1606okabayashi5 その存在感はリングに立っているだけで圧倒されるものがある。男の名は岡林裕二。大日本プロレスに所属する看板レスラーだ。身長178センチ、体重120キロはプロレスラーとしては、特段大きいわけではない。それでも胸囲は130センチと厚く、上腕も50センチと太い。岩のように隆起した逞しい肉体が規格外の怪力を物語っている。握力は両手ともに80キロを超え、背筋は300キロ以上で計測不能だという。ゴーレム、ポセイドン……。付けられる異名からも岡林が超人的であることがうかがえる。

 

 彼が所属する大日本プロレスには、デスマッチとストロングという2つのスタイルが共存する。岡林はストロングを代表するレスラーであり、彼が腰に巻くBJW認定ストロングヘビー級王座のベルトはまさに強さの象徴である。

 

 気持ちと力で凌駕した防衛戦

 

 今年5月5日、神奈川県の横浜文化体育館。通称・文体でBJW認定ストロングヘビー級タイトルマッチが行われた。スモークの焚かれた入場ゲートから現れたのは、第7代王者・岡林。両手を挙げて咆哮した彼は花道を悠然と歩く。普段、入場の際に吠えるのは、不安や緊張を吹き飛ばすためだという。だが、いつもの“儀式”も意味を為さなかった。岡林にはいつもと違う景色が見えていたからだ。

「会場を見渡しながら、お客さんひとりひとりの顔が見えていました。“いつもはこんなに見えていないな”と思うほど、余裕がありましたね」

 

1606okabayashi7 挑戦者は石川修司。約1カ月前に大日本のシングルマッチのリーグ戦「一騎当千~strong climb~」を連覇して、岡林への挑戦権を獲得していた。石川は巨体を生かしたパワフルな打撃を中心とした攻撃が持ち味だが、それだけではない。破壊力抜群な上に器用さも持ち合わせている。まさに剛と柔を兼ね備えたレスラーだ。岡林は「オールマイティな選手。オレは直線型のファイターなので、勝つにはパワーしかない。石川選手を上回るパワー。それしかないと思っていました」と振り返る。

 

 打ち鳴らされた鐘の音は戦が始まった合図である。リング中央でがっちりと組み合うロックアップ。互いにロープの反動を利用して体当たりを繰り返した。肉弾戦を制したのは岡林だったが、石川も岡林のブレーンバスターをかわすとヒザ蹴りで迎撃する。巧みな関節技を仕掛けて、岡林の体力をじわじわ奪った。「勝つにはパワーしかない」。その言葉通りに岡林は力ずくでブレーンバスターに持っていき、かち上げるようなラリアットで石川を場外へと吹き飛ばした。

 

 畳みかける岡林は、ロープを飛び越えて場外へのボディアタック。プランチャ・スイシーダを見舞って石川にダメージを与える。場外戦では強烈な逆水平チョップを相手の胸に叩き込んだ。リング上に戻ると、石川もヒザ蹴り、エルボー、頭突きといった打撃で岡林の心をも折りにくる。ストロングの称号をかけるに相応しい熱戦は、岡林と石川の魂と魂のぶつかり合いでもあった。

 

 まずは岡林がトップロープからの雪崩式ブレーンバスターで石川をリング上に叩き付ける。石川はすぐさま立ち上がり、バックドロップでやり返した。そしてラリアットの打ち合い。一進一退の真っ向勝負に会場に詰め掛けた観客もヒートアップした。

 

1606okabayashi12 熱戦に終止符が打たれたのは、残り10分を切ろうかという時だった。岡林が下から突き上げるようなラリアットでダメージを与えて、石川の首を刈る。ここはカウント2で逃げられたが、すぐにボディスラムで叩き付けて、岡林はトップロープに上った。両手を広げて宙を舞う。必殺技「ゴーレムスプラッシュ」。自らの全体重を、そして想いを重力に乗せて石川に浴びせた。そのまま片エビ固めで、3カウントを奪った。試合時間20分59秒。王者が3度目の防衛に成功した瞬間だった。

 

 岡林はベルトを渡すプレゼンターに思わず抱きついた。「あの時は神様に見えました。ああいう場面で抱き合う人に対して、どちらかと言えば“なに抱きあっとんねん”と思っていたんですよ。でも“こういうことなんや”と初めて思えました」。それほどまでに死力を尽くした勝利だった。「石川選手の攻撃は一発一発が殺人級。頭突きは星が飛びましたし、ヒザ蹴りは内臓が飛び出しそうなほど痛かった」。それでも彼はリングに立ち続けた。岡林は「気持ちが折れたら絶対負けていた。そのまま高い位置で落ちずに持って行けた」と勝因を挙げた。

