今年1月に開設したスポーツポータルサイト「Sportsプレミア」では新たなスポーツ記事を連日、配信中です。このサイトではJBpress(日本ビジネスプレス)、講談社、スポーツコミュニケーションズの共同運営により、3社がそれぞれ配信している独自の記事を合わせて読むことが可能になっています。同サイトでは、この4月に講談社から前中日ヘッドコーチ・森繁和さんの著書『参謀』と、二宮清純の最新刊『天才たちのプロ野球』が発売されたことを記念し、両者によるスペシャル対談を現在、配信中です。対談後編では「バッターは飛ばないボールで工夫せよ!」と題し、今季のプロ野球や森さんのこれまでの野球人生について語ってもらっています。
(写真:あの落合“解任”劇の舞台裏も明らかに)
 当サイトでは特別に対談の一部を紹介します。

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二宮: 森さんはドラフト1位で住友金属から西武に入団しました。ところが、1年目の成績は5勝16敗。まだ当時の西武は所沢移転1年目でチームは弱かった。
: こんなに負けても投げ続けて本当にいいのかと思いましたよ(苦笑)。それにアマチュア時代のほうが練習もキツかった。駒澤大で太田誠監督にしごかれて、「こんなに厳しいところはさすがにないだろう」と思って社会人に行ったら、もっとキツかったですからね。

二宮: 大学、社会人と比べたら、西武のほうが練習がラクだったと?
: はい。「今日は走り込みだ」とメニューをこなすのですが、100メートル10本とか、50メートル10本で終了。10時半から練習開始で、12〜13時には終わっていましたからね。1年目は西武球場が建設中だったので、自主トレが終わったら、そのままテキサスのブラデントンで開幕直前までキャンプをしていました。しかも、借りていたグラウンドはパイレーツのキャンプが始まると全然使えない。練習場所がどんどん原っぱのような球場に格下げになっていきました。食事だって準備がなくて、自分たちで食べに行かないといけなかったんです。その後、ハワイで調整をして帰国したんですけど、「こんなところで日光浴してていいのかな」と思うほどでした。

二宮: 実は西武球場の記念すべきこけら落としゲームの先発投手は森さんなんですよね。
: 監督から告げられた時はビックリしましたね。「えっ? 東尾(修)さんじゃないんですか」と。東尾さんが反発するんじゃないかと本人のところにも行ったら、「いいよ。投げろ」と言われましたね。おそらく新生・西武ライオンズとして少しずつチームを変えていく意味もあって、僕が指名されたのでしょう。でも、結果は味方のエラーもあって自責が0点なのに5失点という散々な内容でしたけどね(苦笑)。

二宮: 1年目の西武は最下位でしたが、そうそうたるメンバーがいました。エースの東尾さんに、キャッチャーは野村克也さん。他にも山崎裕之さん、田淵幸一さん、土井正博さん……。
: 顔ぶれはすごかったですね。若手とベテランの年齢差が激しかった。試合は負けてばかりでしたけど、乱闘は強かったですよ(笑)。僕たち若手がワーッと走っていって、後ろからベテランがノソノソ歩いてくると、相手チームの選手たちは勝手にベンチに下がっていましたから。

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