伊藤: 残念ながら、未だ国内では障害者スポーツやパラリンピックの認知度が低いのが現状です。しかし、その一方で少しずつ広がりを見せていることもまた事実です。そのひとつとして、これまで「オリンピック招致委員会」だったのが、16年の招致活動からは「オリンピック・パラリンピック招致委員会」という名称となり、同じ4年に一度のスポーツの祭典であるオリンピックとパラリンピックを一緒に取り組んでいこうという体制が築かれました。

二宮: 東京開催が決定した20年の最終プレゼンテーションでも、トップバッターを切ったのはパラリンピアンの佐藤真海さんでした。ニュースでも大きく取り上げられ、佐藤真海というパラリンピアンの存在が全国に知れ渡った。これは、日本の障害者スポーツ界にとっては、非常に大きなアピールになりました。

 

宮澤: スピーチの内容もさることながら、彼女のさわやかな笑顔が実に良かった。IOC委員にも好印象だったでしょうね。ただ、まだ多くの日本人においてはオリンピックとパラリンピックの間に大きな隔たりがある。そこに共通理解が生まれなければ、20年東京大会の成功はないと思っています。

伊藤: 成熟した日本を世界に示すには、その共通理解こそが必要となりますよね。

 

二宮: まさに"心のバリアフリー"ですよね。

宮澤: "心のバリアフリー"というのは、いい言葉ですね。その通りだと思います。そのためには、まずは障害を持っている人たちへの理解を深めること。彼ら、彼女らを受け入れた社会をつくることが必要です。今後、どれだけ日本国民が成熟した心を持つことができるか。20年大会は、まさにそのことが試される祭典だと思うのです。

 

 メダル至上主義の危険性

 

伊藤: 二宮さんは「20年大会はゴールではなく、スタートだ」とおっしゃっていますね。

二宮: はい。オリンピックとパラリンピックは、一種の社会変革運動でもあると思うんです。オリンピックとパラリンピックをきっかけに、日本の社会がどう変貌を遂げるのか。そのことが一番重要です。ところが開催が決定した途端に、メダルの個数ばかりが注目されている。もちろん、国の代表として出場するからには、メダルを目指すことは大事です。しかし、それが全てではないはずです。現在、スポーツ庁創設の話が具体的に進められていますが、メダルだけを追うのではなく、オリンピック・パラリンピック開催を機に、障害の有無に関係なく、スポーツがもっと身近に感じられる環境づくりなどにつなげていってほしいと思います。

 

宮澤: 10月に東京で行なわれた全国障害者スポーツ大会(全スポ)の報道を見ても、メダル至上主義に走っているように感じましたね。全スポはパラリンピックのメダリストを育てるための大会ではないんです。それなのに、メダルを獲るための準備段階というような報道のされ方をしていた。障害者にとってスポーツは、競技としての意味だけではありません。リハビリでもあり、社会参加のツールでもある。そのことが理解されないまま、パラリンピックでのメダルだけを追い求めるのは、とても危険なことだと思います。

二宮: かつて社会主義国は国威発揚のためにメダルを利用しました。しかし、そうしたやり方は長くは続かなかった。豊かなスポーツ環境づくりが先で、その果実としてメダリストがたくさん生まれる。それが望ましい姿だと思われます。

 

(第3回につづく)

 

宮澤保夫(みやざわ・やすお)プロフィール>
1949年生まれ。1972年に生徒2人の学習塾を開いて以来、教育界に革命を起こし、子ども達のために必要な学びの場を作り続けている。1985年に日本初の企業外にある技能連携校「宮澤学園」(現 星槎学園)を設立。1999年以降、不登校や発達の問題を抱える子どもたちも受け入れられる日本初の学習センター方式を採用し、登校日数を自分の状況で決められる登校型広域通信制高校や、特区を用いた教育課程を弾力的に運用できる中学校や高校を開校。2004年には通信制大学「星槎大学」、2013年には大学院を開設するなど、保育園・幼稚園、中学校から大学院を有する星槎グループを創設。2010年には、困難な環境にある国内外の子どもたちを、主に教育と医療の分野でサポートする「世界こども財団」を設立。


◎バックナンバーはこちらから