 

“自分らしさ”に気付かせてくれたファンの声

 

 岡林から見て、石川とのシングルマッチは2009年の初対決から4連敗中で、1度も勝ったことがなかった。「オレの苦手とするタイプなんですよ。身長も195センチと大きく、体重もオレより重い。自分の持ち味はパワーファイトなのに、その持ち味を生かしきれないんですよ。リーチも胴も足も長いので持ち上げる動作が難しいんです。そういう部分では苦手意識がすごくあった。自分の持ち味を出せないまま、畳みかけられて終わっちゃうこともありました」。誰が見ても“天敵”という存在であり、越えられない壁だった。

 

 直近の直接対決は一騎当千の開幕戦だった。ストロングヘビーのチャンピオンとして初めて迎えたリーグ戦だったが、15分8秒で敗れてしまった。「負けたんですが、自分の中ではすごく手応えを感じたんです。“チャンピオンが負けてどうするんだ”と周りの目は厳しかった。でもオレは先のことを考えていました。次は絶対いけると」。結局、岡林はリーグ戦を負け越して決勝トーナメントに進むことすらできなかった。一方、石川は一騎当千を制してベルトへのチャレンジャーとして名乗りを上げていた。

 

 苦手意識のある未勝利の相手。見方によれば、最悪のシチュエーションとも言える。だが、岡林の想いは違った。「自分の中ですごくうれしかった。神様の与えてくれたチャンスだと思いました」と、避けたいどころか、対戦が決まって喜びすら感じた。「こんなことは初めての感覚でした。いつもは正直、タイトルマッチが決まると1、2週間前はナーバスになったりするんです。でも今回はすごくいい状態で臨むことができた」。実はメンタル面の充実には理由があった。

 

1606okabayashi13 タイトルは奪うよりも守る方が難しい。格闘技界に限らず、そう口にする者は多い。昨年7月に関本大介を破って、大日本の至宝を手にした岡林もその1人だった。

「狙う側の方は怖いものがないですから。好きなように暴れられる。ただ自分の中では、そういうふうには考えないようにしていたつもりでした」

 知らず知らずのうちにベルトが、彼の重荷になっていたのだ。

 

 その後、2度の防衛を果たしたものの、ファンの目は誤魔化せなかった。ある日の試合後、会場でこう話しかけられた。「ベルト取ってから、大人しいなぁ」。その言葉は岡林の胸にズシンと響いた。「でも大事な声でした。言われたのは1人じゃなかった。自分で気付いていないだけで、意識しているんだと。それからですね。『チャンピオンのくせにそんなことするな!』と言われるくらいやってやろうと」。吹っ切れた岡林は“オレはオレのままでいいんだ”と真っ向勝負のスタイルを貫くことを決意した。

 

 文体での岡林は、石川に猪突猛進の如く挑んでいった。“チャンピオンらしく”はなかったかもしれないが、間違いなく“岡林らしい”ファイトスタイルだった。彼の突き抜けたパワーは、観るものを魅了した。「誰が観てもすごいとわかるプロレス」。岡林の理想とするかたちが、その日のリング上で体現されていた。それは“怪物”が覚醒した瞬間でもあった。

 

 岡林は高知県南国市で生まれ育った3人きょうだいの末っ子である。母・ユリによれば、幼少期の岡林は「人のことを悪く言わない。優しくて素直な子」だったという。当時から規格外の怪力の持ち主で、2歳の時に10キロもあるミカン箱を1人で運んだという逸話もある。人並み外れたパワーで周囲を驚かせた。しかし、彼がその力を存分に発揮することはなかった。幼き頃の岡林は争い事が嫌いだったからだ。

 

(第2回につづく)

 

1606okabayashi1岡林裕二(おかばやし・ゆうじ)プロフィール>

1982年10月31日、高知県南国市生まれ。相撲、柔道を経て、高校からウエイトリフティングを始める。高知中央高校時代は3年時に全国高校総合体育大会94キロ級で6位入賞。卒業後は自衛隊体育学校に入校し、06年の全国社会人選手権で同級3位に入った。08年にプロレスラーを目指し、大日本プロレスに入団。同年6月にデビューすると、09年には関本大介と組んでBJW認定タッグ王座を獲得。自身初となるチャンピオンベルトを手にした。10年にプロレス大賞の新人賞を受賞。11年3月には関本大介と組み、全日本のアジアタッグ王座を獲得するなど、最優秀タッグ賞に選ばれた。15年7月にBJW認定ストロングヘビー級王座を初奪取。同年のプロレス大賞では敢闘賞を受賞した。身長178センチ、体重120キロ。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

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