日本プロ野球で三冠王に3度輝いたことがあるのは前中日監督の落合博満ただひとりだ。彼の現役時代の代名詞が、神主打法である。バットを立て、グリップエンドをへその前に置く独特のフォームで広角に打球を飛ばした。他に類を見ないスタイルだけに、まさに“オレ流”の真骨頂だと見られがちだが、実はお手本となる打者がいた。それがロッテ時代の先輩・土肥健二である。現在は故郷の富山で野球塾の塾長を務めている土肥に入団当時の落合について二宮清純が訊いた。
二宮: 落合さんの自著(『なんと言われようとオレ流さ』講談社)では<高校時代から人に教わることが好きではなかったが、オレにも唯一、“打撃の先生”と呼べる人がいた>と土肥さんのことが紹介されています。最初の印象は?
土肥: ドラフト1位ではなかった(3位)ですし、打撃はいいんだろうけど、そんなにインパクトがある選手ではなかったですね。打球もラインドライブがかかる鋭いものより、ゆるい放物線のようなものが多かった。監督、コーチに即戦力としてアピールできる存在ではなかったように思います。

二宮: 確かに1年目は36試合、2年目は57試合と、あまり出場機会は多くありませんね。社会人で日本代表のクリーンアップを打っていた打者としてはプロで結果が出るのに時間がかかりました。
土肥: 2年目の後期にホームランを量産して、ようやく出てきた感じですね。落合のバッティングは、一般的にアマチュアで指導されるような叩きつけるような打ち方ではない。バットが下がって開き気味に打っていますから。

二宮: 落合さんの本によれば、2年目の春季キャンプで土肥さんの打撃練習を見てマネをしたそうです。土肥さんはご自身の打撃をどのように構築されたのですか?
土肥: いろんな打者のフォームを参考にして、最終的には自分で考えました。僕は高校時代、プルバッターだったんですが、プロでは外へのスライダーが多く投げられていました。アウトコースを打たないと、この世界では生き残れない。それでいろいろ研究してできたのが、ちょっと体を開き気味にしてバットを立てるフォームなんです。

二宮: なるほど。どのコースにも自然体で対応しようとした結果が神主打法につながったと? 
土肥: 真ん中のボールでも、アウトコースでも、インコースでも、バットの軌道は一緒です。違いがあるのは、インコースに来たら少し早く回転するだけ。
 落合の場合、アウトステップするタイプだったから、インコースのボールはよく見える。彼はインコースの見極めがよくて、難しいボールはみんなカットできました。これは彼の一番の長所です。インコースの厳しいボールは落合もおそらく打てないんですけど、甘く入ったら、うまく右中間へ運ばれる。だからピッチャーもなかなかインコースへ投げれない。

二宮: ピッチャーにとってバッターの懐を攻められるかどうかは攻略の生命線です。インコースのせめぎ合いで、落合さんは相手を上回っていた。それが好成績を残せた理由のひとつなのでしょう。
土肥: 落合は元来、アベレージバッターだと思うんですよ。すごく広角に打てた。それに当時の川崎球場は右中間方向の打球がよく伸びました。だからインコースの甘い球をアウトステップして右に打っても、打球がスーッといって右中間スタンドに入る。

二宮: 落合さんは3年目に打率.326で首位打者となり、翌年は初の三冠王を獲得します。
土肥: でも落合には王(貞治)さんほどの強烈な印象はなかったよね。なぜか分からないけど、終わってみれば数字が残っている。私が一番、覚えているのは、負け試合でも落合は最後の打席まで手を抜かなかった。本人にも1度、その理由を聞いたことがあるんだけど、「オレのチーム内での役割というのは打率、打点、ホームランの数字を残すこと」だと。まさに“オレ流”の考え方だね。自分の数字を上げることが、求められている仕事というわけだから。

二宮: 落合さんといえば、練習法も独特でした。土肥さんの記憶に残っているものは?
土肥: それが、あまりトレーニングをしていた印象はないんですよ。居残り練習をやっていた記憶もない。「いつ練習しているんだ? 家でやっているのか」と本人に聞いたら、「家にはバットはない」と言っていました。もちろん何もせずに、あれだけの成績を残せるわけがない。どこかでは隠れてトレーニングしていたのでしょう。でも、普段の練習で100本も200本もフルスイングしてバッティングすることはなかった。だから落合が監督になった時に中日の選手を練習漬けにしたのは、ちょっと不思議でしたね。
 ただ、よくバスターバッティングをやっていたのは覚えています。フリーバッティングでも試合前でも、「これが一番だ」と言っていました。バスターだとバットを引いてすぐに打ちにいかないといけないのでムダがなくなる。この動作を繰り返すことで、自然とトップの位置が固まってきます。落合はトップがきちんと決まっていたから、バットの軌道がスムーズにボールに入っていたんです。

二宮: 土肥さん、落合さんと受け継がれたフォームは、若い選手のお手本にもなるでしょうか?
土肥: いやぁ、落合のフォームは難しいでしょう……。普通、バッターはホームベースの位置と18.44m先のピッチャーに合わせて構えるものだけど、落合によると、ピッチャーの後ろの景色に合わせて構えるらしいんです。ストライクゾーンやピッチャーまでの距離が一緒でも、後ろの風景が違うと変わって見えるとか。だから、球場によって落合は微妙にフォームを変えていた。まぁ、彼にはそんな難しいことばかり言わないで、もっとファンにわかりやすい話をしてほしいですけどね(笑)。落合に「打撃の先生」と言われているなら光栄ですけど、私も当時はプロで生きるために必死にやっていただけです。直接、何かをアドバイスしたわけでもない。何が彼の参考になったのか、よくわからないんですよ(苦笑)。

<現在発売中の『文藝春秋』2012年2月号では「プロ野球伝説の検証」と題し、土肥さんらの証言を元に落合さんの打撃の秘密を解き明かしています。こちらも併せてご覧ください>