160512オーバーラップ(加工済み) 溝渕雄志は、中学校に進むと強豪クラブチームのFC DIAMOに入団する。FC DIAMOは香川県高松市に拠点を置き、13~15歳のジュニアユース年代を指導対象としている。クラブチームとはいえ、子供たちの人間形成、サッカーを通じての教育にも力を入れているという。ここまで順調に成長し、県選抜、6年時には四国選抜にも名を連ねた溝渕は鳴り物入りの入団だった。しかし、彼はDIAMOで壁にぶち当たる。そこには、恩師の愛情が隠されていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

<2016年5月の原稿を再掲載しております>

 

「小6で四国選抜に入って、香川県では割と有名になって調子に乗っていた部分が、今、思えばありました」

 

 溝渕はDIAMO入団当時をこう振り返る。もっとも彼は至って謙虚で、優れた人格の持ち主だ。現在の溝渕を見る限り、彼が言うほど調子に乗っていたとは思えない。おそらく、向上心が人一倍強い溝渕が“今、振り返ってみたら”ということだろう。

 

 溝渕によれば、コーチの犬飼敬三には「口でしばかれ、走らされ、泣かされました」と厳しい指導を受けた。「オマエは身体能力だけだ。その身体能力だって大したことはない」とまで言われたという。エリート街道を走ってきた溝渕にとって初めての経験だった。

 

 一方で犬飼は入団してきた当初の溝渕のことをこう評価していた。

「すごくタフに戦う選手。肉体的にそんなに大きくなかったのに対人プレーに強かったです。当時はスピードはありましたが、スタミナがあまりなかったので、とにかく走らせました」

 

 DIAMOの持久力向上のメニューは、1周約330メートルのグラウンドを3分45秒以内に3周させる。チーム内で「3周走」と呼ばれたメニューを7から8セットこなす。その際、全学年で4組くらいのグループを作り、グループ内で1人でも設定タイム以内にゴールできないと最初からやり直しを命じられた。いわゆる連帯責任だ。

 

 この「3周走」で持久力を高めた溝渕は3年生の時、周囲が驚く行動に出る。設定タイム以内にゴールできそうにない後輩をおぶってグラウンドを走った。犬飼はこの仰天行動について「ルール上、ダメです(笑)。だけど先輩が後輩を助けるということには凄く感動しました。クラブチームは実力主義なチームが多いですが、上の子が下の子の面倒を見て、引っ張っていく。こういう光景は他のクラブチームにはあまりないことだったので」と語った。

 

叱咤に込められた恩師の愛情

 

165012入場(加工済み) 溝渕に挫折を味あわせたことについて水を向けると犬飼は「四国の子供たちは内弁慶的なところがあって……。雑草魂というかなにくそ根性を植え付けたくて、わざとみんなの前で叱ったりしました」と振り返り、こう続ける。

「強烈に覚えているのが遠征合宿で大会に出場した時のハーフタイム。相手チームにも見えるところで“ぶん殴ってでも、オレにかかってこい! こんなこと言われてムカつかないのか!?”と言いました。そうしたら溝渕は僕の胸当たりをコツンと叩いたんです。それで僕がまた“なんや! 根性なし!”と。へし折ったのは、サッカーの部分じゃないんですよね(笑)」

 

 犬飼は豪快に笑いながら当時を語る。「溝渕は元々、凄くいい素質を持っていた。僕は彼が四国を引っ張っていける選手だと今でも思っています。“オマエは四国の宝だ。だから香川県内だけじゃなくて、四国の宝として県外で輝きを放たないともったいない”とずっと言い続けていました」と犬飼。溝渕に寄せる期待が大きいからこその叱咤激励だったのだ。

 

 小学生時代までは周囲からチヤホヤされていたものの、進学と同時に厳しい指導を受け、挫折してしまうプレーヤーは数多くいる。しかし、溝渕は「そこでふてくされて、心が折れなかったのは自分のいいところでした。たぶん、犬飼さんはそれを見抜いた上で、鼻をへし折って、向上心を生み出させてくれた」と言う。犬飼によれば、溝渕は中学2年生の頃には県外に行く意思を固めていたとのことだ。溝渕本人も「うまくなるためには、環境的に四国にいては限界だと感じました。“もっともっとサッカーをうまくなりたいから四国を出なくては”と思いました」と口にする。

 

「DIAMOに入っていなかったら、上のレベルは目指していなかっただろうし、たぶんサッカーを辞めていたかもしれません」。溝渕は恩師から厳しい指導を受けながら、向上心をかき立てられた。彼が次に選んだ進路先は、生まれ育った香川県を離れ、千葉の流通経済大学付属柏高校だった。県内では市立船橋高校と凌ぎを削り合い、全国優勝の経験もある超がつくほどの名門校だ。

 

 ここで人生の分岐点とも言えるサイドバックへのポジション転向を命じられる。DIAMO時代の基本ポジションはボランチ。競争の激しい強豪校の中、不慣れなポジションで彼はどう自分の持ち味を発揮したのか。

 

(第4回につづく)

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA<溝渕雄志(みぞぶち・ゆうし)プロフィール>

 1994年7月20日、香川県高松市出身。小学1年からサッカーを始める。築地SSS-FC DIAMO-流通経済大学付属柏高。流経大柏高の1年時に夏から本格的にサイドバックへコンバート。3年時には12年プレミアリーグEAST3位にチームを導く。慶應義塾大進学後は1年時からトップチームの試合に出場し始める。4年時には全日本大学選抜にも選出された期待の若手サイドバック。身長174センチ、体重68キロ。

 

(文・写真/大木雄貴)

 

shikoku_kagawa

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


◎バックナンバーはこちらから