28日、優勝へのマジックナンバーを1としていた北海道日本ハムが埼玉西武を1-0で下し、4年ぶりのリーグ優勝を決めた。栗山英樹監督は就任1年目の2012年以来、2度目のリーグ優勝である。

 

 優勝決定がかかったこの日の試合、日本ハムの先発マウンドを任されたのは大谷翔平だった。初回を3人で終えた大谷は、立ち上がりからテンポのよいピッチングで4回まで西武打線をパーフェクトに抑え込んだ。5回1死から森友哉にヒットを打たれたものの、後続を連続三振に切ってとり、その後も西武打線を封じた。

 

 攻撃陣は優勝のプレッシャーからかチャンスでの凡打が目立ったが、4回にブランドン・レアードがレフトスタンドに39号ソロを叩き込んだ。この虎の子の1点を1四球、被安打1、15奪三振の熱投で9回を投げ抜いた大谷が守り切った。

 

「苦しいシーズンと言われましたが、日本全国で災害があって、北海道は台風でも被害を受けて苦しんでいる人がいました。そんな北海道のみなさん、ファンのみなさんの応援の力で勝ち切れたと思っています。選手たちはシーズンを通して本当に進化したと思っています。夏過ぎからは僕もコーチも何も言うことがなかった。11.5ゲーム差、もちろん自分も諦めてなかった。そして選手がそれを証明してくれました。北海道のみなさん、ファンのみなさん、本当にありがとうございました。今シーズン、間違いなく確信したことがあります。日本ハムの選手は北海道の誇りです」

 

 最大11.5ゲーム差をひっくり返した大逆転優勝の喜びを、栗山監督はこう語った。

 

◆15連勝で追い上げ
 今シーズンのパ・リーグはシーズン序盤から福岡ソフトバンクがリードしていた。4月19日に首位に立ったソフトバンクは、8月末まで一度も首位を譲らない快走を見せていた。ソフトバンクと日本ハム、両チームの最大ゲーム差は6月24日時点で11.5差。当時3位だった日本ハムは、そこから大逆転劇を演じたのである。

 

 逆転優勝のきっかけは交流戦後半からの15連勝だった。6月19日の中日戦に勝利した日本ハムは、その後、横浜DeNA、オリックス、西武、ソフトバンク、東北楽天、千葉ロッテ、再びオリックスと相手を変えながら白星を積み重ねていった。球団新記録の15連勝を果たして、独走していたソフトバンクに5ゲームに迫った。

 

 オールスターを挟み後半戦に入ってからも日本ハムの勢いは衰えなかった。7月、8月のソフトバンクとの直接対決を5勝4敗と勝ち越し、途中5連勝1回、4連勝1回と順調に勝ち星を重ねていった。8月26日に日本ハムが今季初の首位に立った。しかしそこからソフトバンクも粘りを見せて、両チームのデッドヒートは9月に入っても続いた。

 

 雌雄を決したのは9月21、22日の直接対決だった。21日は大谷が8回1失点の好投で2-1で勝利。22日はここまで6連敗中だった有原航平が6回2失点と好投を見せ、11勝目をあげた。5-2で勝利した日本ハムに待望のマジックナンバー6が点灯した。以後、日本ハムが3勝1敗、ソフトバンク2勝2敗でマジック1となった。

 

 27日のゲームは日本ハムが西武に0-3で敗れて、ソフトバンクはロッテに同点に追いつかれながらも、再度突き放して意地の勝利。優勝は28日に持ち越されていた。

 

 パ・リーグを制覇した日本ハムは、10月12日からクライマックスシリーズ・ファイナルステージを戦う。勝ち抜いてくる相手はソフトバンクか、ロッテか。10年ぶりの日本一を目指して、北の大地がまた熱くなる。

 

「日本シリーズで忘れ物をしたことは選手が一番感じている。日本一を目指してこれからまた頑張ります」

 4年前の日本シリーズでは巨人に2勝4敗と敗れた。栗山監督はポストシーズンでの必勝を誓った。

 

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