3「実るほど頭を垂れる稲穂かな」。これは泉礼花が高校時代の恩師から言われたことわざである。泉は香川県立高松南高を卒業してから6年経った今でも、試合で勝つたびにこの言葉を思い出している。

 

 泉が2007年に入学した高松南高は、全国大会常連のソフトボール強豪校である。実力者たちが揃う中でも、泉は1年生からエースとして活躍した。背番号は現在と同じエースナンバー「11」。泉は「常にエース以外は­嫌だった」と笑って振り返る。

 

 3年間、泉を指導した高松南高ソフトボール部の山下修監督(現坂出商業高監督)は、彼女の第一印象をこう明かす。

「球のスピードが結構ありましたね。チームには泉をはじめピッチャーが7、8名いましたが、彼女の投球を見た時に“ピッチャーはコイツだな”と決めました」

 

 さらに、山下監督は泉の特長を見抜いていた。「彼女は非常に掌が大きくて、指が長いんです。“これならいい変化球を投げられるな”という思いで指導にあたりました」。円周約30.5センチのソフトボールにおいて、掌が大きく指が長いことは武器になる。山下監督の眼には、“素質は十分。まだまだ伸びるな”と映っていたのだ。

 

7 監督の期待に応えるように、泉はメキメキと力をつけていった。落ちるボールを武器に打者を翻弄し、次々と勝ち星を重ねていく。1年の香川県高校新人大会では、エースとしてチームを4年ぶりの優勝に導き、全国高校選抜大会への出場も決めた。2年の香川県高校総合体育大会では、決勝で5安打完封。見事なピッチングで、5年ぶりの王座奪還に大きく貢献し、インターハイにも導いた。

 

 県内では向かうところ敵なしの状態が続くなか、泉に“驕り”が生まれてしまう。ある日、泉が登板し、1-2で敗れてしまった試合後の出来事だ。敗戦投手になった泉は、“もっと点数がとれていたら勝てたのに”と心の中で思った。おそらく、その気持ちは態度にも現れていたのだろう。それに気がついた山下監督は、「今、お前は天狗になっている。ゼロで抑えていれば勝てた試合だ」と説いた。

 

 そして、こう続けた。

「稲穂は成長すればするほど、お辞儀をする。お前はもっと成長しなければならないし、成長すればするほど、謙虚に振る舞わなければならない」。普段は温厚な山下監督からの“叱咤激励”は泉の胸に重く響いた。

 

 泉はこの一件で、“私はなんて馬鹿だったんだろう”と、自らの未熟さを痛感した。当時の会話は今でも彼女の耳に鮮明に残っている。試合で勝った時に、山下監督の言葉がパッと脳裏をよぎり、“私はまだまだだ”と奮い立たされるのだ。

 

 4年間で磨いたチェンジアップ

「山下監督には、本当に頭が上がらないです」と、泉は恩師への感謝の想いを口にする。高校3年の時、進路について悩んでいた彼女に、救いの手を差し伸べたのも山下監督だった。泉の心を動かしたのは、「お前は100人に1人の逸材だから、続けたほうがいい」という山下監督の一言である。

 

9 泉は大学進学と同時にソフトボールを辞めて、教員になることを考えていた。というのも、彼女の両親がソフトボールを続けることに反対で、教職の道を勧めたからだ。泉自身も「勉強で大学に行くなら、­もうきっぱり辞めようと思っていました」と振り返る。

 

 泉にとっては今後の人生を左右する大きな決断だった。将来もソフトボールを続けるのか。自分自身に問いかけた。

「“何のためにソフトをやっているんだろう”と考えた時に、いろいろな理由が頭に浮かびました。その時に、どこまで自分の力が通用するのかやってみたいと思ったんです」

 両親や山下監督との話し合いの末、泉は兵庫県にある園田学園女子大学に進学することを決めた。

 

 園田学園女子大は、全日本大学選手権で優勝経験がある全国有数のソフトボール強豪校だ。小中高とエースを任されてきた泉でも、そう簡単にはマウンドに立てさせてもらえない。彼女はそれまで思うままに投げていたピッチングを、大学で一から勉強し直した。

 

 大学にはピッチングコーチがいなかったため、技術を身に着けるには自分で行動しなければならなかった。泉の3学年上にはエース級のピッチャーが3人も揃っていた。自らの成長のために思いついたのは、先輩投手たちのキャッチャー役を買って出ることだった。

 

 泉は「先輩の球を受けながら、手もとや球筋を見ていました。受けた後に、こっそりキャッチャーに“あの先輩と自分の球はどう違う?”と聞いて、いろいろと試行錯誤を重ねました。それが楽しかった」と語る。こうして、泉は自らの五感を使って先輩のボールを感じ取り、投球術を学んだのである。

 

 そして、泉は決め球であるチェンジアップにも磨きをかけた。ストレートとチェンジアップの組み立てで、バッターを面白いように打ち取った。大学4年間で磨き上げたチェンジアップは、今もなお彼女のウイニングショットだ。「遅さは負けないようにしようと思っていて、どれだけ遅さを極めるかを意識しています。チェンジアップだけは負けたくない」と語気を強めるほど、こだわりを持っている。

 

 園田学園女子大で、泉は2年から全日本大学選手権を2連覇するなど華々しい成績を残した。4年時には大学日本代表にも選出され、エースとして第1回東アジアカップ優勝に貢献した。彼女のソフトボール人生は順調そのものだった。

 

 泉は大学4年間を経て、鳴り物入りで日立サンディーバに入社した。ルーキーながら開幕投手に抜擢された泉だったが、開幕戦で実業団の厳しさを味わうことになる。

 

最終回につづく)

 

 

プロフ<泉礼花(いずみあやか)>

1991年11月25日、香川県高松市出身。小学1年でソフトボールを始める。高松南高では国民体育大会、全国高校選抜大会、インターハイなど全国大会に出場した。園田学園女子大では、11、12年にエースとして2年連続で全日本大学選手権を制する。14年に日立サンディーバに入社。14年は6勝4敗をあげて新人賞を獲得。今シーズン成績は2勝1敗、防御率2.47。(前半戦終了時点)。24歳以下の日本代表TAP-Aにも選出されている。身長165センチ。右投げ右打ち。背番号「11」。

 

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(文・写真/安部晴奈)

 

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