やらなければいけないということは、誰もがわかっている。ただ、やらなかったからといって、すぐに深刻な自体に陥るわけではないし、やることによって、痛みが生じることもわかっている。なので、やらない――。

 

 ここのところ、W杯が終わるたびに指摘されてきたことがある。トルシエ時代、世界王者フランスに文字通り蹂躙された“サンドニの惨劇”のような、敵地での手痛い経験が、近年の日本代表には決定的に足りない――。多くの記者、ライターが指摘してきたし、選手の中からも同様の声は聞かれるようになった。その声は、もちろん協会にも届いていたはずだ。

 

 だが、結局は今回も、状況は何も変わっていない。

 

 3日からキリンカップが始まる。トーナメント方式を導入したあたり、何とか大会に緊迫感を持たせようとの意図はうかがえるのだが、残念ながらW杯本大会や予選の緊迫感とは比べるべくもない。

 

 今大会のために来日する3カ国のうち、デンマークとボスニア・ヘルツェゴビナは欧州選手権の本大会プレーオフ敗退組である。この時期にできる腕試しの相手としては申し分ない。だが、まさにこの時期、欧州勢はフランスで、南米勢は米国でガチの真剣勝負を行っている。日本が、アジアが惰眠を貪る間、より修羅場の経験を重ねている。

 

 残念ながら、このままでいけば、仮にW杯ロシア大会の切符を手にしたとしても、日本代表はいままでと同じ問題点を抱えたまま本大会に突入する。つまり、欧州や南米ほど危険ではない敵地の空気と、極めて快適なホームの環境に慣れた集団が、突如として異次元の緊張感の中に放り込まれる。

 

 十分な経験を持った者であっても、そうした環境に身を置くうち、大舞台での余裕を失ってしまうことは、ドイツでのジーコやブラジルでのザッケローニが証明してしまっている。ハリルホジッチなら大丈夫、などと太鼓判を押す気にはとてもなれない。

 

 問題を解決するには、日本代表が外に出て行くしかない。キックオフ時間を日本のゴールデンタイムに合わせる、などという姑息なことはせず、相手の流儀に則って相手の土俵で戦う。そうした経験を積み重ねていくことでしか、W杯の緊張感を和らげる方法はない。

 

 だが、それには痛みが伴う。国外での試合が増えれば、当然、国内での試合は減る。生で代表の試合が見られなくなるファンからは不満の声があがり、協会、地方、テレビ局はドル箱興行を失うことにもなる。戦績もホームで戦うほどではないだろうから、一時的な人気の低下にもつながりかねない。

 

 サッカーは、国民性を映し出す鏡でもあるというが、最近、その理由がよくわかってきた。

 

 増税見送りについての政府、国民、メディアの反応は、日本代表についてのそれとあまりにもよく似通っているからである。

 

<この原稿は16年6月2日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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