30日(現地時間)、競泳では銅メダルラッシュに沸いた。まず最初に登場したのは、女子100メートル背泳ぎの寺川綾(ミズノ)。準決勝よりも速い28秒96の好タイムで50メートルを折り返すと、残り20メートルから加速し、3着でゴールイン。日本新記録となる58秒83で銅メダルを獲得した。続いて男子100メートル背泳ぎでは入江陵介(イトマン東進)が想定内の前半の遅れを、持ち味である後半でカバーし、北京では達成できなかった自身初のメダルを獲得した。この2人に触発されたかのように、見事な泳ぎを見せたのが女子100メートル平泳ぎの鈴木聡美(山梨学院大)だった。準決勝では全体7位で決勝に進出した鈴木だったが、決勝では前半から積極的な泳ぎを見せた。後半も粘って追い上げ、4位に0秒47とわずかの差で勝ち、競泳陣4つ目の銅メダルを獲得した。
 初出場だったアテネでは8位と表彰台には届かず、北京では五輪のスタート台に立つことさえできなかった寺川。8年間の思いをぶつけるかのように、勢いよく飛び出した。前半は8人がほぼ横一線の接戦となり、50メートルのターンの時点で寺川にもメダルの可能性は十分にあった。後半、ジリジリと追い上げる寺川。最後は2位にも迫る勢いでゴールし、日本新の58秒83でフィニッシュ。競泳女子としては今大会初、そして競泳女子史上最年長でのメダリストとなった。

 全てを出し切り、悲願のメダルを獲得した寺川は満面の笑顔でガッツポーズ。レース後のインタビューでは感慨深げに涙を浮かべ、「最後はタッチする前にずっと平井先生から言われてきたことをしっかりと思い出すことができ、すごく冷静に試合運びをすることができた結果だと思う。目指してきた一番ではないが、嬉しい」と喜んだ。200メートルにはエントリーせず、100メートル1本に絞ってきたことが功を奏したかたちとなった。

 続いて行なわれた男子100メートル平泳ぎに登場したのは、入江だ。前半はトップと体半分ほどの差を開けられたが、これも彼にとっては想定内のこと。準決勝よりも速い25秒82で50メートルをターンすると、入江は一気にギアを上げ、加速していった。驚異的な伸びを見せた入江は、3位でゴール。念願だった五輪のメダルを手にし、得意の200メートルでの金メダル獲得に勢いをつけた。

 そして、この流れは現役大学生の鈴木にもいい影響を及ぼした。初出場ながら落ち着いた表情を見せていた鈴木は、泳ぎも実に冷静だった。前半、後ろから追いかけるかたちとなった鈴木は、6番手で50メートルを折り返す。ここから慌てることなく、大きく伸びのある泳ぎで一番端の1コースからスルスルと追い上げ、わずかな差で3位に入った。
「メダリストの仲間入りができて本当に嬉しい」と興奮気味に語った鈴木。この勢いで200メートルでも表彰台を狙う。


▼2011年10月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)では、二宮清純が寺川綾選手にインタビュー! 約1年後にロンドンを控えていた寺川選手の心境とは……。

 今夏、中国の上海で行なわれた水泳の世界選手権。女子50メートル背泳ぎで銀メダルを獲得した寺川綾の左手中指のツメは欠けている。
「(ゴール板を)タッチする時に勢いよくいくので突き指したりすることがあるんです」
 名誉の勲章というわけだ。
 50メートル背泳ぎ決勝では優勝したアナスタシア・ズエワ(ロシア)に、わずか0秒14秒及ばなかった。
 しかし、寺川の目に光ったのは、悔し涙ではなく、うれし涙だった。
「やっと獲れたメダル。2着で喜んじゃいけないと思うけど、本当にうれしい」
 実は彼女にとって、このメダルは世界大会で手にした初めてのものだった。福岡での世界選手権に出場したのが16歳の時だから、10年越しの勲章だった。

 銀メダルの2日前、寺川はどん底に突き落とされた。今季の世界ランク1位で臨んだ100メートルで表彰台に立てなかったのだ。
 決勝のゴールは、ほぼ横一線に見えたがタッチが合わず、3位と0秒20差の5位。「悔しいということだけでは、ちょっと言い切れない」。心なしか目は充血していた。
「背泳ぎの場合、(ゴール前に)5メートルのフラッグがあって、そこから何回、水をかけば壁(ゴール板)につくという練習は繰り返しやっています。決勝では4かきでタッチしたのですが、少し足りなかった。しかし5かきにしていたら逆に距離が近過ぎてタッチが詰まっていたかもしれない。課題が残りました」

