宇佐美和彦(キヤノンイーグルス/愛媛県西条市出身)第2回「球児からラガーマンへ」
「身体が大きいだけで四国の選抜に選ばれた」と、宇佐美和彦(キヤノンイーグルス)は高校時代を振り返る。彼は愛媛県立西条高校入学時、身長188センチもあった。どんな優れた指導者も技術やメンタル面を向上させることはできたとしても、身長までは伸ばせない。宇佐美の恵まれた体格こそ、彼が他から抜きん出ていた才能のひとつである。救急車に運ばれた時に身体が大き過ぎてドアが閉まらなかったことや、大学へ進学する際に「自動販売機より大きいから獲った」と言われるなど、それにまつわるエピソードにも事欠かない。
母・ひとみによれば、「穏やかな子で、好き嫌いもなく何でも食べました」という少年時代から身体は大きかった。早生まれにも関わらず、すくすく成長し続けて上背は同級生よりも頭ひとつ以上抜けていた。宇佐美は小学1年から野球、水泳、空手といろいろな習い事をした。4年時には野球一本に絞り、地元の少年団で4番ピッチャーを務めることもあった。宇佐美は中学生になっても野球を続け、クリーンアップを任されたほどだった。
野球には何かと縁があった。叔父は社会人野球の選手で、従兄弟にはのちに北海道日本ハムファイターズに入団することになる宇佐美塁大がいた。阪神タイガースの秋山拓巳とは高校の同級生で、小学生の時には愛媛県の相撲大会で勝ったこともある。ところが、宇佐美自身は西条高で秋山たちと白球を追い続けるつもりはなかった。
「秋山も含め、硬式リトルとかシニアの選手たちが同期でごっそり西条高校へ入ってきていました。それで野球部では実力的についていけないと思って、入部するのはやめたんです」
帰宅部を逃さなかったラグビー部の勧誘
高校では帰宅部を望んだ宇佐美だったが、既に188センチの長身を誇る逸材を各部が放っておくわけはなかった。中でも熱心だったのがラグビー部だった。当時ラグビー部の顧問を務めていた月岡智雄は語る。
「宇佐美君を見た時に“でかい”というのが第一印象にありました。食事やトレーニングで身体の厚みは出せますが、高さについては持って生まれたものです。あとは体育や保健の授業見ていたこともあり、彼が真面目な生徒なのも魅力でした。宇佐美君は野球部にいくだろうと思っていたのですが、部活に入らないと知り、“これはもったいない”と、声をかけさせてもらったんです」
宇佐美にとってラグビーは未知のスポーツだった。最初は月岡の誘いを断り続けていた。それでも月岡は諦めなかった。自身も陸上部出身ながら高校で顧問に誘われてラグビーに転向し、大学まで続けた経験がある。“追いかけられる”側の気持ちもわかっていた。
授業が終わり下校しようとする宇佐美を、月岡が校門で待っていたこともあった。いつも同じところで待ち伏せしていたら、逃げられると考えた月岡は違う場所で出迎えることもあったという。宇佐美が腰を痛めていることを知れば、「リハビリにラグビーをやったらどうだ?」と声をかけた。熱心なアプローチにとうとう先に折れたのは宇佐美の方だった。
「『1回見に来い』と言われて、行ったら先輩たちに囲まれました」と宇佐美は当時を振り返って笑う。西条高校ラグビー部は部員数も少なく、宇佐美のような体格に恵まれた選手は願ってもない存在だ。先輩たちが“スクラム”を組んで、彼を逃さなかったのは想像に難くない。
こうしてラグビーの“ラ”の文字も分からぬまま、宇佐美の楕円球を追いかける人生が始まったのだった。
しかし、宇佐美はラグビーの魅力を見出せずにいた。それどころか「チームも弱くて、人数もいませんでした。やり始めた時は全然楽しくなかった。練習も毎日一緒のことばかりで辞めようと思ったこともありました」という。そんな彼を勇気付けたのは月岡だった。
「秋山は野球でメジャーリーグに行け。宇佐美はラグビーで日本代表になれる」
月岡が他の生徒の前でもそう公言していたことが、宇佐美にとってはうれしかったようだ。「それで頑張ろうかなと。月岡先生には『辞めるなよ。続けろよ』と言われました」。恩師の発破が、迷える宇佐美の背中を押した。
地道にコツコツと目立つ
宇佐美には恵まれた体格以外にも、物事をコツコツと続けられる勤勉さがあった。その点を買っていた月岡は「真面目な生徒だったので、教えたら飲み込みも早かった。たとえすぐに覚えられなくてもちゃんと頑張っていたので、それでできるようになっていきましたね」と述懐した。
進学校の西条高では練習時間を多くは確保できなかった。それでも宇佐美は試合に出れば、図抜けた高さで目立っていた。他校の顧問からも声を掛けられることもしばしばだった。月岡は「選抜チームの先生たちにも目をかけていただきました。愛媛県のラグビーはいい生徒がいたら自分のところだけではなく、みんなで育てようという風潮があります。彼は合同練習とか愛媛県の選抜チームにも参加して、いろいろ教わったようです」と証言する。
とはいえ、チームでは大会に出るのにも一苦労だった。
「15人ちょうどで試合に出たこともありました。普段は練習に来ないやつが試合の時だけ来て、ケガ人が出たら、そのままフィールドから減っていく。13人で戦ったこともありましたし、何回か他校と合同チームとして出たことも……」と宇佐美。結局、西条高では全国の舞台に足を踏み入れることはできなかった。
宇佐美個人はU18四国選抜に選ばれるなど、一定の評価を得ていた。高校3年時には全国高等学校ラグビーフットボール大会決勝の前座試合として開催されるU18合同チーム東西対抗戦に出場した。同対抗戦は部員不足により単独チームで大会に出られない高校生を選抜し、高校ラグビーの聖地・東大阪市花園ラグビー場でプレーする機会が与えられる。“もうひとつの花園”を経験し、宇佐美は次のステップへと進む。
ラグビーを始めて3年。宇佐美は高校卒業後、関西の名門・立命館大学に進学した。
「身体が大きいだけで四国の選抜に選ばれて、花園も経験させてもらった。さらにはラグビーで大学に行くこともできました。この身体のおかげでトントンといったんです」
自信家でも楽天家でもない男は地道に歩みを進めていく。だが、踏みしめるその一歩一歩は大きかった。そして生まれ育った愛媛を飛び出した宇佐美は、滋賀で才能が花開くのだった――。
(第3回につづく)
<宇佐美和彦(うさみ・かずひこ)プロフィール>
1992年3月17日、愛媛県西条市生まれ。キヤノンイーグルス所属。小中は野球部に所属し、高校からラグビーを始めた。ポジションはロック。愛媛県西条高校では全国大会への出場はなかったものの、才能を買われて関西大学Aリーグの強豪・立命館大学に進んだ。U-20代表、日本代表候補にも選出された。14年、キヤノンに入社。恵まれた体格を生かし、1年目から主力としてプレーした。15年4月の韓国戦で日本代表初キャップを刻む。 同年W杯イングランド大会は最終スコッドにこそ入らなかったが、バックアッパーメンバーに選ばれた。現在は9キャップ。身長197センチ、体重117キロ。
(文・写真/杉浦泰介)