160520身振り手振り(加工済み)IMG_6907 中学時代の恩師・犬飼敬三の指導により向上心をかき立てられた中学3年生の溝渕雄志は四国を離れる決意を固めた。進学先は香川県高松市から約570キロも離れた千葉県柏市のサッカー強豪校・流通経済大学柏附属高校だ。溝渕はサッカーがうまくなりたい一心で親元を離れる決断をした。

 

 

 

 

 

 

 

<2016年5月の原稿を再掲載しております>

 

 犬飼は、教え子の決断を知った時のことを振り返り、「嬉しかった」と語る。犬飼が溝渕に県外に出ることを薦めた理由はこうだった。

「僕も“県内に教え子を残して香川県の高校を強くしたい”という思いはある。だけど、やはり四国はまだまだな部分があります。人口の絶対数が違いますから競争社会じゃないんですよ。ちょっとサッカーがうまかったら試合に出られてしまう。これではハングリー精神が育たない……」

 

 さすがに中学3年生1人の判断だけで遠く離れた土地には行けない。溝渕は両親に胸の内をぶつけた。

「親父はサッカーが好きなので、“行きたいなら、行ってこい”という感じでした。母親は“行ってもいい代わりに、勉強はやめるな”という約束をして行かせてもらいました」

 

 父・弘幸は息子を気丈に送り出したが、心配も少なくなかった。「雄志が千葉に行く前はあまり寂しさを感じませんでした。ただ千葉に行ってからはやっぱり寂しかった。こちらからも電話はできず、息子からもかかってこない。“電話がないということは辛抱強くやっているのかなぁ”と思っていました」と当時の心情を吐露する。

 

成長を促したハイレベルな環境

 

160520一対一の写真(加工済み) 強い向上心を胸に強豪校の門を叩いた溝渕。流経柏のサッカー部は4月の新学期が始まる頃は、Aチーム、Bチーム、Cチーム、1年生という4つのカテゴリーに分けられて練習をする。入学当初はどんなに実力があっても1年生というくくりの中に入れられる。夏あたりになると、1年生がA、B、Cの各チームに振り分けられ、溝渕は1年生の夏にBチーム入りを果たす。ここで溝渕はボランチからサイドバックにコンバートされるのだ。

 

 競争の激しい強豪校で、不慣れなポジションをこなすことは、容易いことではない。コンバートに対する動揺はなかったのかと本人に訊くと、こう答えた。

「コンバートはすんなり受け入れられました。僕はあまりポジションにこだわりはないです。“サイドバックがいい”って言ってくれるなら、自分にはサイドバックがいいんだろうなと思っていました。あと、抵抗がなかった理由は、DIAMO時代に(スカウトの方から)“サイドバックの構想で呼びたい”という話はされていましたから」

 

 最初は「どうやってやるんだろう」と手探り状態だった溝渕だが、サイドバックとして自信を深めた一戦がある。それは高校1年生の時に3年生と行った紅白戦だ。当時の3年生との紅白戦で溝渕は進藤誠司(現カターレ富山)や吉田眞紀人(現ジェフユナイテッド市原・千葉)と凌ぎを削った。

 

 さすがは名門校だ。のちにプロ入りする逸材がゴロゴロいるハイレベルな紅白戦が日々繰り広げられる。溝渕は紅白戦で進藤、吉田らとのマッチアップを振り返る。

「1対1の対人プレーで止められた場面が多かったので、自信に繋がりました。それにサイドバックが“楽しい”と思えるようになったのが1番大きかったです」

 

 チーム内でめきめきと頭角を現した溝渕はAチームに昇格を果たす。ケガも重なり、2年生時には公式戦の出場はなかったが、3年生の頃には主力としてプレーし、流経柏をユースサッカー年代最高峰の大会である高円宮杯U-18プレミアリーグイースト(高校、Jクラブユースの混合大会)で3位に導く活躍を見せる。

 

 高校卒業後、溝渕は慶應義塾大学ソッカー部に入部した。すると1年生からレギュラーを勝ち取りコンスタントに出場機会を重ねていった。出場履歴だけを見れば、彼の大学の部活生活はほとんどが順調だと周囲は思う。1年生の頃はがむしゃらに、必死に過ごしていたから、挫折を感じる暇もなかった。しかし、大学2年のリーグ戦のシーズンが終わった頃に中学以来のスランプに陥ってしまう。その後、スランプを乗り越えた溝渕はより洗練されたプレーヤーへと近づいていく。果たして、彼はどのようにしてスランプを克服したのか……。

 

(最終回につづく)

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA<溝渕雄志(みぞぶち・ゆうし)プロフィール>

 1994年7月20日、香川県高松市出身。小学1年からサッカーを始める。築地SSS-FC DIAMO-流通経済大学付属柏高。流経大柏高の1年時に夏から本格的にサイドバックへコンバート。3年時には12年プレミアリーグEAST3位にチームを導く。慶應義塾大進学後は1年時からトップチームの試合に出場し始める。4年時には全日本大学選抜にも選出された期待の若手サイドバック。身長174センチ、体重68キロ。

 

(文・写真/大木雄貴)

 

 

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