二宮: 星野さんは、小学生の頃に障がいのある同級生が近所にいて、その友達を背負って学校まで行かれたという話をお聞きしました。これにはどういう事情があったんですか?

星野: 小学4年の時、同級生で時々、学校に通ってきていた子だったんですね。ある日、「病院に行くから学校に来られない」と聞いたものだから、「オマエ、学校に来たいんだろう?」と聞いたんです。すると彼は「毎日行きたい」と答えた。だから彼のお母さんに「僕が責任を持って送り迎えします」と約束して、5年生から6年生までの2年間、一緒に学校まで通ったんです。毎朝、彼の家まで30分ぐらいかけて行って、そこから学校まで20、30分くらいかかりましたね。

 

伊藤: どうして、そこまでしようと思われたんですか?

星野: 子ども心に他の友達と同じように付き合いたいという思いがあったんです。経済的な理由ではなく、行きたいものを我慢しなければいけない。医学的なことはわかりませんでしたが、余命が決して長くない病気だったらしいんですよね。だから、"何か思い出を作ってもらいたい"と、思ったんでしょうね。彼との思い出で、一番印象に残っているのは修学旅行ですね。隣の席にいた彼に「オマエ、修学旅行行きたいだろ?」と聞くと、「行きたい」と言うんですよ。当然、お母さんは反対した。それでも「お母さん、僕たちが絶対、責任を持って行きますから」と説得しました。その時はお母さんもついていくということで、彼も京都の修学旅行に一緒に行けました。仲間たちと交代で彼を背負って、いろいろなお寺に行ったのを覚えていますね。

 

二宮: 同級生にとってもいい思い出になったでしょうね。ところで以前、星野さんは「監督の役割は何ですか?」と聞かれた時に「ボクシングのセコンドだ」とおっしゃっていました。叱咤激励をする役割であると。ちょっと厳しいセコンドというか(笑)。

星野: そうそう。ベンチを蹴飛ばしたりね(笑)。僕は選手より声を出す。セコンドみたいなもんですね。それは"選手と一緒に戦っている"と。ボクシングに例えれば、選手と一緒に殴り合いをやっているというふうな意識はどこかにありますね。

 

二宮: 時々、ロープをくぐって行きたくなる?

星野: いやいや、そんなことをしたら、やられちゃいますから(笑)。ただ、選手たちも"ともに戦っている"という気持ちは、100%じゃなくても半分は持ち続けてほしいと思いますね。

 

二宮: 選手たちも心強いでしょうね。

星野: 戦っているのは選手だけではない。やはり周りの人間も、ともに戦う姿勢を示す必要があると思うんです。前回もお話にありましたが、パラリンピアンや障がい者スポーツの選手に対して「感動をくれてありがとう!」なんて言葉は、"上から目線"なんですよ。「あそこまで行ったらなんで勝たなかったの!」「次の大会は!」とか、そういうゲキの方が彼らのモチベーションを高めることに役立つ。僕はそういう考えをしているんですよね。

 

 選手には結果を求めるべき

 

二宮: 東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を務めていた2011年には東日本大震災が起こりました。選手たちは「感動を届けよう」と、一生懸命頑張った。でも星野さんは「ダメなんだ。それだけじゃ足りない。勝利を届ける。優勝しなきゃダメなんだ」とおっしゃっていましたよね。

星野: 我々ができることはたかがしれています。毎日、野球がある中で、被災者のために何を貢献できるか。「やはり勝利を届けなきゃ満足しない。子どもたちは特にそうだよ」と。強い者に憧れるんです。それを"いい試合をやりました。頑張ったけどもBクラスでした"では子どもたちに伝わらない。ウチの選手たちに「オマエらの優しさは、オレもわかる。だけど優しさを届けたんだから、今度は強さというものを被災者に届けようじゃないか」ということで、2013年に就任3年目をスタートして、ようやく日本一になったんです。

 

二宮: プロ野球界において3球団を優勝に導いた監督は星野さんで3人目です。星野さんはなかなか日本シリーズ勝てないと言われてきていましたが、東北楽天ゴールデンイーグルスで日本一になった。長い時間をかけて、夢を実現される方だと思いました。ということは、もう1回リベンジのチャンスがあるんだったら、オリンピックの仇はオリンピックでしかとれない。2020年の東京オリンピックで、野球が五輪種目として復活した場合、北京のリベンジという思いは?

星野: いや、正直、それは持っていません。あと個人的な考えとしては、アマチュア野球最高の目標をオリンピックにした方がいいんじゃないかと思うんです。そうじゃないと、ノンプロのモチベーションが国内だけになってしまうんじゃないでしょうか。

 

伊藤: プロ野球の場合はWBCなどの国際大会の舞台ができあがってきていますしね。星野さんには今後、パラリンピックの応援もしていただけたらと思います。先ほどおっしゃったように負けてもメディアでは「惜しかった」という論調の報道がある。「負けて残念だった」ではなく、「勝ちにこだわる」という観点でメディアには批評していただきたい。そこまでいって、やっとスポーツとして扱われていると思うんです。選手たちは純粋に勝ちに行っています。そこをちゃんと伝えていくことは大事なことだと思うんです。

星野: まだ世間やメディアは障がい者スポーツに対して、結果を求める厳しい声はあまり聞かれない気がします。そういうことは、ご法度でアンタッチャブルだという意識が強すぎるんじゃないでしょうか。スポーツマン、スポーツウーマンというとらえ方をしていけば、日の丸を背負って戦っているんですから「勝負にこだわろうよ」と。その考え方が障がい者スポーツを発展させ、進化させることに繋がるのではないかと、思います。

 

(おわり)

 

星野仙一(ほしの・せんいち)プロフィール>

1947年1月22日、岡山県生まれ。倉敷商から明大を経て68年ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。74年に沢村賞を獲得。82年に引退するまで通算500試合に登板し146勝121敗34セーブをあげた。87年には中日ドラゴンズの監督に就任し、88、99年とリーグ優勝に導く。2002年から阪神タイガースの監督となり、03年に優勝。同年限りで勇退し、シニアディレクターとして阪神タイガースのフロント入り。北京五輪日本代表監督を務めたのち、11年から東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任した。13年には球団創設初のリーグ優勝、日本一に導いた。14年より東北楽天ゴールデンイーグルスのシニアアドバイザーを務める。


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