました。僕は12年間キャスターをやらせてもらいましたが7、8年目かな。フジテレビの系列局の集まりに森光子さんや芳村真理さんたちと呼ばれたことがあるんです。フジテレビに一番貢献したタレントというフレコミです。景気が良かった時代ですから、驚くような土産物が出ましたよ」

 

 佐々木の仕切り、弁舌は天下一品だった。加えて球場の鳴り物に対して「鐘や太鼓は(球場から)野球本来の音を奪う」と苦言を呈するなど、大衆迎合的な風潮には一線を画した。その意味でマイクから離れるまで“昭和ひとケタ”の気骨を示し続けた人だったと思う。

 

 この3月でプロ野球ニュースの後継番組「すぽると!」が終了する。両方で40年間の歴史に幕が引かれる。オーラスの司会は佐々木でどうか。古くからの一視聴者の切なる願いである。

 

<この原稿は16年2月24日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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