もし2020年夏季五輪の開催都市が東京ではなくイスタンブールに決まっていたら、IOC幹部は今頃、眠れない日々を送っていただろう。

 

 

 去る6月28日、(日本時間29日)イスタンブールのアタチュルク国際空港で自爆テロが起き、44人が死亡、200人以上が負傷した。過激派組織IS(イスラミック・ステート)による犯行と見られている。

 

 イスラム過激派によるテロはバングラディシュにまで飛び火する。7月1日(日本時間2日)にはダッカの飲食店が襲撃され、日本人7人を含む20人が死亡した。

 

 五輪に話を戻そう。2020年夏季五輪開催都市が決まったのは2013年9月7日(日本時間8日)、アルゼンチン・ブエノスアイレスでのIOC総会だった。

 

 第1回目の投票で東京は過半数には届かなかったもののトップの42票を集めた。決選投票では東京60票に対し、イスタンブール36票。最終的には大差がついた。

 

 もっとも長丁場の招致レースを中盤あたりまでリードしていたのはイスタンブールだった。オリンピックは5回目の挑戦。「ヨーロッパとアジアの架け橋」「イスラム圏初」というキャッチフレーズも、IOCには好評だった。

 

 招致委員会のアラト会長は「トルコは2023年に共和国建国100年を迎える。それを目標に大型のインフラ投資を続けている。東京五輪やソウル五輪は開催国の経済を引き上げた。トルコにも成長をもたらすだろう」と胸を張って答えていた。

 

 インスペクターが訪れた際には、エルドアン首相(当時)がアジアとヨーロッパをつなぐボスポラス海峡を望むレストランで夕食会をセットした。壮観な宴となったはずだ。

 

 これを受け、当時の猪瀬直樹都知事は「やはりライバルは“イスラム圏初”をうたうイスタンブールになるだろう」と語ったものだ。

 

 だがイスタンブールにはアキレス腱があった。セキュリティーの問題だ。隣接するシリア内戦が混迷を深め、テロのリスクは日増しに高まっていた。まだISが登場する以前の話である。

 

 もしイスタンブールが選ばれていたらオリンピックどころではなかったはずだ。それこそ返上という事態に追い込まれていたのではないか。

 

 東京が選ばれた理由のひとつに「安全」があったことは周知のとおりだが、これだけ世界中でテロが相次ぐと安閑としてはいられない。水も漏らさないような万全なるテロ対策が求められる。

 

<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2016年7月29日号に掲載されたものです>

 


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