サッカーの2018ロシアW杯アジア最終予選の組み合わせが決まった。98年のフランスW杯から6大会連続出場を目指す日本はオーストラリア、サウジアラビア、UAE、イラク、タイと同組になった。最終予選は苦しい戦いの連続であり、1つのミスが命取りになりかねない。93年、アメリカW杯最終予選の“ドーハの悲劇”はまさにその典型と言えるだろう。柱谷哲二が主将を務めていた日本代表は、一瞬のスキを突かれ、初のW杯出場を逃した。戒めの意味で、当時のチーム事情を闘将の言葉で振り返ろう。

 

<この原稿は1997年8月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 

「負けると歯がゆい。切れそうになりますよ。特に日韓戦(5月21日)の時は引き分けでもそうでした」

 

 日本代表について訊ねると、柱谷哲二はズバッと言い切った。

 

 白い歯こそこぼしているが、口ぶりは真剣そのもの。日の丸への熱い思いが伝わってくる。

 

「現役でサッカーをやっている以上、僕はずっと代表にこだわり続けますよ。2002年だって日の丸をつけてプレーしたいと思っているくらいですから」

 

 9月7日から始まるフランスW杯アジア地区最終予選のメンバーに柱谷の名はない。95年10月の対サウジアラビア戦以来、彼は日の丸のユニフォームに袖を通していない。

 

「加茂監督にはぜひセカンド・ステージでの僕のプレーを見て欲しい。僕には“試合で結果を出してみろ”という加茂監督の声が聞こえますよ」

 

 93年10月28日の深夜、日本列島は深い絶望と悲しみに包まれた。

 

 アジア地区最終予選、悲願のW杯初出場を賭けた対イラク戦。日本が2対1と1点リードし、ゲームはロスタイムに入った。

 

 ドーハのアルアリ・スタジアムのスタンドでは、500人あまりの日本人サポーターが試合終了のカウントダウンを終え、今や遅しと試合終了のホイッスルを待ちわびていた。

 

 歴史的な瞬間までラスト・ワンプレー。ショートコーナーを、ムフシンがニアポスト付近へ絶妙のセンタリング、オムラムのヘディングはゆるやかな弧を描いてゴール左下隅にストンと落ちた。

 

 身も世もないとばかりに頭を抱え、呆然自失の表情で、次々とグラウンドの芝にへたり込む選手たち。試合終了を告げるホイッスルがドーハの乾いた空に鳴り響いたのは、無情にもその10数秒後のことだった。

 

 これが世にいう“ドーハの悲劇”である。

 

「もう“ウソだろう”という気持ち。頭の中は真っ白。残り10数秒あったのですが、どうすることもできませんでした」

 

 柱谷はこのチームでキャプテンを務めていた。個性派揃いのチームをまとめ上げ、高い評価を得た。

 

 そのひとつが、自己主張の強いラモスとの“サシの勝負”だった。

 

 92年3月、代表監督にオランダ人のハンス・オフトが就任した。規律を重視するオフトが就任した。規律を重視するオフトと個人個人の能力を尊重するラモスは、戦術をめぐって何度も衝突した。

 

「こんなことやっていたんじゃ勝てないよ」

と声を荒げるラモスに向かい、柱谷は強い口調で言い返した。

 

「まずオフトのいう通りにやってみてくれ。それで結果が出ないんだったら文句言えばいいじゃないか」

 

 一瞬、険悪な空気が流れた。

 

 柱谷は続けた。

「カリオカ、(ラモスのニックネーム)、アンタは確かに必要な選手だよ。だけどアンタと他の仲間のどっちをとれ、と聞かれたら、オレは他の仲間をとる。

 

 オレは嫌われても悪役になってもいいからW杯に出たいんだ。それはオフトもアンタも同じはずだ。だったら一緒にやろうじゃないか」

 

 そこまで言って、やっとラモスの表情から険が消えた。

 

「わかった。オマエの言う通りだよ」

 

 振り返って柱谷はこう語る。

 

「このチームは本当に強かった。そして個性的だった。イランに負け、“W杯は絶望”と言われた時だって“あと3つ続けて勝てばいいんだろう。これでストーリーが出き上がったよ”なんて言い合っていたくらいですから。オレたちは絶対に負けないって、皆、すごい自信を持っていましたよ」

 

 日本を代表するディフェンダーとして、これまでに多くの国際試合を経験した。闘志を剥き出しにするプレーで、何度もチームの危機を救ってきた。その意味で彼は間違いなく代表チームの“精神的支柱”であった。

 

 その柱谷が心地良いショックを味わったのは95年6月、イギリスで行われたアンブロカップ、ブラジル―日本戦であった。前のゲームでレッドカードを受けた彼は、このゲームをスタンドから観戦していた。

 

「上から観戦したこともあって、今まで見えなかったものが見えたような気がしました」

 

 そう前置きして、柱谷はゆっくりと語り始めた。

 

「もっと何かあるだろう。まだあるだろう。僕はそのような目でこれまでサッカーを見てきたんですが、あの日のゲームには“これは……”と思えるようなものがあったんです。

 

 それはブラジルの選手たちの球の動かし方です。普通、サッカーというスポーツはゴールに向かってボールを運ぶものなんですが、ブラジルは相手が来ないと見るや、さっとボールを下げるんです。

 

 そうするうちに相手が出てきて、スペースができると、ものすごいスピードで攻め上がる。日本が課題とする相手が引いてきた時、どう攻めれば点がとれるかという答えが、そこにははっきり書いてありました」

 

――日本ではボールを下げることは悪いことのように言われますね?

 

「そうそう。本当はボールを下げることに悲観的になっちゃいけないんです。バランスが悪くなったら、ボールを最終ラインにまで下げて、そこからやり直せばいいんです。べったりしたボールに無理に突っ込んでいったり、強引にこじ開けようとするから自分たちがきつくなり、カウンターをくらってしまうんです。“90分で試合を決めればいい”という気持ちが必要ですよ」

 

 悲願の代表復帰のためには、Jリーグで結果を出さなければならない。ところが、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)はファースト・ステージで17位中16位という惨たんたる成績に終わった。

 

「このままじゃ終われない。若い選手には“いい経験”でも、僕のようなベテランには“時間の無駄”でしかないんです」

 

 語気を強め、もう一度繰り返した。

 

「このままじゃ終われませんよ……」


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