今季から背番号が「29」から「10」に変わった。

 

 

 サッカーにおいて10といえば、真っ先に頭に浮かぶのが“キング”の異名をとったペレ(ブラジル)だ。以降もジーコ(ブラジル)、ミッシェル・プラティニ(フランス)、ロベルト・バッジオ(イタリア)、ジネディーヌ・ジダン(フランス)……。最近ではリオネル・メッシ(アルゼンチン)か。

 

 日本では木村和司、ラモス瑠偉、名波浩、中村俊輔、香川真司。本田圭佑も所属するACミランでは10を付けている。

 

 サンフレッチェ広島のFW浅野拓磨は、新背番号の感想を聞かれ、こう答えた。

「責任や今までの伝統を自然と感じる」

 

 3年目の昨シーズン、浅野は飛躍をとげた。途中出場した試合で8ゴールをあげ、最も活躍した若手選手に贈られる「ベストヤングプレーヤー賞」を受賞した。

 

 チームにとっては、とっておきの選手。いわゆる“スーパーサブ”だ。

 

 サッカーの世界においてスーパーサブという用語が使われたのは、私の知る限りでは“ゴン”ことFW中山雅史が最初である。

 

 日本代表監督のハンス・オフトが中山の起用法について聞かれ、「彼はスーパーサブだ」と明言したのだ。

 

 その頃、代表のFWの柱は高木琢也だった。188センチの長身をいかしたポストプレーが得意で、オフトは「ターゲットマン」と呼んで重用していた。

 

 だが、当時の高木は足元のプレーに不安を残し、ペナルティエリア付近でボールを失うことが、しばしばあった。

 

 そのため、関係者の間からは「先発は嗅覚にすぐれ、こぼれ球に果敢にくらいつく中山の方がふさわしいのではないか」との声が上がり、誰かが、質したのだ。

 

 オフトは頑として自らの考えを曲げなかったが、アメリカW杯出場を賭けた93年10月のドーハ(カタール)でのアジア地区最終予選の残り3戦では中山を先発に起用している。

 

 中山は日本が初めてW杯に出場した98年フランス大会では3試合全てに先発出場し、ジャマイカ戦では日本人選手として初めてのゴールを記録した。

 

 話を浅野に戻そう。彼もスーパーサブという今の役割に甘んじるつもりはないようだ。

「(16年のシーズンは)スタートから出ることを目指して頑張っていきたい。90分出て、その中でゴールというかたちでチームの勝利に貢献したい。

 

 目標としては2ケタゴール。その先の得点王。オリンピックはもちろん、フル代表も視野に入れてプレーしたいと思っています」

 

 相手を一瞬にして置き去りにするドリブルの切れと、右足の決定力は、この1月、初優勝を果たしたカタールでのU-23アジア選手権決勝の韓国戦でも証明済み。

 

 所属チームでは「90分」を目標とする浅野だが、代表では、難局を打開するための切り札としての役割を担うことになりそうだ。

 

 相手に疲れの色が見え始めた時間帯に投入すれば、スピードスターの威力は倍加する。まだ素性がそれほど知られていないのも、日本にとっては好都合である。

 

<この原稿は『サンデー毎日』2016年3月13日号に掲載されたものです>

 


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