10日、第13回日本サッカー殿堂掲額式典が日本サッカー協会にて行われた。個人では現役時代に鹿島アントラーズでプレーし、2006年W杯ドイツ大会では日本代表を指揮したジーコが殿堂入りした。今年からはチームも選考対象となる。1936年ベルリン五輪で強豪スウェーデンに3-2と大逆転勝ちを収め、“ベルリンの奇跡”を起こした五輪代表チームが初の団体としての殿堂入りを果たした。

 

 ジーコことアントゥール・アントゥネス・コインブラは、1976年にブラジル代表に選ばれると78年W杯アルゼンチン大会から3大会連続で出場を果たした。ブラジル代表の10番を背負った世界的な名手だ。89年に現役引退をするが、91年に当時日本サッカーリーグ2部だった住友金属(現鹿島アントラーズ)に入団し、電撃復帰。93年にJリーグが開幕すると鹿島を初代Jリーグ王者へと導いた。

 

 2002年7月に日本代表の監督に就任すると、04年に中国行われたでアジア杯で優勝、06年W杯ドイツ大会には出場国中最速で本大会出場を決めた。在任4年で通算38勝をあげた。これは日本代表監督歴代最多である。日本サッカー界に多大な貢献をしたジーコの功績が称えられて、今回の殿堂入りとなった。

 

 現在はインドスーパーリーグのFCゴアの監督を務めるジーコは、式典には出席できなかったが、ビデオメッセージで、こう語った。

「Jリーグでの思い出は、何よりも(ハットトリックを決めた)1993年の開幕戦の名古屋グランパス戦です。Jリーグがスタートできたこと、そこに尽力できたことは非常に光栄でした。

 

 日本代表監督としての4年間は、私のキャリアを振り返っても素晴らしい選手との素晴らしい思い出ばかりです。コンフェデレーションズ杯(03年フランス大会、05年ドイツ大会)、優勝できたアジア杯、そしてW杯。どれも本当に思い出深いものばかりです。

 

 この度、日本サッカー殿堂に掲額されることは大変な名誉であり、非常に栄誉ある賞を日本サッカー協会からいただいて、とても嬉しく、とても光栄に思います。私の日本サッカー界への貢献を評価していただきましたことを大変感謝しております」

 

 また今回から新設されたチーム部門では鈴木重義が監督を務めた1936年ベルリン五輪日本代表が選ばれた。早稲田大学の選手を中心に構成されたチーム。ベルリン五輪直前で、基本システムの2バックから3バックに変更し、優勝候補にあげられていたスウェーデン戦に臨んだ。前半に2点を奪われるも、豊富な運動量と得意のパスワークを活かし、後半に3得点を決めて見事な逆転勝利。初参戦の五輪で強豪相手にあげたこの勝利は“ベルリンの奇跡”と言われている。

 

 3バックの中央でDFラインを統率した種田(おいた)孝一に代わり、式典に登壇した息子・真治は「『シベリア鉄道に長い間揺られ、やっとベルリンに着いて開会式に臨んだ時は気分が高揚した』と言っていた」と父・孝一のエピソードを代弁した。

 

 ジーコとベルリン五輪代表は過去の殿堂掲額者であるデットマール・クラマー、川淵三郎、釜本邦茂らの仲間入りを果たした。掲額者が増えるということは、日本サッカー界が発展、成長している証とも言えるだろう。

 

(文/大木雄貴)