 寺川が北島康介(アテネ五輪、北京五輪平泳ぎ100メートル・200メートル金メダル)や中村礼子(アテネ五輪、北京五輪背泳ぎ200メートル銅メダル)らを育て上げた競泳日本代表ヘッドコーチである平井伯昌の指導を受けるようになったのは北京五輪が終わってからである。
「あそこに行くと、何か違うのかな……」
 自ら弟子入りを志願した。
 しかし平井の返事はつれなかった。
「練習がきつ過ぎて、ついてこれないと思うよ」

 実際、平井の指導は、これまで経験したことのないものばかりだった。
「水中の練習をする前に1時間ほど補強トレーニングをするのですが、最初は全くついていけなかった。たとえばバランスボールを置き、お腹の反動を使っての逆立ち。怖くて全くできませんでした」
 それでも寺川は決して音を上げなかった。ここが最後の場所と覚悟を決めていた。オリンピックに再び出たいとの思いが練習への意欲をかき立てた。

 寺川は19歳でアテネ五輪に出場し、200メートルで決勝に進出した。その美貌も相まって、多くの注目を集めた。
 だがスタート台で構えている間、ずっと彼女は震えていた。
「あの時の自分は決勝でどう泳ぐかという準備ができていなかった。何も考えられなかった。スタートの時には、ずっとブルブル震えていました。相手と勝負する前に、既に自分に負けていました」
 結果は8位。タイムも自己記録に1秒63秒も及ばなかった。表彰台は、はるか彼方にかすんでいた。

 オリンピックの借りはオリンピックでしか返せない――。
 しかし4年後の北京五輪は、メンタル面での弱さなどもあってパフォーマンスが低下し、代表権を得ることはできなかった。
「私には水泳は向いてないのかな……」
 引退の二文字が頭をよぎり始めたのは、この頃だ。
「もう社会人になっていたので、オリンピックに行けないんだったら、このまま働いた方がいいんじゃないかって、迷いました」

 迷いが吹っ切れたのはテレビ画面を通じて仲間たちの奮闘を見た時だった。
「本当は(北京五輪は)見ないって決めていたんです。しかし、どうしても気になって、つい見てしまった。見ているうちに刺激を受けてしまったんです。自分も、もう一度、オリンピックに戻りたい、そしてそこで戦える選手になりたいって……」
 北京五輪ではライバルだった中村礼子が200メートルで銅メダルを獲った。中村を長い間、指導していたのが平井。いつか教わりたいという気持ちは、その頃から強くなり始める。

「ただライバルとなる選手なので、私が行ってもダメと言われるのはわかっていた。(北京五輪後に)中村選手が引退するっていうのを聞いて“今なら行けるんじゃないか”と思ったんです……」
 上海で銀メダルを獲った後、寺川は「遠回りばかりしてきました」と自嘲気味に言った。アテネの決勝で手が震えたことも、今となっては貴重な経験だ。

 平井は彼女の泳ぎを、こう評価する。
「今回は100メートルで5位に終わった後、すぐ切り替えて50メートルで盛り返して結果を出せた。彼女にとっては初めて、予選から決勝まで自分の泳ぎができたと言えるのではないでしょうか。まだまだこれからですが、ちょっと“強さ”が出てきたように感じます」

 26歳になった今、寺川はロンドンでの表彰台をしっかりと見据えている。
「オリンピックで表彰台に立つ選手は予選、準決勝、決勝と泳ぐに従って記録を上げている選手が多い。つまり余裕を持って戦っていると思うんです。
 私も決勝で戦うのだったら、準決勝で全力を出し切ってしまえば体に負担がかかり、それもできなくなる。なるべく力を温存し、少しは余裕を持って決勝に進みたい。これからのレースは全てオリンピックを想定したものになると考えています」

 泣いても笑っても、ロンドン五輪まで、あと10カ月。代表権獲得のかかる日本選手権が行われるのは来年4月。26歳はこれまでの人生で最も濃厚な時間を過ごすことになる。
「私にとってのオリンピックは、もうそこ(ロンドン)しかないので、今度こそ絶対に、という気持ちは誰よりも強いですね」
 そう言い終えると、端正な表情がキリっと締まった。