161122tanigawa グラクソ・スミスクライン株式会社が運営する喘息情報ウェブサイト「Zensoku.jp」にて、当HP編集長・二宮清純がナビゲーターを務める対談シリーズ「二宮清純のゼンソク人間学」が好評配信中です。このシリーズでは幼い頃から喘息に悩まされてきた二宮が、病気を克服して活躍しているスポーツ選手、元選手と対談。喘息をいかに乗り越えるかというテーマで話を進める中で、この病気への理解を深め、患者さんを勇気づけることを目指しています。今回はマラソンランナーの谷川真理さんと、喘息の専門医で東海大学医学部付属東京病院呼吸器内科教授の桑平一郎先生との対談を実施。その全編を公開しました!

 

 

当サイトでは対談の一部を特別にご紹介します。

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 ランニングで荒療治

 

二宮: 谷川さんが喘息というのは意外な気がします。何歳に発症したのでしょう。

 

谷川: 元々、アレルギー体質で、アトピー性皮膚炎だったんです。喘息は小学1年生の時にかかりました。私の母曰く、小学校に上がって先生が非常に厳しくなった。幼稚園の先生は優しかったので、環境の変化によるストレスで発症したと……。

 

桑平: 喘息はストレスが原因で発症するわけではありませんが、発作を起こす引き金には十分になり得るでしょう。体質的にもアレルギーがあるということで、それにストレスが加わってのことだと思われます。たとえば試験前や、事業者の中には納期などが迫ってくると発作を起こす方もいます。

 

二宮: では、小さい頃から呼吸が苦しかったと?

 

谷川: はい。呼吸というよりも咳き込んでつらかったですね。その時は薬を処方してもらっていなかったので、母から砂糖水をもらって飲んでいました。眠れない時には母の膝上に抱き上げられて、映画とかを観ながら寝かしつけてもらっていましたね。

 

二宮: 私もアトピーと喘息を持っています。これらは遺伝するのでしょうか?

 

桑平: そうですね。我々が喘息かどうか診断する時に、ご家族にアトピーの方がいないかと伺っています。アレルギー体質が皮膚に出れば、アトピーになる。鼻に出れば花粉症、気道に出れば喘息になるわけです。

 

二宮: 小学1年で発症し、その時に治療はされなかったんですか?

 

161122tanigawa2谷川: 実は母が私に小児喘息だということを話してなかったんです。昼間は全然大丈夫なのになぜか夜に苦しくなる。思い当たるのは小学6年の時の担任の先生が厳しくて、毎朝2キロ走らされていたんです。雪が降っている時は3キロ。暑い時も寒い時も走る。半袖、ハーフパンツとかで走ると寒冷蕁麻疹もできましたね。ただ、それが荒療治のようになって段々、喘息の症状も治まってきました。中学1年くらいでは、たまに咳き込むことはありましたが落ち着いてきました。そこで母から小児喘息だったことを聞かされたんです。

 

二宮: 走っている途中に呼吸が苦しくなることはありませんでしたか?

 

谷川: いっぱいあります。やはり心拍数も上がって、呼吸も速くなりますからね。でも喘息の症状は中学1、2年生までだったので、そこからはほとんど出ていませんでした。

 

二宮: それは、よかった。

 

谷川: 強化されていったのかもしれませんが、小学校の頃から走るのは大好きでした。逆に負荷がかかっていたというのが、少し刺激になって強くなったのかなと思います。

 

二宮: 再発する人もいるとお聞きしました。

 

桑平: 大まかに3つに分けられますね。小児喘息があって、大人になって治る方が3分の1。小児喘息が治らぬまま成人喘息になるのが3分の1。残りは大人になってから発症するというケースです。ただ大人になってから出るほうが、どうしても長引いたり、コントロールしにくい場合がありますね。

 

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 今後も喘息を乗り越え、第一線で活躍中のアスリートが登場予定です。どうぞお楽しみに。


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